ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 | |||||||||||||||||||||||||
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ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 (2004) | |||||||||||||||||||||||||
BEYOND THE SEA | |||||||||||||||||||||||||
映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 (2004)
BEYOND THE SEA 』を紹介します。 映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』を以下に目次的に紹介する。 ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』のポスター、予告編および映画データ ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』の解説 ネタばれをお好みでない方はこの解説をご覧下さい。 ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』のケヴィン・スペイシー ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』の主なスタッフ ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』の音楽 ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』のあらすじ ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』のボビー・ダーリンのトリビア ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』のスタッフとキャスト ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』の<もっと詳しく> <もっと詳しく>は映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』の「テキストによる映画の再現」レヴュー(あらすじとネタバレ)です。※ご注意:映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』の内容やネタバレがお好みでない方は読まないで下さい。 ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』の更新記録 >>「映画解説・レヴュータイトル一覧表」へ(画面の切り替え) |
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幸の観たい度: 8つ星 | |||||||||||||||||||||||||
■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』のポスター、予告編および映画データ | |||||||||||||||||||||||||
ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 ポスターはhttp://www.up4u.net/ より引用させて頂きました。
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●スチルはnostalgia.com、予告編はcinemaclock.comより許諾をえて使用しています。 Filmography links and data courtesy of The Internet Movie Database & Nostalgia.com. Filmography links and data courtesy of CinemaClock Canada Inc. |
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■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND
THE SEA 』の解説 映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 (2004) BEYOND THE SEA 』は 2004/10/15 の時点で邦題が分からなかったので「ビヨンド・ザ・シー」としておいたら『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』と決まった。『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』は、「♪ラ・メール」の英語版「♪ビヨンド・ザ・シー」の大ヒットを飛ばした伝説の米国シンガー、ボビー・ダーリン( 1936 - 1973 )の短い生涯を、サンドラ・ディーとの結婚・離婚などのエピソードも入れて描いたケヴィン・スペイシー(『 16歳の合衆国 (2003) THE UNITED STATES OF LELAND 』等)の映画である。 ▲TOPへ ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』のケヴィン・スペイシ 映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』はケヴィン・スペイシーの映画と言って過言ではないだろう。 『 ユージュアル・サスペクツ (1995) THE USUAL SUSPECTS 』 『 交渉人 (1998) THE NEGOTIATOR 』 『 アメリカン・ビューティー (1999) AMERICAN BEAUTY 』 『 光の旅人 K−PAX (2001) K-PAX 』 『 16歳の合衆国 (2003) THE UNITED STATES OF LELAND 』 『 ライフ・オブ・デビッド・ゲイル (2003) THE LIFE OF DAVID GALE 』 『 スーパーマン リターンズ (2006) SUPERMAN RETURNS 』 等のハリウッドの大スター、 ケヴィン・スペイシーが『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』では監督・製作・出演の三役をこなしているのだ。「♪ビヨンド・ザ・シー」「♪マック・ザ・ナイフ」等の大ヒットを飛ばしながら若くして亡くなった米国エンターテイナー、ボビー・ダーリンにケヴィン・スペイシーが扮して主役を演じ、劇中の歌うシーンも全てケヴィン・スペイシー自身が歌っている。『 シカゴ (2002) CHICAGO 』でもリチャード・ギア Richard Gere 自身が歌って踊っていたし、一流俳優っていうのは何でもできる実力があるのだなぁ。 さて、ケヴィン・スペイシーは黄色いステージ衣装に鬘(かつら)で髪を黒々と若作り。ちょっと年をとり過ぎているという辛い批評も受けているようだ。でも、実際にケヴィン・スペイシーはボビー・ダーリンに似ていると話題になっている。それは、ボビー・ダーリンが心臓病で生涯を通じて病弱だったため、 37 歳で亡くなった実年齢よりも老けて見えていたから尚更だそうだ。 ▲TOPへ ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』の主なスタッフ 映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』は米・独・英の三ヶ国の合作だから、スタッフも各国から集っている。 ○『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』の製作: ジャン・ファントル 『 フィアー・ドット・コム (2002) FEAR DOT COM 』 『 サウンド・オブ・サンダー (2004) A SOUND OF THUNDER 』 ○『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』の製作総指揮: ピーター・ブロック 『 NARC ナーク (2002) NARC 』 『 CUBE2 (2002) HYPERCUBE: CUBE 2 』 『 真珠の耳飾りの少女 (2003) GIRL WITH A PEARL EARRING 』 『 ワンダーランド (2003) WONDERLAND 』 『 ソウ (2004) SAW 』 『 ソウ2 (2005) SAW II 』 ○『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』の製作総指揮: マイケル・バーンズ 『 コンフィデンス (2003) CONFIDENCE 』 ○『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』の製作総指揮: ダグラス・ハンセン 『 ギフト (2000) THE GIFT 』 『 プロフェシー (2002) THE MOTHMAN PROPHECIES 』 ○『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』の製作総指揮: ヘニング・モルフェンター 『 戦場のピアニスト (2002) THE PIANIST 』 『 80デイズ (2004) AROUND THE WORLD IN 80 DAYS 』 『 ボーン・スプレマシー (2004) THE BOURNE SUPREMACY 』 『 エイリアンVSプレデター (2004) ALIEN VS. PREDATOR 』 『 サハラ 死の砂漠を脱出せよ (2005) SAHARA 』 『 THE CONSTANT GARDENER (2005) 』 ○『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』の製作総指揮: ジム・リーヴ 『 猟人日記 (2003) YOUNG ADAM 』 ○『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』の脚本: ポール・アタナシオ 『 トータル・フィアーズ (2002) THE SUM OF ALL FEARS 』 ○『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』の撮影: エドゥアルド・セラ 『 アンブレイカブル (2000) UNBREAKABLE 』 ○『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』の編集: トレヴァー・ウェイト 『 家族のかたち (2002) ONCE UPON A TIME IN THE MIDLANDS 』 ○『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』の配役: ジョアンナ・コルバート 『 ハムナプトラ2/黄金のピラミッド (2001) THE MUMMY RETURNS 』 『 グッド・ガール (2002) THE GOOD GIRL 』 『 ヴァン・ヘルシング (2004) VAN HELSING 』 『 ウィンブルドン (2004) WIMBLEDON 』 ▲TOPへ ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』の音楽 映画『『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』の歌「♪ビヨンド・ザ・シー Beyond the Sea 」は、フランス人のシャルル・トレネ Charles Trenet 作詞、シャルル・トレネとアルベール・ラズリ Albert Lasry 作曲の 1945 年のシャンソン「♪ラ・メール La Mer 」の英語版である。この美しい旋律の歌「♪ビヨンド・ザ・シー Beyond the Sea 」は、映画でも『 ファインディング・ニモ (2003) FINDING NEMO 』(歌: ロビー・ウィリアムス Robbie Williams )や『 アポロ13 (1995) APOLLO 13 』(歌: ボビー・ダーリン)で使われてきた。「♪ビヨンド・ザ・シー Beyond the Sea 」の英語歌詞はジャック・ローレンス Jack Lawrence による。つい口ずさみたくなる「♪ビヨンド・ザ・シー Beyond the Sea 」の英語歌詞は以下の通り。 Bobby Darin---BEYOND THE SEA Somewhere beyond the sea, Somewhere, waiting for me, My lover stands on golden sands And watches the ships that go sailing; Somewhere beyond the sea, He's (She's) there watching for me. If I could fly like birds on high, Then straight to his (her) arms I'd go sailing. It's far beyond a star, It's near beyond the moon, I know beyond a doubt My heart will lead me there soon. We'll meet beyond the shore, We'll kiss just as before. Happy we'll be beyond the sea, And never again I'll go sailing! (http://www.elyrics4u.com/b/beyond_the_sea_bobby_darin.htm より引用) ▲TOPへ ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』のあらすじ ※本作『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』のあらすじは、日本公開前に幸田幸が書いたものです。作成現時点で出来るだけ正確な情報を心掛けていますが、データや内容に誤りや適切でない表現があるかもしれません。どうか宜しくご了解いただきお読みくださいますようお願いいたします。本コンテンツの複写や転用等はお控えください。また、リンクやメールをいただく場合はここを必ずお読みくださいますように。映画会社や配給会社や宣伝担当会社からの情報提供はこちらをお読みください。 ▲TOPへ 映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』のワーキングタイトルは『 Bobby Darin Biopic (直訳:ボビー・ダーリンの伝記映画)』という通り、彼の悲劇的で英雄的な短い人生を描いた感動の作品である。 ボビー・ダーリンはニューヨークのブロンクス Bronx, New York のスラム街で1936 年 5 月 14 日に生まれた。本名はウォルデン・ロバート・カソット Walden Robert Cassotto という。7歳の頃(子役/ウィリアム・ウルリッヒ)、リューマチ熱の為に心臓がダメージを受けて、医師はボビーが 15 か 16 歳までしか生きられないと母親ポリー(ブレンダ・ブレシン: 『 リトル・ヴォイス (1998) LITTLE VOICE 』 『 DADDY AND THEM (2001) 』 『 ソニー (2002) SONNY 』)に伝えた。 心臓疾患のあるそんなボビーは家族に見守られ過保護に育てられた。家には姉のニーナ(キャロライン・アーロン:『 JOE DIRT(2001 』)やその夫チャーリー(ボブ・ホスキンス: 『 スターリングラード (2000) ENEMY AT THE GATES 』 『 メイド・イン・マンハッタン (2002) MAID IN MANHATTAN 』 『 悪女 (2004) VANITY FAIR 』)もいて面倒を見てくれた。そして医療の発達のお蔭で心臓は鼓動を続け、ボビー(ケヴィン・スペイシー)は宣告された寿命を越えて、二十歳を無事に迎えられた。 音楽好きなボビーは家族にも支援されて、親友で後にマネージャーとなるスティーヴ・ブローナー(ジョン・グッドマン:『 ジャングル・ブック2 (2003) THE JUNGLE BOOK 2 』)の協力で、ショービジネスの世界に入る。ステージネームはボビー・ダーリンに。彼は歌を歌うだけでなく、ドラムスとピアノとギターも演奏するし作曲もした。音楽ディレクターはディック・バーク(ピーター・チンコッティ)だ。場末のクラブから、ラスベガス Las Vegas のショーに上り詰めるまでパフォーマンスに磨きをかけていく。 そしてレコーディングを数回した後、 1958 年、22 歳の時、「♪スプリッシュ・スプラッシュ Splish Splash 」という歌が初めてヒット。これは百万枚を突破。しかし彼はそれだけで満足せず、遅かれ早かれ自分は心臓病で死ぬのだから、精一杯頑張って生きて 25 歳までには‘伝説’になりたいという野望を「ライフ Life Magazine 」誌で語った。二枚目のシングル「♪マック・ザ・ナイフ Mack the Knife 」はこれまた大ヒットで、ヒットチャートに9週連続1位、 42 週トップ 10 という成績で、 1959 年グラミー賞 Grammy Awards を獲得。 こういう成功でボビー・ダーリンはスターダムの象徴ハリウッド Hollywood に 1960 年に引越した。ここで、当時 16 歳だった可愛い女優サンドラ・ディー(ケイト・ボスワース: 『 ブルークラッシュ (2002) BLUE CRUSH 』 『 ルールズ・オブ・アトラクション (2002) THE RULES OF ATTRACTION 』 『 ワンダーランド (2003) WONDERLAND 』 『 スーパーマン リターンズ (2006) SUPERMAN RETURNS 』)と出会って恋に落ちる。既にスーパースターだったサンドラ・ディーにはやり手のステージママで娘を手放したくない母親メアリー(グレタ・スカッキ)がいて梃子摺(てこず)ったけれど、2ヶ月間の婚約期間を経て、 1960 年 12 月 1 日、二人は晴れて結婚した。ドッド Dodd という赤ちゃんも生まれた。 この頃からボビー・ダーリンは映画の世界にも入っていく。『 九月になれば (1961) COME SEPTEMBER 』ではサンドラ・ディーとイタリア・ロケで共演もした。『 ニューマンという男 (1963) CAPTAIN NEWMAN M.D. 』ではアカデミー助演男優賞のノミネートを受けるまでになった。並行して、彼の本来の音楽活動も更に拍車をかけていく。ロックンロール、ポップス、ゴスペル、カントリー・ウェスタン、フォークソングと、様々なジャンルをカバーしていった。ボビー・ダーリンの歌手としての 14 年間のキャリアは、エルヴィス・プレスリー Elvis Presley とレイ・チャールズ Ray Charles を除いて最多のヒット曲数と最も広い音楽ジャンルを誇ったそうだ。 ‘パーフェクトなハリウッド・カップル’と形容されたボビー・ダーリンとサンドラ・ディーであったが、仕事の忙しさやスレ違い生活で二人の関係は破局を迎える。 1967 年、二人は離婚し、ボビーは人生の新しい意義を追求し始めた。政治の世界である。弱った心臓を抱えて、ボビーはロバート・ケネディ Robert Kennedy ( 1925 - 1968 )の大統領選の活動に没頭するようになり、反戦歌をピッピーのヘアスタイルで歌った。だからハリウッドの絢爛としたスクリーンやアイドル歌手の姿はなくなっていく。しかし、こういうボビー・ダーリンは、ファンの目からしたら、もはや嘗てのボビー・ダーリンではなかった。 ロバート・ケネディがロサンゼルスで 1968 年 6 月に暗殺されると、ボビー・ダーリンは政治活動を中止して、エンタテインメントの世界からも身を引いた。そしてビックサー Big Sur 国立公園内のモービルホーム(移動住宅)で隠遁の生活をするに至った。しかし、やはり自らの天賦の才能を否定できず、ボビーは一年後に歌手に戻り、自身のレコード会社 Direction Records を立ち上げた。リリースしたアルバムのタイトルに「 Born Walden Robert Cassotto (直訳:ウォルデン・ロバート・カソットとして生まれて)」という本名を用いたのから見て、ゼロに戻って再出発という意気込みが感じられる。 しかし、それから四年後、ボビー・ダーリンの心臓は限界に来た。心臓の人工弁を手術で埋蔵していたのが機能が悪くなり心臓発作を起こしたのだ。6時間に及ぶ人工弁の交換手術を行なった後、意識を回復せずに 37 年という短い生涯を閉じた。 1973 年 12 月 20 日のことである。手術自体は部分的に成功だったにも拘わらす、手術直後に亡くなったのは、医師(デヴィッド・ウェストヘッド:『 STAGE BEAUTY (2004) 』)たちによると「あまりに体が弱くて回復できなかった」からだそうで、気の毒だなぁと感傷的になる。また、再婚を Andrea Joy Yeager という女性とその年 の 6 月にしているけど、 9 月に離婚。だから、 12 月の逝去の際には奥さんはいなかったんだ。この人物については映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』は触れないのかもしれない。 ▲TOPへ ■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND THE SEA 』のボビー・ダーリンのトリビア ・芸名ボビー・ダーリンの‘ボビー’は本名‘ロバート’の愛称で、‘ダーリン’は、ショービジネス界に入る時、中国料理店のネオンサインの文字をヒントにしたとか電話帳からとったとかの伝説がある。 ・ボビー・ダーリンの作曲した「♪ As Long As I'm Singing 」はケヴィン・スペイシーの映画『 アメリカン・ビューティー (1999) AMERICAN BEAUTY 』のサントラにある。 ・ボビー・ダーリンはまだソングライターとしてブレイクする前、コニー・フランシス Connie Francis という新進歌手と出会って情熱的に恋愛、二人は結婚したかった。でも、コニーの過保護な父親がデートすら許さず、結婚なんてとんでもない。それで二人は駆け落ちしようとしたら、その父親は銃を持って追いかけてきたのだって。だから恋は叶わず、顔を合わせられるのはTVの歌番組で共演する時だけだったそうだ。今は亡きボビー・ダーリンと、コニー・フランシスは結婚できなかったことは人生最大の誤りだったと何度も洩らしているという。 ・パティ・デューク(ニーナ・フラノゼック: 『 真実のマレーネ・ディートリッヒ (2001) MARLENE DIETRICH: HER OWN SONG 』 『 戦場のピアニスト (2002) THE PIANIST 』)も映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』に登場する。ボビーとどんな関係だったのだろう。ただの仕事仲間? ・ボビー・ダーリンが姉だと思っていた女性(映画ではキャロライン・アーロン)は実は母親で、死去した母親(映画ではブレンダ・ブレシン)だと思っていた女性は実は祖母だったという事実は、ボビーが 32 歳になるまで知らなかったそうだ。複雑な家庭事情だったのだろう。 ・ボビー・ダーリンは UCLA の医療センターに献体された。合掌。 |
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【『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 』のスタッフとキャスト】 | |||||||||||||||||||||||||
監督: ケヴィン・スペイシー Kevin Spacey (Directed
by) 製作: フィリップ・バリー Philip Barry (producer) ダナ・ブルネッティ Dana Brunetti (producer) ジャン・ファントル Jan Fantl (producer) アーサー・フリードマン Arthur Friedman (producer) アンディ・パターソン Andy Paterson (producer) ケヴィン・スペイシー Kevin Spacey (producer) マーク・トレイシー Mark Tracey (producer) 製作総指揮: ピーター・ブロック Peter Block (executive producer) マイケル・バーンズ Michael Burns (executive producer) ジェイソン・コンスタンティン Jason Constantine (executive producer) ダグラス・ハンセン Douglas Hansen (executive producer) デイモン・ホロウィッツ Damon Horowitz (executive producer) ジョアン・ホロウィッツ Joanne Horowitz (executive producer) ヘニング・モルフェンター Henning Molfenter (executive producer) ティエリー・ポトク Thierry Potok (executive producer) ジム・リーヴ Jim Reeve (executive producer) スティーヴ・ロビンス Steve Robbins (executive producer) 脚本: ポール・アタナシオ Paul Attanasio (Writing credits) ロレンツォ・カルカテラ Lorenzo Carcaterra (Writing credits) ジェフリー・ミーク Jeffrey Meek (Writing credits) ジェームズ・トバック James Toback (Writing credits) 撮影: エドゥアルド・セラ Eduardo Serra (Cinematography by) 編集: トレヴァー・ウェイト Trevor Waite (Film Editing by) 配役: ジョアンナ・コルバート Joanna Colbert (Casting by) 音楽: ジョン・ウィルソン John Wilson (Original Music by) クリストファー・スラスキ Christopher Slaski (incidental music) 出演: ケヴィン・スペイシー Kevin Spacey as Bobby Darin ケイト・ボスワース Kate Bosworth as Sandra Dee ジョン・グッドマン John Goodman as Steve Blauner ボブ・ホスキンス Bob Hoskins as Charlie Maffia ブレンダ・ブレシン Brenda Blethyn as Polly Cassotto グレタ・スカッキ Greta Scacchi as Mary Douvan (Dee) キャロライン・アーロン Caroline Aaron as Nina Cassotto ニーナ・フラノゼック Nina Franoszek as Patty Duke デヴィッド・ウェストヘッド David Westhead as Dr. Fields ピーター・チンコッティ Peter Cincotti as Dick Behrke ウィリアム・ウルリッヒ William Ullrich as Little Bobby ▲TOPへ |
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<もっと詳しく> | |||||||||||||||||||||||||
ストーリー展開の前知識やネタバレがお好みでない方は、読まないで下さい。 |
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映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 (2004) BEYOND THE SEA 』の「テキストによる未公開映画の再現」レヴューは、現在まだ書けておりません・・・。 参考資料:「映画の森てんこ森」映画タイトル集 http://www.coda21.net/eiga_titles/index.htm IMDb allcinema ONLINE Nostalgia.com CinemaClock.com 公式サイト(英語版) http://www.beyondtheseathemovie.com/ |
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■映画『 ビヨンド the シー 夢見るように歌えば〜 BEYOND
THE SEA 』の更新記録 2004/10/15新規: ファイル作成 2004/11/10更新: ◆タイトル変更 2004/12/06更新: ◆一部テキスト追記と書式変更 2005/09/05更新: ◆データ追加 |
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幸田 幸 coda_sati@hotmail.com |
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