プラハ
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 プラハ@映画の森てんこ森
プラハ
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2004年06月03木曜日 「シャイな幸の独り言」トップへ
 プラハに行ってきました。幸の感じたプラハを幸なりに紹介します。

プラハの目次】
■01 プラハ、映画の町
■02 プラハ、百塔の町に君臨するプラハ城 (1)
■03 プラハ、百塔の町に君臨するプラハ城 (2)〜神秘の町〜
■04 プラハ、ヴルタヴァ川に架かるカレル橋
■05 プラハ、建築史の教科書
■06 プラハ、買い物天国?

プラハ関連の「ツムンダ」「チェコ語」のエッセイも宜しくご覧ください。

■01 プラハ、映画の町
 チェコ Czech Republic / Ceská Republika の首都プラハ Prague / Praha は、スティーヴン・ソダーバーグ Steven Soderbergh 監督(『 エリン・ブロコビッチ (2000) ERIN BROCKOVICH 』『 オーシャンズ11 (2001) OCEAN'S ELEVEN 』『 フル・フロンタル (2002) FULL FRONTAL 』『 ソラリス (2002) SOLARIS 』『 オーシャンズ12 (2004) OCEAN'S TWELVE 』等)の映画『 KAFKA/迷宮の悪夢 (1991) KAFKA 』を随分昔に観て以来、ずっと行ってみたいと思っていた町。プラハに住んだユダヤ人作家フランツ・カフカ Franz Kafka ( 1883-1924 )(ジェレミー・アイアンズ Jeremy Irons :『 仮面の男 (1998) THE MAN IN THE IRON MASK 』『 タイムマシン (2002) THE TIME MACHINE 』等)を主人公にした SF 的サスペンス・フィクションは、魔都プラハを怪しく描き出しており、神秘主義的な雰囲気に包まれているこの町を是非見てみたいと思わせた。
 ※2004年07月23日(金)更新:カフカ関連映画『 変身 (2002) Prevrashcheniye (原題) / METAMORPHOSIS (英題) 』の解説を書いた。

 プラハは、物価の安さと、“百塔の町”“中欧の宝石”と呼ばれるほどの美しい町並みから、最近のハリウッド映画の中でも引っ張りだこのロケ地だ。「映画の森てんこ森」の中でも、『 スパイ・ゲーム (2001) SPY GAME 』『 フロム・ヘル (2001) FROM HELL 』『 マリー・アントワネットの首飾り (2001) THE AFFAIR OF THE NECKLACE 』『 9デイズ (2002) BAD COMPANY 』『 トリプルX (2002) XXX 』『 ボーン・アイデンティティー (2002) THE BOURNE IDENTITY 』『 シャンハイ・ナイト (2003) SHANGHAI KNIGHTS 』『 タイムライン (2003) TIMELINE 』『 リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い (2003) THE LEAGUE OF EXTRAORDINARY GENTLEMEN 』『 ヴァン・ヘルシング (2004) VAN HELSING 』『 エイリアンVSプレデター (2004) ALIEN VS. PREDATOR 』『 ブラザーズ・グリム (原題) (2004) THE BROTHERS GRIMM 』等の映画がプラハで撮影されている。〔因みに『 ダンサー・イン・ザ・ダーク (2000) DANCER IN THE DARK 』のレヴューでチェコとスロヴァキアの国について少し書いているので、御興味のある方はまた御一読ください。〕

 しかし、チェコは 2004 年 5 月 1 日から拡大 EU に加盟しているので、これから物価が上がるのは必須。ユーロは 2 年後から導入されるそうだ。“Prague won’t let you go. (プラハはあなたを行かせない。)”というカフカの言葉通りに、プラハは本当に去り難い美しい町。とても短い滞在だったので、まだまだ巡りきれていない。物価の上がらない間に、もう一度ゆっくりと過ごしてみたいな。

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■02 プラハ、百塔の町に君臨するプラハ城 (1)
プラハ 01
ぞくぞくと観光客がやって来る

プラハ 02
プラハ城上空は雲が覆っていたけど、徐々に天気はよくなった

プラハ 03
広々としてキレイだった

 プラハのシンボルと言えばプラハ城 Prague Castle / Pražský hrad 。 9 世紀に建設が始まったプラハ城は、 12〜13 世紀に要塞化して発展し、城の周りの小さなコミュニティーも発達し始めた。そして 14 世紀、神聖ローマ帝国皇帝カール 4 世 Charles IV 〔ボヘミア王カレル 1 世 Karel I、(独)カール=(捷)カレル〕の治世下で、プラハがヨーロッパの最先端都市の一つとなった頃、プラハ城も刷新され、ほぼ現在の姿となったそうだ。

 プラハは、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)している迷宮のようなイメージだったけど、実際のプラハは、 5 月 12 日〜 6 月 3 日開催の「プラハの春音楽祭」と 5 月 23 日開催の「プラハ国際マラソン」のせいで、観光客が跋扈していた。ホテルで出会ったペルー人のオジサンの「クレイジーな状態」というコメントは、言い過ぎのような気もしたけど、すごい人手だった。(しかもフランス人が多かった!やっぱ EU に加盟したばかりだから?)もちろんプラハ城も例外ではなく、人、人、人で大変だった。でも、プラハ城第一の中庭前の衛兵交替式は、超間近で見学できたのでよかった。

 プラハ城の衛兵交替は、ロンドンのバッキンガム宮殿のような大そうなものではない。〔私が観たのは午前 10 時の交替式。正午のがもうちょっと見応えがあるらしいけど。〕衛兵の詰め所(?)もしょぼい。衛兵も手を触れられるくらい近くにいる。もちろん触ったら怒られるだろうが、日本人ではない東洋人の旅行グループのオバチャンたちがボディ・タッチすれすれで衛兵と写真を撮っていた。オバチャンは満面の笑みだが、衛兵は一瞬すごく不快な顔をした。でも、微動だにしないのが彼の仕事なので、すぐに真顔にもどった。仕事的には、バッキンガム宮殿の衛兵より大変だったりして…。
プラハ 04
門の彫刻もスゴかった
プラハ 05
お疲れ様です。
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■03 プラハ、百塔の町に君臨するプラハ城 (2)〜神秘の町〜
 プラハでは 1526 年からハプスブルク家の支配が始まり、 1583 年、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ 2 世 Rudolf II ( 1552-1612 )はウィーンからプラハに都を移した。その皇帝のアートディレクターのような存在であった人物が、後のダダイスムやシュールレアリスムの画家たちに影響を与えたアルチンボルト Giuseppe Arcimboldo ( 1527-1593 )。アルチンボルトの、動物や植物を組み合わせて描いた不思議な肖像画は、なんとも摩訶不思議だ。フェルディナンド 1 世 Ferdinand I ( 1556-1564 )、マクシミリアン 2 世 Maximilian II ( 1564-1576 )と宮廷画家としてハプスブルク家皇帝に仕えてきたアルチンボルトは、熱狂的珍品コレクターであったルドルフ 2 世の美術品蒐集顧問としてプラハにやってきた。

 錬金術と占星術に凝っていたルドルフ 2 世は、プラハの町に学者や芸術家やらを呼び集めた。プラハはヨーロッパの科学の中心地、すなわち魔術の中心地となる。プラハ城には黄金小道 Golden Lane / Zlatá ulicka という錬金術師たちが暮らした細い路地があるくらいだ。科学がまだまだ魔術のような認識だった時代に、錬金術師や占星術師は魔法使いのような存在だったように思う。『 ハリー・ポッターと賢者の石 (2001) HARRY POTTER AND THE SORCERER'S STONE / HARRY POTTER AND THE PHILOSOPHER'S STONE 』に出てくるような魔法使いほど現実離れした魔法使いはいなかったろうが、プラハにはたくさんの魔法使いがいたのだ。

 例えば、法王庁で処刑されたブルーノ Giordano Bruno ( 1548-1600 :イタリア、ルネサンス期の思想家。クザーヌスの宇宙無限説とコペルニクスの地動説を結合、無限の宇宙における無数の世界(太陽系)の存在・生成消滅を主張。また、物質の極小の単位として不滅の単子の存在を唱え、近代の宇宙論、原子論への布石となった。著「原因、原理および一者について」など。)、銀のつけ鼻をしていたという皇帝の占星術師ブラーエ Tycho Brahe ( 1546-1601 :デンマークの天文学者。望遠鏡発明以前の肉眼による最高精度の天文観測記録を残した。地動説には反対したが、その記録はケプラーに受け継がれ、「ケプラーの法則」を導く基礎となった。) 、我が高校時代、地学の授業をよりチンプンカンプンにしてくれたケプラー Johannes Kepler ( 1571-1630 :ドイツの天文学者。ティコ=ブラーエの火星観測記録をもとに火星など惑星の運動を研究し、ケプラーの法則を発見。著「新天文学」など。) らだ。

 そしてカフカ(「変身」など)の主な創作時期であった 20 世紀初頭も、プラハの文化が花開いた時期。同時期には、チェコ語で“労働”という意味の単語 robota から“ロボット robot ”という言葉を作った作家カレル・チャペック Karel Capek ( 1890-1938 :チェコスロバキアの劇作家・小説家。人間性をむしばむ機械文明や全体主義の矛盾を鋭く風刺する。戯曲「 R ・ U ・ R 」の中で「ロボット」という新造語を初めて使った。代表作「山椒魚戦争」) もいる。チェコ出身者で、国外で活躍した人々では、かのフロイト Sigmund Freud ( 1856-1939 :オーストリアの精神医学者。精神分析の創始者。自由連想法を主にした独自の神経症治療を創始し、無意識の過程と性的衝動を重視した精神分析学を確立。文学や芸術の領域にわたり大きな影響を与えた。1938年、ナチスの迫害を逃れ、ロンドンに亡命。著「夢判断」「精神分析入門」など。) や、「世界一の美しさ」と称されたパリの舞台女優、サラ・ベルナールのポスターを制作して一躍有名になたアールヌーヴォーの代表的画家アルフォンス・ミュシャ Alphonse Mucha ( 1860-1939 :チェコ語ではムハと発音するそうだ)らがいる。

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 プラハ城の聖ヴィート教会 St. Vitus's Cathedral / Katedrála sv. Víta には、ミュシャが制作した美しいステンドグラスがある。入り口から左 3 番目にあるのがそれだ。ミュシャの独特な作風なので、すぐに分かる。スポンサーとなった企業の名前もステンドグラス下部に描かれているのが、当時を反映しているように思った。聖ヴィート教会には観光客が集中していて、満員電車に乗るような感じで中に入った。中でも礼拝堂は超人気スポットで背の高い西洋人が群がっており、ちゃんと中を覗くことができなかった。ガイドさんによると、聖ヴィート教会は写真撮影は OK らしいので、カメラにだけは納めようと頑張ったんだけど…。
プラハ 06
聖ヴィート教会は、人がいっぱい!

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ミュシャのステンドグラスは、とても美しかった

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中を見せてくれ〜!

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プラハ城の聖イジー教会

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荘厳な雰囲気の聖ヴィート教会

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プラハ城のシンボル、聖ヴィート教会

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プラハ城の黄金小道

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キレイなブルーが印象的なカフカの家
 嘗て錬金術師が住んだプラハ城の黄金小道には、カフカがおよそ半年間暮らしたらしい家もある。キレイな青い壁が、他とは違うって感じ。当時から青かったのかなぁ?日本語を話すチェコ人のガイドさんは、こんな小さな部屋で暮らすことができたなんて信じられないと話していた。黄金小道の家々は、現在ではお土産屋さんになっている。黄金小道の黄金は、錬金術師が作り出そうとした黄金ではなく、 ♪MONEY, MONEY, MONEY ♪〔アバ ABBA 1976 年の曲〕になってしまったようだ。
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真ん中にカレル橋も見えます
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今から小道を下ります
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■04 プラハ、ヴルタヴァ川に架かるカレル橋
 プラハのシャッター・ポイントの一つであるカレル橋 Charles Bridge / Karluv most 。トム・クルーズ Tom Cruise (『 レインマン (1988) RAIN MAN 』『 マグノリア (1999) MAGNOLIA 』『 M:I−2 (2000) MISSION: IMPOSSIBLE 2 / M:I-2 』『 オースティン・パワーズ ゴールドメンバー (2002) AUSTIN POWERS IN GOLDMEMBER 』『 マイノリティ・リポート (2002) MINORITY REPORT 』『 ラスト サムライ (2003) THE LAST SAMURAI 』等)主演の『 ミッション:インポッシブル (1996) MISSION: IMPOSSIBLE 』の撮影もここで行われた。プラハ城からてくてく歩き、通りの壁に残る 2002年ヴルタヴァ川 Vltava 大洪水の増水跡を観ながらカレル橋にやって来た。橋の両側の欄干に 30 体の聖人像が立っている美しい橋は大勢の観光客で賑わっている。

 プラハ・カレル橋の 30 体の聖人像の中には、触ると幸運になるという聖ヤン・ネポムツキー John of Nepomuk / Johann Nepomucen ( 1345?-1393 )像がある。やっぱりここまで来たからには、触って帰らナ!頭の上に 5 ツ星が飛んでいるのが、聖ヤン・ネポムツキーだとガイドさんに教えてもらっていたが、頭の星を数えなくてもすぐにボヘミアの国民的聖人の像は分かった。聖ヤン・ネポムツキー像の周りに幸せになりたい観光客が群がっていたからだ。ガイドブックに、聖ヤン・ネポムツキー像はみんなが触る箇所が光っていると書かれていたので、触る部分はそれを見れば分かるだろうと思っていた。ところが、実際に目にすると光っている箇所は像の台部分に二箇所。どっちを触ればいいのだろうか?観光客が群がる中、必死に両方とも触っておいたけど…。

 聖ヤン・ネポムツキーは、時の神聖ローマ帝国皇帝ヴェンツェル Wenzel 〔ボヘミア王ヴァーツラフ 4 世 Wenceslas IV (独)ヴェンツェル=(捷)ヴァーツラフ〕と意見が対立したため、酷い拷問にかけられ、カレル橋からヴルタヴァ川へと投げ落とされて殺された。この話が伝説化されて変化し、 15 世紀中ごろには聖ヤン・ネポムツキーは告解の秘密をばらすことを拒否したために殺されたことになり、挙句に彼は王妃の告解を聞く司祭であったことになった。私のチェコ人のガイドさんは、聖ヤン・ネポムツキーが夢で見たことを皇帝に教えなかったからカレル橋から落とされたとも言っていた。色んな伝説があるようだ。

 プラハ・カレル橋の聖人の中で、日本人として注目なのは、日本にキリスト教を伝えたイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル Dominus Franciscus de Xabier ( 1506-1552 )。小学生の時、社会の教科書に載っていたフランシスコ・ザビエルは、日本の子供にはとても可笑しく感じられるヘアスタイルのお蔭で、子供達に人気(?)のあった歴史上人物。私がこれまで学校の教科書で見てきたザビエルは、どれも小学校の時に見たものと同じだったので、フランシスコ・ザビエルは頭のてっぺんをハゲさせていると勝手に思い込んでいた。ところが、カレル橋のフランシスコ・ザビエル像は毛がフサフサで驚いた。帰国後、ネットでフランシスコ・ザビエルと軽く検索してみたら、毛がちゃんとある肖像しか目にしなかった。今の子供達の教科書で、フランシスコ・ザビエルの肖像画がどうなのか知らないけど、私が昔見たままのヘアスタイルのザビエルの方が、子供達に偉人名を覚えさせるという意味では有効だろう。

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プラハ 16
壁の平行線が見えますか?

プラハ 18
マリオネットはチェコの名産品
顔がコワイものの方がお値段が高いらしい

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聖ヤン・ネポムツキー像

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聖フランシスコ・ザヴィエル像
こんな所でお目にかかるとは…
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この辺りでも『ミッション・インポシブル』の撮影があったそうだ

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カレル橋からプラハ城側を見る
真ん中が小地区橋塔、遠く右に見えるのがプラハ城
プラハ 21
右側にも触るところがある

プラハ 23
ヴルタヴァ川東岸へ

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■05 プラハ、建築史の教科書
プラハ 24
カレル橋の真横から撮影

プラハ 25
旧市街広場へ
左が旧市庁舎、真ん中の2本の塔がある建物がティーン教会


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旧市庁舎塔の下にある天文時計

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旧市街広場にある聖ミクラーシュ教会

プラハ 28
一番右端が、石の鐘の家。その左にあるピンク色の建物が
ゴルツ・キンスキー宮殿。真ん中に見えるのがヤン・フス像

 カレル橋を渡り終えたのは、正午頃。旧市街にあるカレル通り Charles Street / Karlova を歩いて旧市街広場 Old Town Square / Staromestské námestí へと向かう。旧市街広場には旧市庁舎 Old Town Hall / Staromestská radnice 、その下方にある天文時計 Astronomical Clock / Orloj 〔もうちょっと早く来ていたら仕掛け人形が見られたのに〜!〕、バロック様式の聖ミクラーシュ教会 Church of St. Nicholas / Kostel sv. Mikuláse 、ヤン・フス像 Statue of Jan Hus / Pomník Jana Husa 、ロココ様式のゴルツ・キンスキー宮殿 Golz-Kinský Palace / Palác Golz-kinských 、ゴシック様式のティーン教会 Church of Our Lady before Tyn / Matky Boží pred Týnem 等と見所がいっぱい。建築のことはよく分からないけど、それぞれの建物に違った雰囲気があるのは分かったような気がする。

 旅行したヨーロッパの町で、美しい古来の町並みに突然似つかわしくない近代的な建物があったりすると、戦争のせいかなぁと思うことがあるけど、プラハではほとんどそんなこと感じなかった。プラハの町に過去の様々な様式の建築物が残っている理由の一つに、ヒトラーが絶滅させようとしているユダヤ民族の博物館として町全体を保存しようとしたことがあるそうだ。なんだか皮肉だなぁ〜。

 プラハ旧市街の Kamzíkova 通りにあるレストランで、チェコ名物クネドリーキ Knedlíky を食べた後、再び町へと繰り出す。目指すは現在のチェコを知る場所、スーパーマーケットだ。プラハには西岸にフランスの大手スーパー、カルフール Carrefour 、東岸の新市街にイギリスの大手スーパー、テスコ TESCO が進出してきている。本当はカルフールに行ってみたかったけど、遠そうなので、歩いていけるテスコを目指した。

 プラハのテスコへ向かう途中に、名勝も見ていこうと、ちょっと遠回りだけど、ゴシック様式の火薬塔 Powder Tower / Prasná brána 、アールヌーヴォー様式の市民会館 Municipal House / Obecni dum を超特急で観に行った。そして旧市街広場に戻って、Zelezná 通りを下り、中欧最古の大学、カレル大学の本部であるカロリヌム Carolinum / Karolinum 〔因みに、午前中、プラハを案内してくれたチェドック Cedok (国営時代はチェコの旅行業務を取り仕切っていた)のガイドさんは、カレル大学で日本研究を専攻。〕、その横にあるエステート劇場 Estate Theatre 〔スタヴォフスケー劇場 Stavovské divadlo 〕へ。

 それから Havírská 通り、Na Príkope 通りを歩いてヴァーツラフ広場 Wenceslas Square / Václavské námestí へと辿り着く。翌日開催されるプラハ国際マラソンの催し物のようなテントが張られ、いつもの景色とは違うようだ。プラハ一の繁華街ヴァーツラフ広場は、大通りのような感じで、遠く広場の端に国立博物館とその前に立つ聖ヴァーツラフ像が見える。そこまで行っている時間はないので、そのまま 28.ríjna 通り、Národní 通りをまっすぐ歩いてテスコへ。テスコの帰りには、ベツレへム礼拝堂 Betlémska kaple の外観も見に行った。

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プラハ 29
蒸しパンのようなのがクネドリーキ。思ったより美味しかった

プラハ 31
目を見張るようなキレイな建物

プラハ 33
チェコ人監督ミロシュ・フォアマン監督のアカデミー賞作品
『アマデウス (1984) AMADEUS』の撮影が行われた

プラハ 35
プラハ国際マラソンは明日!

プラハ 37
何のためにここにこんなものが?

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黒いのは汚れているから?

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カレル大学の本部

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美しい繁華街

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まるで大通りのようなヴァーツラフ広場

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ベツレヘム礼拝堂

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■06 プラハ、買い物天国?
 プラハのテスコへ入る前に気になったのが、さっきから数店舗見かけていた黄色に青字で「39.-」と書かれた店。現在のチェコの通貨であるチェココルナは、 1 コルナ=約 4.38 円くらいだから、 39 コルナはおよそ 171 円だ。きっと日本の 105 円ショップのようなお店だろう。町行く観光客の中にも、その店の袋を持って歩いている人もいる。ちょっと興味が沸いて中に入ってみた。インドの神様(?)の絵が描かれたお財布みたいなものとか摩訶不思議なものも売られているが、とても 171 円には見えない(?)ようなカバンなんかも店頭に並んでいる。日本の 105 円ショップのクオリティーに比べれば、まだまだな感じ。

 テスコも同様、思った程ときめかなかった。大きさ的にはプラハのより小さかったけど、ロンドンのハマースミスの地下鉄で行ったテスコの方がずっと楽しかった。きっとここプラハでは言葉が全然分からないからだろう。それと、チェコはまだ国内の製造業が安定していないのか、外国製品が多いような気がした。チェコのお土産にチョコレート等買おうとしたが、オーストリアやベルギー、フィンランドといった他のヨーロッパの国のものが目に付く。文房具などは、カワイイものがなかったので、まだデザインまでは手が回っていないのかもしれない。

 エレベーターは中々来ないし、止まっていて階段になっているエスカレーターもあった。やっぱり私は不況に喘(あえ)げどまだ豊かな国に暮らしているんだなぁと実感。とはいえ、チェコは現在、右肩上がりな国。数年後にまたこの国に来たら、楽しいスーパーになっているかも。その分、物価も上がっているだろうけどね。(だったらまた何も買えないかも…。)結局、買い物は帰りのプラハ・ルズィニェ国際空港 Letiste Praha-Ruzyne でした。世界一美味しいというチェコのビールを父へのお土産にした。テスコでもっと安く売っていたけど、持ち運ぶ重さを考えて空港で買った。それと、割引されていたイギリスのチョコレート。おかげでチェココルナを全部使い切ることができた。あ〜、スッキリした!

 そうそう、空港へ向かうまでに、高級ブランドの値段はどうだろうと、お金も無いのに Parízská 通りのルイ・ヴィトンへ行ってみた。店員の高飛車度は、パリほどじゃないけど、やっぱり不親切。ルイ・ヴィトンの値段はやっぱりパリが一番安いと思った。(態度は最悪だけど。)快く高級ブランドを買うなら、香港が最高だろう。
 
プラハ 39
わりと流行っているみたい

プラハ 40
プラハのテスコ。プラハのカルフールの方が新しいみたい。

プラハ 41
まっすぐ歩いていくと、ヴルタヴァ川に出る

プラハ 42
プラハ・ルズィニェ空港
 観光都市プラハで見かけた西洋人は、チェコ人よりもヨーロッパ諸国からの旅行者がほとんど。きっと物価の安さを求めて、 EU 旧加盟国の観光客が押し寄せているのだろう。私がプラハ観光をしたのは土曜日。ガイドさん曰く、チェコ人は土・日は郊外の別荘なんかで家族でゆっくりと過ごすそうだから、プラハのチェコ人人口密度はもっと低かったに違いない。世界でも難解な言語の一つとなっているチェコ語のせいで、東洋人だけでなく西洋人の団体旅行も多い。個人主義の発達したヨーロッパの国の人々は、群れを成して行動することにストレスを感じているのだろうか、同じように団体旅行をしている東洋人を見ると、「日本人だ。」と怪訝な顔をする人がいたりする。そういう人種偏見主義者は、ある朝目覚めて巨大な虫になっておればいいと思う。

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※チェコ語の表記でハーチェク、クロウジェクは割愛しています。
Text by Sati
coda21「映画の森てんこ森」幸田幸。
coda_sati@hotmail.com
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