バベットの晩餐会 | |
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映画の森てんこ森■映画レヴュー | |
バベットの晩餐会 (1987) | |
BABETTE'S FEAST | |
映画『 バベットの晩餐会 (1987) BABETTE'S
FEAST 』をレヴュー紹介します。 映画『 バベットの晩餐会 BABETTE'S FEAST 』を以下に目次別に紹介する。 ■映画『 バベットの晩餐会 』の解説及びポスター、予告編 ネタばれをお好みでない方はこの解説をご覧下さい。 ■映画『 バベットの晩餐会 』の映画データ ■映画『 バベットの晩餐会 』のトリビア ■映画『 バベットの晩餐会 』のスタッフとキャスト ■映画『 バベットの晩餐会 』の<もっと詳しく> <もっと詳しく>は映画『 バベットの晩餐会 』の「テキストによる映画の再現」レヴュー(あらすじとネタバレ)です。※ご注意:映画『 バベットの晩餐会 (1987) BABETTE'S FEAST 』の内容やネタバレがお好みでない方は読まないで下さい。 ■映画『 バベットの晩餐会 』バベットが用意したメニュー ■映画『 バベットの晩餐会 』の結末 ■映画『 バベットの晩餐会 』原作者アイザック(イサク)・ディネーセン ■映画『 バベットの晩餐会 』バベット役のステファーヌ・オードラン ■映画『 バベットの晩餐会 』の更新記録 >>「映画解説・レヴュータイトル一覧表」へ(画面の切り替え) |
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幸の鑑賞評価: 8つ星 | |
■映画『 バベットの晩餐会 (1987) BABETTE'S FEAST 』の解説及びポスター、予告編 | |
バベットの晩餐会 |
■映画『 バベットの晩餐会 BABETTE'S FEAST
』の解説 映画『 バベットの晩餐会 (1987) BABETTE'S FEAST 』は、1987 年のアカデミー賞、1988年の英アカデミー賞で、それぞれ外国語映画賞に輝いたガブリエル・アクセル監督の美味しそうな一品。デンマークの紙幣に顔が印刷されている原作者アイザック(イサク)・ディネーセンは、『 愛と哀しみの果て (1985) OUT OF AFRICA 』の作者として有名な、本名をカレン・ブリクセン( 1885 - 1962 )というデンマークの貴族女性である。 『 バベットの晩餐会 』のストーリー。ユトランド半島にある侘しい海辺の村に暮らす、ルター派の敬虔なキリスト教徒である老姉妹マーチーネ(ビルギッテ・フェダースピール)とフィリパ(ボディル・キュア)には、バベット(ステファーヌ・オードラン:『 パリのレストラン (1995) AU PETIT MARGUERY 』等に出演)というフランス人の召使がいた。なぜそんな召使が老姉妹のところにいるのかは、彼女たちの心に秘めた思い出と関係がある。ある宗派の創始者であった、老姉妹の亡き父の生誕 100 周年を祝う日に、バベットはフランス式の晩餐の料理を作りたいと申し出る…。 |
●スチルはnostalgia.com、予告編はcinemaclock.comより許諾をえて使用しています。 Filmography links and data courtesy of The Internet Movie Database & Nostalgia.com. Filmography links and data courtesy of CinemaClock Canada Inc. |
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■映画『 バベットの晩餐会 (1987) BABETTE'S FEAST 』の映画データ | |
上映時間:102分 製作国:デンマーク 公開情報:シネセゾン デンマーク初公開年月:1987年8月28日 日本初公開年月:1989年2月 ジャンル: ドラマ/コメディ |
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■映画『 バベットの晩餐会 (1987) BABETTE'S FEAST 』のトリビア | |
『 バベットの晩餐会 (1987) BABETTE'S FEAST
』のようにアカデミー外国語映画賞受賞又はノミネート作品の「映画の森てんこ森」にある映画レヴュー: 『 HERO (2002) HERO (英題) / 英雄 (原題) 』(ノミネート) 『 アメリ (2001) AMELIE POULAIN / LE FABULEUX DESTIN D'AMELIE POULAIN 』(ノミネート) 『 グリーン・デスティニー (2000) 臥虎藏龍 (原題) / CROUCHING TIGER, HIDDEN DRAGON 』 『 ライフ・イズ・ビューティフル (1998) LA VITA E BELLA / LIFE IS BEAUTIFUL 』 『 カミーユ・クローデル (1988) CAMILLE CLAUDEL 』(ノミネート)等があります。 |
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【『 バベットの晩餐会 』のスタッフとキャスト】 | |
監督: ガブリエル・アクセル Gabriel Axel
原作: アイザック・ディネーセン Isak Dinesen 脚本: ガブリエル・アクセル Gabriel Axel 撮影: ヘニング・クリスチャンセン Henning Kristiansen 音楽: ペア・ヌアゴー Per Norgaard 出演: ステファーヌ・オードラン Stephane Audran バベット ビルギッテ・フェダースピール Birgitte Federspiel 年老いたマーチーネ ボディル・キュア Bodil Kjer 年老いたフィリパ ビビ・アンデショーン Bibi Andersson スウェーデン宮廷の侍女 ジャン=フィリップ・ラフォン Jean-Philippe Lafont アシール・パパン ヤール・キューレ Jarl Kulle 年老いたローレンス・レーヴェンイェルム ▲TOPへ |
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<もっと詳しく> | |
ストーリー展開の前知識やネタバレがお好みでない方は、読まないで下さい。 |
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■映画『 バベットの晩餐会 (1987) BABETTE'S
FEAST 』の「テキストによる映画の再現」レヴュー 【バベットの晩餐会 第01段落】 19 世紀、静寂と潮騒に包まれている、ユトランドの海辺の村に、マーチーネとフィリパの老姉妹が暮らしていた。牧師で預言者であり、また、ある宗派の創始者であった彼女たちの父親は、今はもう亡くなっているが、父の教えは二人の心にしみ込んでいた。老人宅に食事を配達したりと、彼女たちは僅かな収入で善行を行っている。尊敬と畏れを持って父を崇拝していた信者たちは今ではもう少なくなっていたが、時々老姉妹の家に集って、聖書を読んだり亡き牧師を称えたりしていた。そんな姉妹にはバベットというフランス人の召使がいた。フランスはカトリック教徒の多いお国柄であり、ヨーロッパの文化の中心地である。こんな侘しい村のルター派姉妹の家になぜフランス人の召使がいるのだろうか。 【バベットの晩餐会 第02段落】 姉妹が若い頃は、花咲く果樹と謳われるほど美しかった。彼女たちは社交界に出なかったので、村の若者たちは二人を見るために教会を訪れた。信者たちは地上の愛と結婚を幻影だとしていたので、勿論美しい姉妹もそう考えていたのだろう。二人の娘を伝道活動の担い手だとみなしていた父親は、彼女たちに求婚に来る若者たちをことごとく断った。しかし、そんな彼女たちの心の平安を乱す若者が外の世界からやって来た。 【バベットの晩餐会 第03段落】 スウェーデン軍の士官であるローレンス・レーヴェンイェルムは、借金を背負い込んでしまった。彼の父親は、息子を戒める為に、伯母の住むユトランドの村で3ヶ月ほど暮らすことを命じた。馬で村を散策していた若きローレンスは、マーチーネと出会った。スラリとした肢体で牛乳の缶を運ぶマーチーネを見て、ローレンスは借金の催促も親の説教もない気高い暮らしを想像した。彼は敬虔な伯母のお陰で、牧師の家に出入りすることができた。足繁く通ったローレンスは、マーチーネの隣にいつも座って牧師の説教を聴いていたが、次第に自分の影が薄くなるのを感じた。彼は集会の途中で席を立ち、見送りに出たマーチーネの手にキスをして、去っていった。 【バベットの晩餐会 第04段落】 マーチーネとの出会いはローレンスを変えた。同僚達が恋の話に浮き立つときも、彼は一人黙っていた。マーチーネを忘れる為、いつか一角の人物になってやると、軍務に没頭したローレンスは、王妃の侍女と結婚し、当時"敬虔"が流行っていた宮廷で牧師の家で聞いた言葉を話し、頭角を現していった。 【バベットの晩餐会 第05段落】 その一年後、パリの大歌手アシール・パパン(ジャン=フィリップ・ラフォン)が村を訪れた。公演でストックホルムに来ていた彼は、孤独が好きだなどとイキッた事を言ってしまった為に、このユトランドの寒村での療養を勧められたのだった。灰色の海と空に、パパンは急に年老いたような憂鬱な気分になった。海岸で佇む彼の耳に、賛美歌を歌う美しい歌声が入ってきた。その声に導かれるように教会の中に入ったアシールは、何人もいる信者の中から、その美声の持ち主を判別した。その女性フィリパに心奪われたアシールは、牧師を訪ね、彼女に歌のレッスンをすることを申し出た。パパンが美しい歌声は神を称えるのに必要だと説得したからか、パパンがカトリック教徒であることに安心したからか、牧師はレッスンを承諾した。 【バベットの晩餐会 第06段落】 レッスンが始まると、パパンはフィリパの才能に驚き、彼女が自分と一緒にパリに行き、二人で活躍することを夢見た。レッスンの中で恋人同士のオペラを歌う二人。その二人の声を隣の部屋で聞く父と姉は、妹が地上の愛に溺れてしまうのではないかと怯えていた。すっかり歌とフィリパに酔いしれているパパンは、感情を顕にして歌うが、フィリパはそんなパパンを慕いながらも恐れをなしてしまった。彼女は父親にレッスンを止めたいと告げた。 【バベットの晩餐会 第07段落】 レッスンから上機嫌で帰ってきたパパンの歌声が、彼が宿にしている食料品店から聞こえている。牧師は食料品店の主人にパパンへの手紙を渡した。外で彼の歌声がやむのを聞いた牧師は、ほくそ笑んで家に戻った。アシール・パパンはすぐに船に乗り、パリへと戻っていった。 【バベットの晩餐会 第08段落】 それから何十年も経った 1871 年 9 月のある夜。嵐でずぶ濡れになった女性がマーチーネとフィリパの家を訪ねてきた。雨に打たれて衰弱しているその女性は姉妹に手紙を渡した。それはあのアシール・パパンからだった。その手紙には、史上初のプロレタリア革命であるパリ・コミューンで、夫と息子を殺され、自身も危うく命を失うところだったというその哀れな女性バベットを、姉妹の家に置いてもらえないかということが書かれていた。そしてこの 35 年間のパパンのフィリパへの変わらぬ想いも綴られていた。大歌手として成功を手にしたパパンであったが、今は嘗てのファンにも忘れられ、独り身の寂しい老人となっているようだ。 【バベットの晩餐会 第09段落】 パパンの手紙から察するに、バベットは腕利きの召使のようだ。そんな召使を雇う余裕は無いと、姉妹が残念そうに言うと、お金は要らない、置いてもらえなければ後は死ぬだけだと、バベットは涙ながらに懇願する。心優しい老姉妹は彼女を受け入れることにした。 【バベットの晩餐会 第10段落】 ルター派のこの寒村での食事は、とても倹しい、というか、とても不味そうなものだ。老姉妹はバベットにその料理の仕方を、デンマーク語と共に教える。干したヒラメ(?)を水に浸したものを茹でた料理や、固いパンにビールを混ぜて煮込んだ茶色い料理が、老姉妹や彼女達が世話をする老人達の食事だ。バベットもその料理を食べたが、考え深げである。多分どうすればその材料をいかせるかを考えていたのだろう。バベットは食料品店でタマネギと砂糖を買った。召使として有能なバベットとの生活は快く、また、老姉妹の生活は金銭的にも少し余裕が出るようになった。 【バベットの晩餐会 第11段落】 バベットが来て 14 年が経った。食材の調達に、デンマーク語を操って上手に値切り交渉をする彼女は、すっかり村に馴染んでいる。彼女の故郷フランスとのつながりは、今では毎年親友が買ってくれる宝くじだけになっていた。老姉妹の家では今も信者達が集っていたが、彼らも年とともに短気で気難しくなり、神を称えるべき集会は諍いの場となっていた。口論で賛美歌も歌うことができない。そんな信者たちの団結心・信仰心を取り戻す為、姉妹は来る 12 月 15 日の父の生誕 100 周年を皆でお祝いすることにした。 【バベットの晩餐会 第12段落】 バベットにフランスからの郵便が届いた。なんと彼女は一万フランの宝くじが当たったのだ!老姉妹はバベットがフランスへ帰ってしまうのではないかと思う。バベットは姉妹に初めて願い事をした。それは、フランス式の料理で牧師の生誕 100 周年を祝う晩餐を作らせてほしいというものだった。バベットが費用を出すというので、姉妹は反対したが、自分が今まで頼み事をしたことがあったでしょうかと言うバベットの言葉に、彼女の願いを聞き入れることにした。バベットは晩餐の準備のために8日間の休みを取った。老姉妹はその間自分たちだけで皆を満足させることができるかどうか不安だった。案の定、老人たちは姉妹の例の茶色い料理にゲッソリした。 【バベットの晩餐会 第13段落】 フランスからバベットが戻ってきた。鶉や海がめなど、今まで見たことも無いような食材が老姉妹の家に運ばれた。恐ろしげな海がめの姿を見て、マーチーネは怖い夢を見た。魔女となったバベットの料理を食べた信者達が次々と倒れる夢だ。マーチーネは慌てて信者を集め、何を食べさせられるかわからないと泣きながら晩餐会のことを話した。気持ちが離れ離れになっていた信者たちだったが、このときは一致団結した。晩餐会では味覚が無い様に振舞おう、食事の話は一切しないでおこうと固く誓ったのであった。 【バベットの晩餐会 第14段落】 あのローレンス(ヤール・キューレ)の伯母のレーヴェンイェルム夫人から、甥を伴って晩餐会に出席したいという手紙が姉妹の家に届いた。出席者は全部で 12 人となった。ローレンスは若い頃願ったように一角の人物となっていた。しかし、彼の心は虚しかった。彼が再びあの侘しいユトランドの寒村を訪れる気になったのは、自分の人生の選択が正しかったかどうか確かめる為であった。 【バベットの晩餐会 第15段落】 バベットは晩餐料理の支度に忙しい。そんな彼女を手伝うのは、食材といっしょに連れてきた彼女の甥の少年だ。厨房を覗いたマーチーネは、牛の頭や羽をむしられた鶉の姿にぞっとした。ローレンス・レーヴェンイェルム将軍が伯母と一緒に到着した。晩餐の用意ができたと少年が告げ、信者たちと一緒に将軍も、食卓へと向かった。食卓の上には、綺麗に孔雀の形に折られたナプキンや、ろうそく、皿などが並べられ、将軍は思いもしなかった光景に驚いたようだった。信者たちは料理を味わってはならないと、祈りを捧げた。 【バベットの晩餐会 第16段落】 厨房で料理を作るバベットの指示で、少年が次々と客人にサーヴしていく。この晩餐会の料理やワインは、どれも素晴らしいものばかり。出席者の中で唯一その価値のわかる将軍は、それらを絶賛するが、信者は誰も料理について答えない。しかし、マーチーネはそんな将軍を見て、嬉しく感じる。味わってはいけないと思いながらも、今まで味わったことの無い至極の味に、信者たちの顔は微妙である。また、田舎者の信者たちは将軍のテーブルマナーを真似したりしようとする。それらがなんとも面白い。 【バベットの晩餐会 第17段落 バベットが用意したメニュー】 バベットが用意したメニューは次の通り。 Potage a la Tortue(海がめのスープ) Amontillado Sherry(アモンティラード) <アモンティラードは、ミディアムドライのシェリー酒> Blini Demidoff au Caviar(キャビアのドミドフ風) Veuve Clicquot Champagne 1860(ヴーヴ・クリコ 1860 年もの) <世界的に有名なシャンパン・メーカー「ヴーヴ・クリコ」の社名の意味は「クリコ未亡人」。1805 年に急死した夫から 27 歳の未亡人ニコル・バルブ・ポンサルダンがブランドを引き継いだことが名称の由来のようだ。> Caille en Sarcophage avec Sauce Perigourdine(フォアグラとトリュフのソースがかかった鶉のパイ) Clos de Vougeot 1845 (クロ・ヴージョ 1845 年もの) <クロ・ヴージョは、中世、シトー派の修道僧達が造ったワインの一つ。ブルゴーニュにあるクロ・ヴージョの畑は 50ha と大きく、沢山の所有者がいることでも有名。> La Salade(サラダ) Les Fromages(チーズ) Baba au Rhum avec les Figues(乾燥イチジクとラム酒が注がれたレーズン入りスポンジ・ケーキ) Les Fruits(フルーツ) Cafe(コーヒー) Fine Champagne(フィーヌ・シャンパーニュ) <フィーヌ・シャンパーニュとは規格名で、コニャック・ブランデーとして条件を満たし、グラン・シャンパーニュ産 50 %以上とプチ・シャンパーニュ産をブレンドしたもの。> 【バベットの晩餐会 第18段落】 鶉のパイが出てきたとき、ローレンスは若い士官だった頃パリの高級レストラン"カフェ・アングレ"で食べた同じ料理を思い出した。確かこれは "カフェ・アングレ"の女料理長の創作料理。そんな名作がこんなところで食べられるなんて!ローレンスは感激を語るが、それでも誰も応えない。しかし、食後のコーヒーとブランデーを飲むころには、信者たちの心は、今まで味わったことの無い素晴らしい料理のお陰ですっかり幸せになっていた。ピアノに併せたフィリパの歌声を聞きながら、出席者たちは全員神の恵みを感じていた。 ・・・ ▲TOPへ ◆ここからは、結末まで書いていますので、ストーリー全体が分ります。御注意下さい。 ATTN: This review reveals the movie content. Please don't say that I didn't say ! 【バベットの晩餐会 第19段落】 家を出るとき、ローレンスはマーチーネに告白する。「いつどこにいてもあなたと一緒でした。それはご存知ですね。これからも毎日あなたと共に生きる。それもご存知ですね。…肉体がどんなに離れていようと構わない。心は一緒です。今夜私は知りました。この美しい世界では全てが可能だと。」うなずくマーチーネの手にキスをして、将軍は帰っていった。 【バベットの晩餐会 第20段落】 星降る空の下、幸福な気持ちで満たされている信者たちは、手をつなぎ、輪になって賛美歌を歌った。老姉妹は嬉しそうに彼らを見守った後、厨房で佇むバベットに礼を言いに行った。バベットは自分がカフェ・アングレの料理長だったことを明かす。あなたがパリに戻っても今夜のことは忘れないと言う姉妹に、バベットはパリには戻らないと答える。一万フランがあるのにと、不思議に思う姉妹に、バベットは「カフェ・アングレの 12 人分は一万フランです」と話す。 【バベットの晩餐会 第21段落】 一万フランは、今だったら、1フラン=約 19.3 円として 19 万 3000 円。でも、当時の換算ではそんな小額ではないのでは?イタリアン大通りにあったパリの最高級レストラン、カフェ・アングレが 1913 年に閉店してしまっているので、コースメニューが幾ら位なのか分からない。だから 1582 年にセーヌ川の辺に開店し、現在も各国のセレブたちの食を満たす高級レストラン、トゥールダルジャンを例にとって考えてみようと、パリ本店のオフィシャルサイトを観たが、お料理の値段が載っていなかった。日本のお寿司屋さんのように、時価なんだろうか。死ぬまでに一度行ってみたいような気がするけど、怖くて行けないなぁ。 【バベットの晩餐会 第22段落】 自分たちの為にそんな大金を使ってしまうなんて、一生貧しいままになると心配する老姉妹に、バベットは「貧しい芸術家はいません」と言う。その言葉に、音楽という芸術を愛したフィリパは心動かされて立ち上がり、今夜の料理がパリで出されたものなのかバベットに尋ねる。「世界中で芸術家の心の叫びが聞こえる、私に最高の仕事をさせてくれ。」というアシール・パパンの言葉を話すバベットに、フィリパは自分達が同類であることを感じた。嘗てはフィリパもパリのオペラ座で自分の芸術を披露することを夢見たが、神の意思でこの寂しい村で一生を過ごした。しかし、芸術家として成功を収めたパパンの晩年からもわかるように、地上の名声は虚しい。フィリパは 14 年前にバベットが携えてきたパパンからの手紙の言葉を引用した。きっと彼女はあの手紙を何度も読んだのだろう。バベットが芸術家として料理の腕を揮えるのはこれが最後ではない、天国で最高の芸術家になるのが神の定めだと言って、フィリパは彼女を抱きしめた。 ▲TOPへ 【映画『 バベットの晩餐会 』原作者アイザック(イサク)・ディネーセン( 1885-1962 )】 【バベットの晩餐会 原作者アイザック(イサク)・ディネーセン 第01段落】 デンマークの男爵夫人カレン・ブリクセン Karen Blixen は、アイザック(イサク)・ディネーセンという男性名のペンネームで、主として英語で数多くの著作がある。不気味で超自然的な要素を持つ作風で知られる彼女は、 1885 年 4 月 17 日に、ウィルヘルム・ディネーセン Wilhelm Dinesen とインゲボルグ・ヴェステンホルス Ingeborg Westenholz の二番目の子供として生まれた。幼いカレンが自分の名前の発音できなくて" Tanne "と言っていたのが、家族の中でのカレンの愛称だった。彼女はその呼び名が嫌いだったそうだ。子供達の中でもカレンのことを一番愛した父ウィルヘルムは、 1895 年に自殺した。 【バベットの晩餐会 原作者アイザック(イサク)・ディネーセン 第02段落】 1914 年にカレンはブロア・フォン・ブリクセン・フィネク男爵 Bror von Blixen-Finecke と結婚した。彼は父のいとこの息子なのだが、カレンは先にブロアの双子の兄弟であるハンスのことが好きだった様だ。ハンスとは巧く行かなかったので、ブロアに乗り換えたということなのだろうか。コーヒーのプランテーションで生計を立てるため、彼女は夫と共にイギリス領東アフリカに移り住んだ。 1921 年に離婚し、彼女はプランテーションの経営を引き継いだ。 1931 年、コーヒー価格の暴落で彼女はデンマークに戻らなければならなくなった。 【バベットの晩餐会 原作者アイザック(イサク)・ディネーセン 第03段落】 アフリカでの経験から、彼女は自叙伝的小説「 アフリカの日々 (1937) Out of Africa 」を書く。この小説を原作とした、シドニー・ポラック Sydney Pollack 監督(『 アイリス (2001) IRIS 』等の製作総指揮、『 チェンジング・レーン (2002) CHANGING LANES 』等に出演)の映画『 愛と哀しみの果て (1985) OUT OF AFRICA 』は、アカデミー作品賞に輝くなど、大成功を収めた。カレンを演じたメリル・ストリープ Meryl Streep (『 マディソン郡の橋 (1995) THE BRIDGES OF MADISON COUNTY 』『 アダプテーション (2002) ADAPTATION 』『 めぐりあう時間たち (2002) THE HOURS 』等等に出演)と、デニスを演じるロバート・レッドフォード Robert Redford (『 スパイ・ゲーム (2001) SPY GAME 』『 ラスト・キャッスル (2001) THE LAST CASTLE 』等に出演)の美男美女のメロドラマに感動した。小説の中では、デニス・フィンチ・ハットン Denys Finch Hatton の登場は一部にしかないらしい。 【バベットの晩餐会 原作者アイザック(イサク)・ディネーセン 第04段落】 かのオーソン・ウェルズ Orson Welles もカレンの小説を映画にする為に、何年もかかって沢山の計画を立てた。しかし、そのうちの一つである『 The Immortal Story (1968) 』しか実現しなかった。オーソン・ウェルズはその映画ので、監督・脚本・主演の三つの役をこなした。 【バベットの晩餐会 原作者アイザック(イサク)・ディネーセン 第05段落】 カレン・ブリクセンの他の小説には「 七つのゴシック物語 (1934) Seven Gothic Tales 」などがある。重病にも拘わらず、アフリカの思い出を描いた「 Shadows on the Grass(1960) 」を書き上げて、 1962 年 9 月 7 日に 77 年間の生涯を閉じた。彼女が暮らしたケニアのナイロビとデンマークのルングステッドには、カレン・ブリクセン博物館がある。行ってみたい。 ▲TOPへ 【映画『 バベットの晩餐会 』バベット役のステファーヌ・オードラン】 【バベットの晩餐会 ステファーヌ・オードラン 第01段落】 トリュフォーやゴダールと並び称されるヌーベルヴァーグの旗手であった、彼女の二番目の夫クロード・シャブロル Claude Chabrol 監督の 24 本の映画に出演し、冷たい上品な美しさを披露していたステファーヌ・オードランは1932 年 11 月 2 日生まれのさそり座の女。俳優のジャン=ルイ・トランティニャン Jean-Louis Trintignant が彼女の最初の夫だ。 1964 年に結婚したシャブロル監督の映画『 Violette Noziere (1978) 』で、ステファーヌは薄幸な女性というそれまでとは逆のタイプの女性を演じ、フランスのセザール賞を獲得した。そして監督との間にできた息子が『 パリのレストラン 』で共演していた、トマ・シャブロル Thomas Chabrol (ホモっぽい体育教師役)。ちょっと驚き。コネッてどんな業界でも大切だ。しかし、クロード・シャブロル監督とも結局は別れた。 【バベットの晩餐会 ステファーヌ・オードラン 第02段落】 エイドリアン・ライン Adrian Lyne 監督の『 運命の女 (2002) UNFAITHFUL 』の元映画であるシャブロル監督の『 La Femme Infidele (不実な女) 』( 1969 ・日本未公開)の主演はもちろんステファーヌ・オードランで、イタリア語題では『 Stephane, una moglie infedele (ステファーヌ、不実の妻) 』という。 【バベットの晩餐会 ステファーヌ・オードラン 第03段落】 ライン監督版の方のダイアン・レイン Diane Lane (『 陽だまりのグラウンド (2001) HARDBALL 』『 運命の女 (2002) UNFAITHFUL 』『 トスカーナの休日 (2003) UNDER THE TUSCAN SUN 』等)とリチャード・ギア Richard Gere(『 プリティ・ブライド (1999) RUNAWAY BRIDE 』『 プロフェシー (2002) THE MOTHMAN PROPHECIES 』『 シカゴ (2002) CHICAGO 』『 Shall we Dance? シャル・ウィ・ダンス? (2004) SHALL WE DANCE? 』等に出演)の夫婦役も良かったが、シャブロル監督版のステファーヌ・オードランとミシェル・ブーケ Michel Bouquet も観てみたいな。本作『 バベットの晩餐会 』や『パリのレストラン』の、重ねた年齢を活かした味のある役を演じるステファーヌ・オードランを観て、若い頃の妖艶な彼女にも興味が湧いてきた。 以上。 <もっと詳しく>からスペースを含まず8869文字/文責:幸田幸 参考資料:「映画の森てんこ森」映画タイトル集 http://www.coda21.net/eiga_titles/index.htm IMDb allcinema ONLINE Nostalgia.com CinemaClock.com Yahoo! JAPAN http://www.infoplease.com/people.html Karen Blixen Museet TOUR D'ARGENT Mainichi INTERACTIVE Menu at Babette's Cafe |
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■映画『 バベットの晩餐会 (1987) BABETTE'S FEAST
』の更新記録 2003/01/24新規: ファイル作成 2004/07/11更新: ◆テキストとリンク一部およびファイル書式 2005/03/11更新: ◆一部テキスト追記と書式変更 2005/03/30更新: ◆データ追加 |
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幸田 幸 coda_sati@hotmail.com |
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