イザベル・アジャーニの惑い | |||||||||||||||||||||||||||
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イザベル・アジャーニの惑い (2002) | |||||||||||||||||||||||||||
ADOLPHE | |||||||||||||||||||||||||||
映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002)
ADOLPHE 』をレヴュー紹介します。 映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』を以下に目次的に紹介する。 ■映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』のポスター、予告編および映画データ ■映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』の解説 ネタばれをお好みでない方はこの解説をご覧下さい。 ■映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』の主なスタッフ ■映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』の主なキャスト ■映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』の受賞 ■映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』のスタッフとキャスト ■映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』の<もっと詳しく> <もっと詳しく>は映画『 イザベル・アジャーニの惑い 』の「テキストによる映画の再現」レヴュー(あらすじとネタばれ)です。※ご注意:映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』の内容やネタばれがお好みでない方は読まないで下さい。 ■映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』の結末 ■映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』の感想 ■映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』の更新記録 >>「映画解説・レヴュータイトル一覧表」へ(画面の切り替え) |
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幸の鑑賞評価: 9つ星 | |||||||||||||||||||||||||||
■映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』のポスター、予告編および映画データ | |||||||||||||||||||||||||||
イザベル・アジャーニの惑い ポスターはALLOCINE.COM より使わせて頂いてます。
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●スチルはnostalgia.com、予告編はcinemaclock.comより許諾をえて使用しています。 Filmography links and data courtesy of The Internet Movie Database & Nostalgia.com. Filmography links and data courtesy of CinemaClock Canada Inc. |
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■映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002)
ADOLPHE 』の解説 映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』は、フランス革命から七月革命までの激動期を生き抜いた政治家であり文学者であったバンジャマン・コンスタン Benjamin Constant (1767-1830)の古典的傑作である心理小説「アドルフ Adolphe 」の映画化作品。完全な原題は、“ ADOLPHE DE BENJAMIN CONSTANT ”だ。 映画『 イザベル・アジャーニの惑い 』では、 22 歳で大学を卒業したばかりの前途有望な青年アドルフは、とある小さな町で、ある伯爵の愛人であった 10 歳年上の美しく気高い女性エレノールに恋をする。しかし、一旦彼女を手に入れると、恋の魅惑は色褪せて…。 ▲TOPへ ■映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』の主なキャスト ●映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』で、アドルフへの想いに身を焦がすエレノールを演じるのは、邦題『 イザベル・アジャーニの惑い 』にその名が冠せられている、フランスを代表する女優イザベル・アジャーニ。 『 アデルの恋の物語 (1975) L'HISTOIRE D'ADELE H. (原題) / THE STORY OF ADELE H. (米題) 』 『 カミーユ・クローデル (1988) CAMILLE CLAUDEL 』 『 王妃マルゴ (1994) LA REINE MARGOT 』等で、情熱の女性を見事に演じ、 『 ボン・ヴォヤージュ (2003) BON VOYAGE 』 『 イブラヒムおじさんとコーランの花たち (2003) MONSIEUR IBRAHIM ET LES FLEURS DU CORAN 』等にも出演のイザベル・アジャーニが、作品に思い入れてブノワ・ジャコ監督にこの映画『 イザベル・アジャーニの惑い 』の企画を持ちかけだけあって、彼女の演技は素晴らしい。フランス紙ル・モンドでは『 イザベル・アジャーニの惑い 』での「イザベル・アジャーニの演技がこれほど素晴らしいのは、トリュフォーの『アデルの恋の物語』以来だ。」と絶賛されている。 この映画『 イザベル・アジャーニの惑い 』で、恋多き女優のイザベル・アジャーニと、アドルフを演じた 19 歳年下の若手俳優スタニスラス・メラールとの恋も話題になったそうだ。 ●アンニュイなアドルフ役がはまっていたスタニスラス・メラールはチョット変わった経歴の持ち主。 5 歳からピアノを始め、エコール・ノルマル音楽院でも学ぶが、才能の限界を感じ、 22 歳でピアニストの夢を断念。アンティーク家具の修復の仕事にも携わったそうだ。 23 歳の時にパリのカフェでアンヌ・フォンテーヌ Anne Fontaine 監督( 『 オーギュスタンの恋々風塵 (1999) AUGUSTIN ROI DU KUNG-FU (原題) / AUGUSTIN KING OF KUNG FU (米題) 』等)にスカウトされ、ヴェネチア国際映画祭で賞を受けた同監督作品『 ドライ・クリーニング (1997) NETTOYAGE A SEC (原題) / DRY CLEANING (米題) 』で銀幕デビュー。 『 ピアニスト (2001) LA PIANISTE (原題) / THE PIANO TEACHER (英題) 』では、ブノワ・マジメル Benoit Magimel ( 『 ピエロの赤い鼻 (2003) EFFROYABLES JARDINS (原題) / STRANGE GARDENS (英題) 』 『 愛の彷徨 (仮題) (2003) ERRANCE 』 『 クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち (2004) CRIMSON RIVERS 2: ANGELS OF THE APOCALYPSE 』等)より先にミヒャエル・ハネケ Michael Haneke 監督から目を付けられていたそうだが、監督とは演技について考え方の違いがあってうまくいかなかったようだ。実生活でもアドルフのように天邪鬼(あまのじゃく)なところがあるのかな。 ▲TOPへ ■映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』の受賞 イザベル・アジャーニは、 2003 年のカブール恋愛映画祭 Festival du Film "Les journées romantiques" / Cabourg Romantic Film Festival で最優秀女優賞を獲得している。 |
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【『 イザベル・アジャーニの惑い 』のスタッフとキャスト】 | |||||||||||||||||||||||||||
監督: ブノワ・ジャコ Benoît Jacquot (Directed
by) 製作: ローラン・ペタン Laurent Pétin (producer) ミシェル・ペタン Michèle Pétin (producer) 原作: バンジャマン・コンスタン Benjamin Constant (novel) 脚本: ブノワ・ジャコ Benoît Jacquot (written by) ファブリス・ロジェール・ラカン Fabrice Roger-Lacan (written by) 撮影: ブノワ・デローム Benoît Delhomme (Cinematography by) 美術: カティア・ワイスコフ Katia Wyszkop (Production Design by) 衣装: カテリン・ブシャール Catherine Bouchard (Costume Design by) 編集: リュック・バルニエール Luc Barnier (Film Editing by) 音楽: ロベルト・シューマン Robert Schumann (Non-Original Music by) ♪ピアノ五重奏曲 Piano Quintet in E flat, Op.44 ♪ 出演: イザベル・アジャーニ Isabelle Adjani as Ellénore エレノール スタニスラス・メラール Stanislas Merhar as Adolphe アドルフ ジャン・ヤンヌ Jean Yanne as The Count 伯爵 ロマン・デュリス Romain Duris as D'Erfeuil デルフィユ ジャン=ルイ・リシャール Jean-Louis Richard as Mr. d'Arbigny ダルビニー氏 アン・スアレ Anne Suarez as Mrs. d'Arbigny ダルビニー夫人 ジャン=マルク・ステーレ Jean-Marc Stehlé as Adolphe's Father アドルフの父 マリリン・エヴァン Marilyne Even as Housemaid メイド フランソワ・シャトー François Chattot as L'ambassadeur 公使 ▲TOPへ |
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<もっと詳しく> | |||||||||||||||||||||||||||
ストーリー展開の前知識やネタばれがお好みでない方は、読まないで下さい。 |
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■第一章 映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』の原作者と原作「アドルフ Adolphe 」の関係 【イザベル・アジャーニの惑いの原作者と原作 第01段落 】 バンジャマン・アンリ・コンスタン・ド・ルベック Benjamin Henri Constant de Rebecque は 1767 年 10 月 25 日(さそり座)にスイスのローザンヌ Lausanne でフランス系の古い家柄に生まれた。母親のアンリエット Henriette de Chandieu は産後の肥立ちが悪かったのか、息子を産んだ後、 2 週間足らずで亡くなった。 5 歳のころに軍人だった父ジュスト Juste Arnold de Constant が再婚し、以後、父の任地が変わるのに伴って、ヨーロッパ各地を転々とした。その間次々に家庭教師を変えて教育を受け、書物を濫読したコンスタンは、早熟なようで、 12 歳で長編英雄物語「騎士 Les chevaliers 」を書くなどした。初恋は、オランダに滞在中の 13 歳のときであったが、 18 歳から女性遍歴を開始する。 【イザベル・アジャーニの惑いの原作者と原作 第02段落 】 文芸的な著作は少ないが、「アドルフ」( 1816 )「セシル Cécile 」(未完、1951 )「赤い手帖 Le Cahier Rouge」(未完、1907 )という“自伝三部作”を残した文学者でもあり、国葬が行われるほどの政治家でもあったコンスタンは、恋多き男性であった。彼と関係のあった女性の数は、十本の指にも収まらない。その中でもメジャー(?)な存在であったと思われる女性を、以下に出会った順に挙げてみる。 【イザベル・アジャーニの惑いの原作者と原作 第03段落 】 *ジョアノ夫人 Madame Johannot ベルギーのブリュッセル Bruxelles で恋に落ちた彼女は、コンスタンの女性遍歴の始まりの女性。後に彼女は自殺しているそうだ。 【イザベル・アジャーニの惑いの原作者と原作 第04段落 】 *シャリエール夫人 Madame de Charrière ( 1740-1805 ) 1787 年、コンスタンが 20 歳の時にパリ Paris で出会う。シャリエール夫人は、スイス人に嫁いだオランダ人女性で、文筆家として優れ、 27 歳年下の若いコンスタンの精神形成に大きな影響を及ぼしたと言われる。小説「アドルフ」の第一章で語られる“老婦人”はシャリエール夫人がモデルらしい。 【イザベル・アジャーニの惑いの原作者と原作 第05段落 】 *ミンナ・フォン・クラム Minna von Cramm コンスタンの初婚相手。1788 年にコンスタンが父親に従ってドイツのブルンスヴィック Brunswick の宮廷の侍従となったときに、侍女の一人だった彼女と出会ったようだ。 1789 年、コンスタンが 22 歳の時に結婚する。彼女は美しくなかったそうで、夫婦仲も悪く、 1795 年に離婚。 【イザベル・アジャーニの惑いの原作者と原作 第06段落 】 *シャルロット・ド・ハルデンベルク Charlotte de Hardenberg 1793 年に、マーレンホルツ夫人だったシャルロットと初めて出会い、短い恋愛をする。 11 年後、デュ・テルトル夫人となっていた彼女と再会し、その 2 年後に二人の愛が再燃。 1808 年、コンスタンが 41 歳の時に彼女と秘密裏に結婚する。コンスタンより 2 歳年下のシャルロットが、最終的に彼の最愛の人となったようだ。「アドルフ」のエレノールのモデルとなった女性の一人。コンスタンはシャルロットと再び愛し合うようになった頃に、「アドルフ」の基となる小説を書き始めた。 【イザベル・アジャーニの惑いの原作者と原作 第07段落 】 *スタール夫人 Germaine de Stael ( 1766-1817 ) フランス革命前後の財政改革にあたった、スイスの銀行家ジャック・ネッケル Jacques Necker ( 1732- 1804 )の娘としてパリで生まれた彼女は、母親シュザンヌ Suzanne のサロンの知的で政治的な雰囲気を吸収して育った。 1786 年にスウェーデンの外交官であったスタール=ホルスタイン男爵 Baron Stael-Holstein と結婚。アンヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ネッケル・バロン・ド・スタール=ホルスタイン Anne Louise Germaine Necker, baronne de Stael-Holstein というのが、彼女のフルネームだ。 フランス革命に控えめに共鳴していた彼女だが、 1792 年にパリを離れた。1794 年、スイスで妻ミンナと別れたがっている 27 歳のコンスタンに初めて出会う。穏やかに夫と別居した彼女は、コンスタンと親密な関係になる。コンスタンがシャリエール夫人と不和になったのは、スタール夫人との出会いが原因だろう。 1795 年、コンスタンと共にパリに戻ってきたスタール夫人のサロンは、政治家の間でも知識人の間でも中心的な存在だった。スタール夫人は美しくなかったそうだが、彼女の機知や才能は、男性たちに影響を与え、数々の情事もあった。コンスタンもスタール夫人の尽力で政界に乗り出していく。 1797 年、スタール夫人は娘アルベルチーヌ・ド・スタール Albertine を産む。たぶん父親はコンスタンだ。 1802 年に夫のスタール=ホルスタイン男爵は亡くなり、コンスタンとの結婚に何の障害も無くなったが、スタール夫人は苗字を変えるのが嫌だった。 ナポレオン Napoléon Bonaparte ( 1769-1821 )に対して精力的に反対していたスタール夫人は、1803 年にフランス追放の命を受け、コンスタンと一緒にドイツに向けて出発した。 1804 年の年末頃にスタール夫人はイタリアへ、コンスタンはパリに戻る。スタール夫人は 1805 年にレマン湖 Léman / the Lake of Geneva 畔のコペ Coppet に落ち着き、サロン活動で人々をひきつけた。 パリに帰ったコンスタンは、シャルロット・ド・ハルデンベルクと再会し、1806年に二人の愛が復活。 1808 年にスタール夫人にバレない様にコンスタンはシャルロットと秘密結婚をする。 1811 年にコンスタンはスタール夫人と別れるが、それまで年上の愛人と年下の妻との間の板ばさみで苦しんだ。一方、スタール夫人はコンスタンと別れたその年に、自分の年齢の半分ほどの若い役人、ジャン・ロッカ Jean Rocca と秘密に結婚し、 5 年後にもう一度おおっぴらに結婚した。 2 人の間にできた息子は、知能の発育のが遅かったそうだ。 「アドルフ」のエレノールのモデルとなった女性の一人でもあるスタール夫人だが、コンスタンによる「アドルフ」の草稿の朗読を聞いた時、この作品を誉めたそうだ。その余裕は、やっぱりコンスタンの後釜がちゃんといたからかなぁ。 熱烈な自由思想家のスタール夫人は、フランス・ロマン派の先駆者。その作品には、批評「文学論 De la Litterature considérée dans ses rapports avec les institutions sociales 」( 1800 )や小説「デルフィーヌ Delphine 」( 1802 )、イタリア旅行に触発されて著した小説「コリンヌ Corinne 」( 1807 )などがある。ドイツ旅行の結果生まれた「ドイツ論 De l'Allemagne 」( 1810 )は、彼女の代表作だ。その代表作をナポレオンはフランス・ドイツ二国間の文化や習俗の不快な比較とみなして憤慨し、“反フランス的”という理由で初版( 1811 )の全廃棄を命じた。 ナポレオンの警察に脅かされ、スタール夫人はロシアとイギリスに逃れたが、1815 年にコペに戻ってきた。スタール夫人のドイツ・ロマン主義に対する熱意が染み込んだ「ドイツ論 De l'Allemagne 」が再発行され、ヨーロッパの思想や文学に猛烈な影響を与えた。 1817 年にスタール夫人がパリで亡くなった 6 ヶ月後、 1818 年に夫ジャン・ロッカも亡くなった。コンスタンの間の娘だと思われるアルベルチーヌだけが、子孫を残している。 【イザベル・アジャーニの惑いの原作者と原作 第08段落 】 *アンナ・リンゼイ Anna Lindsay 1800 年 11 月〜 1801 年 6 月にコンスタンと恋愛。美しく、コンスタンより年上で、貴族の外国人の(アイルランド系)愛人であり、二児の母であった彼女も、「アドルフ」のエレノールのモデルとなった女性の一人。 【イザベル・アジャーニの惑いの原作者と原作 第09段落 】 自由主義的な立憲王制を持論とするたコンスタンも、スタール夫人と同じく、反ナポレオン。そのせいで 1802 年に法制審議院を追放されもした。また、国外追放になったスタール夫人にも付いて行った。 1815 年にナポレオンがエルバ島を脱出した際も、激しく非難した。ところが、同年、パリに復帰した皇帝ナポレオンに宮廷へ招かれると、あっさり宗旨替え。百日天下(ナポレオン一世が、 1815 年流刑地エルバ島を脱出してパリに入城し再び政権を握ってから、ワーテルローの戦いに敗れ退位するまでの期間をいう)のあと、イギリス・プロイセンとの和平交渉に奔走したコンスタンは、国王ルイ 18 世により一時追放され、イギリスに渡った。 【イザベル・アジャーニの惑いの原作者と原作 第10段落 】 しかし、 1816 年にロンドンで「アドルフ」を出版してフランスに戻り、自由主義的立憲王制論者として政治活動を再開。 1819 年には国会議員となった。 1830 年の 7 月革命( 1830 年 7 月、パリ市民が起こしたブルボン復古王朝打倒の革命。シャルル一〇世の反動政治が終わり、大ブルジョア中心のルイ=フィリップによる立憲君主制〔七月王政〕が成立。)で重要な役割を演じた後、 12 月 8 日に 63 歳で亡くなった。 【イザベル・アジャーニの惑いの原作者と原作 第11段落 】 政治論や宗教論のほうが文芸作品よりも著作が多いコンスタンは、文学より、政治が本業だと思っていたと思う。そんな彼が“自伝三部作”という文芸作品を著したのは、政界を追放され、スタール夫人とシャルロットの間で悶々としていた頃。また、その間に、コンスタンは膨大な「日記」も書いている。もう若くなく、大した職もなく、人生の袋小路にあるコンスタンは、冷静に自己を見つめなおすためにこれらの文芸作品を著すことにしたのかな。それとも…。 【イザベル・アジャーニの惑いの原作者と原作 第12段落 】 あくまでもフィクションとして完成されている「アドルフ」だが、主人公のアドルフのモデルは紛れもなくバンジャマン・コンスタンその人。アドルフ Adolphe という名の語源は、ギリシャ語の“兄弟”という意味の adelphos だそうで、アドルフはもう一人のコンスタンのような存在だ。ヨーロッパのサロンの花であったスタール夫人の元愛人コンスタンの実体験が基になっている「アドルフ」の出版は、かなり話題になったに違いない。英語訳もドイツ語訳もその年の内に出版されている。今でいう暴露本のような本の出版を機に追放先からフランスに戻ってくるなんて、コンスタンは中々のやり手だと思う。下野(げや)していた間にだけ自伝的小説を書いていたのは、もしかしてこれを狙っていたの? ▲TOPへ ■第二章 映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』のストーリー 【イザベル・アジャーニの惑い 第01段落 】 鏡に映る美しい女性エレノール(イザベル・アジャーニ:『 イブラヒムおじさんとコーランの花たち (仮題) (2003) MONSIEUR IBRAHIM ET LES FLEURS DU CORAN 』等)がアドルフの名を呼んでいる。しかし、その声は聞こえない。物憂い青年アドルフ(スタニスラス・メラール)が振り返ると、エレノールの姿はない。アドルフは過去を振り返る…。 【イザベル・アジャーニの惑い 第02段落 】 大学を卒業したばかりのアドルフは、土木技師の卵として小さな田舎町〔原作ではその町は D*** と記されている〕に滞在し、ぼんやりとした上の空で退屈していた。 19 世紀だけど、大臣を父に持つ 22 歳の貴族の青年の倦怠は、現代の青年のそれと似ている。長続きしない勉学と、実行しない計画と、興味のない娯楽。その興味のない娯楽の一環で、アドルフはその町の伯爵〔伯爵の名は原作では P*** 伯爵と記されている〕(ジャン・ヤンヌ:『 ジェヴォーダンの獣 (2001) LE PACTE DES LOUPS (原題) / BROTHERHOOD OF THE WOLF (英題) 』等、心臓発作で 2003 年 5 月 23 日に亡くなった)の晩餐会に招かれていた。そこでアドルフは、伯爵の美しい愛人エレノールと出会う。 【イザベル・アジャーニの惑い 第03段落 】 エレノールは、国内紛争で没落したポーランドの名門生まれの女性。彼女の父親は追放され、母親は娘を連れてパリへと渡った。母親はエレノールがちゃんとした結婚をすることを望んでいたが、そうはならなかった。エレノールは伯爵の愛人となり、 2 人の子供を産んだ。主人に仕える貞淑なエレノールは、伯爵からの寵愛を得ている。しかし、彼女の人生は、名門出の気高い女性には、似つかわしくないものだ。そのため、世間からの誹謗中傷から身を守るためだろうか、エレノールは品行方正で禁欲的な暮らしに徹していた。エレノールは自分が陥ってしまった運命と絶えず戦っていた。 【イザベル・アジャーニの惑い 第04段落 】 そのような美女に対して、周囲の男性たちが色めかないはずがないが、献身的に伯爵に仕えるエレノールに対して、あからさまな誘惑はできない。アドルフの友人のデルフィユ(ロマン・デュリス: 『 パリの確率 (1999) PEUT-ETRE 』 『 リトル・トム (仮題) (2001) LE PETIT POUCET (原題) / TOM THUMB (英題) 』 『 スパニッシュ・アパートメント (2002) L'AUBERGE ESPAGNOLE (原題) / SPANISH APARTMENT (英題) 』 『 ル・ディヴォース/パリに恋して (2003) LE DIVORCE 』等)が、エレノールの気を惹くためか、ちょっと意地悪な話題を持ち出す。当時のオピニオン・リーダーであるスタール夫人が、貞淑な女性をミツバチやアリに擬(なぞら)えていると言うのだ。 【イザベル・アジャーニの惑い 第05段落 】 夫人(アン・スアレ:『 イブラヒムおじさんとコーランの花たち (仮題) (2003) MONSIEUR IBRAHIM ET LES FLEURS DU CORAN 』等)を伴う小太りの中年男であるダルビニー氏 (ジャン=ルイ・リシャール:『 映画に愛をこめて アメリカの夜 (1973) LA NUIT AMERICAINE (原題) / DAY FOR NIGHT (米題) 』で 1975 年のアカデミー脚本賞にノミネート。『 エバー・アフター (1998) EVER AFTER 』『 デュラス 愛の最終章 (2001) CET AMOUR-LA 』等のフランスの大女優ジャンヌ・モロー Jeanne Moreau は元妻)もそんなデルフィユの話に合わせる。その会話の根底には、エレノールを日陰者として軽んじている下種(げす)な男の欲望が感じられる。しかし、ハッキリとした表現ではないので、伯爵もエレノールを庇(かば)うことができず、苦虫を潰したような表情。 【イザベル・アジャーニの惑い 第06段落 】 そんな時、アドルフが同じスタール夫人の言葉を引用して、エレノールに助け舟を出した。エレノールは、デルフィユが言った革新的な女性スタール夫人のコメントに反して、「女の務めは夫を支え、子供を育てること」だと答え、自分の体面を保った。このことがきっかけで、アドルフは伯爵とエレノールに気に入られる。心が恋を、見栄が成功を求めている青年アドルフにとっては、エレノールこそが自分に相応(ふさわ)しい女性のように思えた。 【イザベル・アジャーニの惑い 第07段落 】 アドルフは、子供をあやしに行った彼女の後をこっそり追った。 2 人の子供たちにペロー Charles Perrault ( 1628-1703 :『 リトル・トム (仮題) (2001) LE PETIT POUCET (原題) / TOM THUMB (英題) 』等)の童話「青髯(あおひげ) Barbe-Bleue / Bluebeard 」を読んで聞かせるエレノールを覗き見するアドルフ。ご存知「青髯(あおひげ)」は、青いヒゲの男が六人の妻を次々と殺し、七人目の妻を殺そうとするが、駆けつけた彼女の兄弟に殺されるという話だ。女性が好奇心を持つと大変な目に遭うという教訓話である「青髯(あおひげ)」を映画内に登場させる(別のシーンでは、伯爵のヒゲが微妙に青いように見えるという演出もある)ことで、結局若い恋人への激しい愛情を選んでしまうエレノールの悲劇を暗示させる。ジェーン・カンピオン Jane Campion 監督(『 イン・ザ・カット (2003) IN THE CUT 』等)のパルムドール作品『 ピアノ・レッスン (1993) THE PIANO 』でも、同じような暗示として「青髯(あおひげ)」が劇中に登場していた。 【イザベル・アジャーニの惑い 第08段落 】 アドルフはエレノールを訪ねるようになったが、エレノールの方でも、それまで見てきた男とは違う男と付き合うのを喜んだ。一緒に散歩をしたり、英語の詩を読んだりした。しかし、気後れするタイプのアドルフと、貞淑を旨としているエレノールの関係は、すぐには発展しなかった。エレノールを愛してはいないが、好意を示されないのも嫌なアドルフは、そんな状態を打開するため、彼女に恋文を書いた。自分で書いた恋文に感動することで、エレノールに対する情熱をいくらかは実際のものとして感じることもできた。伯爵が屋敷を数日留守にしていたある日、アドルフは初心な青年のごとくエレノールにその手紙を渡した。 【イザベル・アジャーニの惑い 第09段落 】 何も言わず急いで帰ろうとするアドルフを、手紙に目を通したエレノールが馬屋まで雨の中追ってきた。使用人たちの耳に入らないところで、エレノールは 10 歳年上の分別ある女性としてアドルフに心のこもった忠告をし、伯爵が戻ってくるまで屋敷に来ないように言った。自室に戻ったエレノールはアドルフからの手紙を暖炉の中に投げ入れた。 【イザベル・アジャーニの惑い 第10段落 】 その後、アドルフが屋敷を訪ねてもエレノールは不在で、手紙さえも届けることができない。青年の熱が冷めるよう、しばらくの間エレノールは屋敷を離れ、サンマルタン Saint Martin の近くにある伯爵の親戚宅に子供たちと一緒に滞在した。エレノールの居所が分からないアドルフは苦悩したが、エレノールの思惑通り、時間が経つと一時の情熱を忘れるようになった。そんなある朝、伯爵がアドルフを訪ね、アドルフに会いたいので、エレノールを呼び戻したと話した。晩餐会に招待を受けたアドルフの心にエレノールの思い出が蘇った。エレノールに本当に会えるのだろうかと、熱まで出る始末だった。 【イザベル・アジャーニの惑い 第11段落 】 自分の愛する人に思いを寄せる若者をよく家に招待するものだと、私なりに思うけど、伯爵は自分に忠実なエレノールを信頼していたのだろう。それは一時期伯爵が破産状態に陥った時に、エレノールが結構な申し込みも断って、献身的に伯爵の危機と貧苦を共にしたからだ。映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』では、この事柄について触れられていなかったように思うが、本には書かれていたので一応付け加えておく。“自分の生きる場所である社交界から自分の愛人を締め出そうとする、世間一般の物の見方と戦わなければならなかった伯爵は、エレノールの交際相手が増えるのをむしろ歓迎していたのだ。” 【イザベル・アジャーニの惑い 第12段落 】 晩餐会の食事の用意ができると、伯爵はわざとエレノールではなくダルビニー夫人の手を取り、アドルフにエレノールのエスコートをさせた。もちろんアドルフは小声で愛の言葉をエレノールに投げかける。食卓での席順は、伯爵の指示により、アドルフの意思に反してエレノールの隣ではなく、ほぼ向かいに座ることになった。エレノールは隣席のダルビニー氏の質問に答えて、伯爵の親戚宅での退屈な一日を語った。エレノールは、アドルフの熱い視線を前に落ち着かず、気分が悪いようだ。極めて単純なトランプ遊びの一種であるクラペット crapette を知っているかとアドルフに尋ねたり、傍目(はため)にもおかしい。 【イザベル・アジャーニの惑い 第13段落 】 そんなエレノールにアドルフは彼女の子供たちが滞在を楽しんでいたか訊いた。子供たちはポニーに乗ったり、植物採集をしたようだ。植物採集の際に植物の名前を書かせることにしたので、子供たちはうんざりする様になったとエレノールは語った。自分の置かれている身分の裏返しで、エレノールの子供たちへの躾は厳しかったようだ。やらせすぎかしらと話すエレノールに、アドルフは「お人形扱いされるよりいい」と答えた。その言葉は、人形のような感情のない生活をしているエレノールの心に響いた。アドルフは心の底から恋をしていると感じた。 【イザベル・アジャーニの惑い 第14段落 】 アドルフは再び足しげくエレノールを訪ねるようになった。熱心に気持ちを伝えるアドルフに困惑しながらもエレノールは徐々にそういう言葉に慣れていった。しかし、アドルフはエレノールを手に入れられない不満から不機嫌だった。訪ねて来たデルフィユが挨拶にエレノールの手にキスをしたのを見て、アドルフは怒ったように伯爵の屋敷を急に出ようとした。エレノールは女主人としての役目もあり、アドルフを見送るため急いで彼を追った。 【イザベル・アジャーニの惑い 第15段落 】 アドルフは玄関近くの狭い暗い部屋にエレノールを引き入れ、エレノールに怒りと愛をぶつけた。「伯爵はあなたを愛しているが、僕は在りのままのあなたを愛している。」というアドルフの言葉に、エレノールはついに身も心も投げ出した。たしかにアドルフの言葉通り伯爵のエレノールへの愛は本物だったが、伯爵の態度の中には、正式に結婚したわけでもないのに身を許した女性へのある種の優越感みたいなものがあった。それで、エレノールは若い青年の情熱のこもった感情や信仰にも似た愛し方にホロッときてしまったのだ。アドルフは、手に入れたばかりの女の腕に抱かれて、別れを予見した。(そのような男には禍あれ!) 【イザベル・アジャーニの惑い 第16段落 】 エレノールはアドルフに今まで誰にも感じたことのない気持ちを感じていた。伯爵との関係とは違って、エレノールとアドルフは対等だった。アドルフは偶像のように自分を崇めてくれるし、また、あらゆる打算や利害を離れた純粋な愛によって、エレノールは自分の地位が向上したかのように感じた。伯爵への愛には自己利益も含まれていたが、アドルフを愛するのは、ひたすらアドルフのためだとエレノールは思っていた。そのような若い恋人に対して、エレノールの独占欲はひどかった。エレノールと離れていれば、アドルフは自分に会えずに苦しんでいる彼女の姿を思い浮かべるし、傍にいれば傍にいるで、彼女を宥(なだ)めるのに苦しんだ。こんな関係は長続きはしないという漠然とした考えが、アドルフにそのような状況を耐えさせていた。 【イザベル・アジャーニの惑い 第17段落 】 伯爵も二人の関係を危ぶみ始めた頃、アドルフの父親からパリに戻ってくるようにという手紙が届いた。エレノールはアドルフに 3ヶ月だけ滞在を伸ばしてくれるよう頼んだ。アドルフはエレノールに従い、父親からの仕事を断った。そのことを告げにアドルフはエレノールを訪ねたが、アドルフのそっけなく、恩着せがましい言い様にエレノールは怒った。あからさまな束縛を受け、無為のうちに青春を浪費し、することなすことを専制的に支配されるのはたまらないとしながらも、エレノールが涙を流すと、アドルフは関係を取り成す。アドルフに抱きしめられながらエレノールは呟く。「私は目的だった。でも今は束縛なのね。」こうして取り返しの付かない言葉が繰り返され、 2 人の腐れ縁は泥沼化していく。 【イザベル・アジャーニの惑い 第18段落 】 伯爵はエレノールにアドルフと会うのを禁じようとした。それで、ついにエレノールは伯爵と縁を切り、わびしい部屋に召使を一人連れて転居した。エレノールは、 75 ルイ(当時の貨幣の価値が分からないので、円換算はしません)の年金が入るので、それで十分だとアドルフに話し、アドルフがパリに旅立つ時は一緒に行けると喜んでみせた。伯爵との間の 2 人子供たちに話が及ぶと、エレノールの表情は硬くなった。置いてきた子供たちは伯爵の名を受け継ぎ、育ててもらえる。恥ずべき母親のことなど忘れるとエレノールはアドルフに言った。 【イザベル・アジャーニの惑い 第19段落 】 エレノールの行為は、長らく抜け出そうとしていた状態へと、彼女を永久に陥れてしまった。貞淑な伯爵の愛人ではなく、伯爵の元愛人だ。親しくしていたダルビニー夫人はエレノールとの絶交を宣言し、その夫のダルビニー氏は無礼にもエレノールに下心を見せ付けた。エレノールの部屋で彼女に突き飛ばされたダルビニー氏は手に怪我をした。アドルフはエレノールのためにダルビニー氏と決闘する事になった。 【イザベル・アジャーニの惑い 第20段落 】 デルフィユともう一人が立会人となり、人気のない崖で決闘は行われた。まず、侮辱された方=ダルビニー氏がコインを投げ、どちらが先に銃を撃つのかを決めた。先行はダルビニー氏だ。それから、崖の両端にそれぞれが立ち、横を向いて直立するアドルフにダルビニー氏は発砲した。年をとって目が悪いのか、弾はアドルフの腕をかすっただけだった。次はアドルフの番だ。ダルビニー氏が横を向いた。このオジサンの方がかなり太っているから弾は当たりやすいように見える。アドルフの弾は標的の首辺りに命中した。ダルビニー氏は崖から落ちて死んでしまった。 【イザベル・アジャーニの惑い 第21段落 】 エレノールは自分のために怪我をしたアドルフを懸命に看護した。その変わらぬ優しい愛情にアドルフは報いたいと思った。なのに、アドルフは冷酷にもこう思う。愛する者に愛されないのは不幸。愛が冷めた後に熱愛されるのは大いなる不幸。 【イザベル・アジャーニの惑い 第22段落 】 アドルフは 2 ヶ月の期限をエレノールに言い残して、一人でパリの父親の元に戻った。アドルフはエレノールの気休めになるように自分がいつも身に着けていた金の指輪を彼女に渡した。長い関係を続けていれば、楽しくない相手でも存在の奥深い一部となり、別れるとなると心が痛む。 【イザベル・アジャーニの惑い 第23段落 】 アドルフはエレノールと離れて自由を堪能したが、エレノールは心ここにあらずの毎日だった。伯爵はそんなエレノールを馬車に乗せ、復縁するために母親を恋しがる子供たちの話をした。エレノールは途中で馬車を降りたが、子供たちに対する想いに、苛(さいな)まれたのだろう。別の日、エレノールは乳母に連れられて教会に礼拝に来た我が子をこっそり窺(うかが)った。子供たちが教会から出ると、エレノールは泣きながらアドルフから貰った指輪に何度もキスをした。もう、待てない。エレノールはパリへ向かおうと、アドルフに手紙を書いた。 【イザベル・アジャーニの惑い 第24段落 】 手紙を受け取ったアドルフは、エレノールに絶縁の手紙を書こうとしたが、何故か 2 ヶ月出発を遅らせて欲しいという内容に変わっていた。 2 ヶ月後、エレノールはアドルフに連絡することなくいきなりパリにやって来た。再会は最悪だった。アドルフとエレノールは仲直りもせずに別れた。ところが、アドルフが家に戻ると、父親(ジャン=マルク・ステーレ:『 女はみんな生きている (2001) CHAOS 』等)の言葉で気持ちが 180 度変わってしまった。息子の行く末を心配する父親は、明日エレノールがパリから退去命令を受けるように手を打ったのだ。 【イザベル・アジャーニの惑い 第25段落 】 アドルフはエレノールと一緒にパリを出ることを心に決めた。自分のために不幸にさらされるエレノールにアドルフは強い愛情を感じたと思った。でも、エレノールはアドルフの本当の心を見透かしていた。 2 人で乗った馬車の中、アドルフに寄りかかったエレノールは言った。「私が哀れだから身を捧げてくれるのね。あなたはそれを愛だと思っているけど、それは哀れみなのよ。」 【イザベル・アジャーニの惑い 第26段落 】 小さな町に落ち着いた時、アドルフとエレノールにそれぞれの父親から手紙が届いた。父親の手紙はアドルフが何度となく悩んでいたことズバリで、気を滅入らせた。自分は世に埋もれたままなすすべもなく青春の一番美しい時期を過ごしている。追放を解かれたエレノールの父は、ポーランドに戻り、財産を取り戻していた。それで、娘に身の回りの世話をしてもらいたいと考え、一緒に暮らすことを願っていた。湖を臨むテラスで小さなテーブルを挟んで、一緒に日光浴をするアドルフに、エレノールは一緒にポーランドへ行きたいと言った。 【イザベル・アジャーニの惑い 第27段落 】 父親からの手紙のせいもあって、アドルフはエレノールを責めた。自分はエレノールの苦悩に飲み込まれ、仕事も人生の喜びも投げ打って、無為で無価値な日々を過ごし、自分がどんどん卑しくなる。アドルフはティーセットの載った小さなテーブルを蹴り上げ、室内へと入った。しかし、すぐまた戻ってきてエレノールの隣に座り、「もう愛していない」と言った。エレノールは無表情でその言葉を聞いた。結局、アドルフはエレノールと共に雪深いポーランドへと向かった。 【イザベル・アジャーニの惑い 第28段落 】 エレノールの父親の屋敷に到着すると、大勢の使用人がエレノールを迎えた。エレノールが使用人から聞いたことをアドルフに通訳した。エレノールの父親は亡くなった。世継ぎはエレノールしかいない。エレノールは私にはあなたしかいないと言って、アドルフに一緒にこの屋敷にとどまることを願った。 【イザベル・アジャーニの惑い 第29段落 】 エレノールの屋敷で暮らすことになったアドルフにパリの父親から手紙が届いた。その手紙はアドルフの独立を尊重していたが、親心でポーランド駐在のフランス公使〔原作では T*** 男爵と記されている〕にアドルフのことを頼んでおいたと書かれていた。アドルフは公使(フランソワ・シャトー: 『 ヴィドック (2001) VIDOCQ 』 『 リトル・トム (仮題) (2001) LE PETIT POUCET (原題) / TOM THUMB (英題) 』 『 花咲ける騎士道 (2003) FANFAN LA TULIPE 』等)に会いに行った。 【イザベル・アジャーニの惑い 第30段落 】 人生を知る老練な公使はアドルフに忠告した。エレノールは 10 年後には年をとり、アドルフは何もしないまま人生の盛りを迎える。そうなると、アドルフは倦怠に飲まれ、エレノールは不機嫌になる。反対されると何故か心にもないことでもアドルフはエレノールを愛しているように振舞ってしまう。アドルフは公使の言葉を聞き終えると、エレノールを守るのが自分の仕事なので、彼女が自分を必要とするなら傍にいると言った。しかし、その思いは言い終わる前に消えていた。アドルフは、今しがた弁護したばかりのエレノールに会うのを遅らせるため、帰り道は雪の中を歩いていった。自室に入ると拗(す)ねた様にベッドに入った。 【イザベル・アジャーニの惑い 第31段落 】 アドルフとエレノールは、毎夜 2 人っきりで顔を突き合わせ、ふくれたり黙り込んだりして過ごしていた。 2 人とも相手が次に何を言うかがよくわかっていたので、それを聞かないために黙っていた。どちらかが譲歩する気になることもあったが、歩み寄るべき瞬間をいつも逃してしまった。エレノールにはアドルフの愛情が必要だったが、アドルフは故国から離れた寒い国で、一層冷酷で無慈悲になった。エレノールは幾夜も一人で寝る寂しさに耐えなければならなかった。 【イザベル・アジャーニの惑い 第32段落 】 アドルフの気を惹くためか、化粧が濃くなったエレノールは、突然生活を変えると言い出した。近くの貴族たちを屋敷に呼ぶことにしたのだ。アドルフはエレノールの親戚である貴族たちを呼ぶことは、相続の事もあり、エレノールを傷つけるだけだと反対した。しかし、エレノールは考えを変えなかった。エレノールは貴族たちを招いた晩餐会で、男たちのお世辞を平気で受けたりして、今までと正反対の女性になった。それは、アドルフの関心を再び自分に引き寄せようとする悲しいまでの演技だったが、若い恋人はそのせいで自分が周囲から中傷される対象になったことに憤慨した。 【イザベル・アジャーニの惑い 第33段落 】 「怒っても妬(や)いてもいない。君のくれた役に腹が立った」と、すがるエレノールを振り切り、アドルフは公使のパーティに向かった。アドルフの父親から悲嘆のこもった手紙を受け取っている公使は、アドルフの胸に刺さる言葉を話し、エレノールに対して批判的だ。公使は、アドルフに任せたい仕事があるから明日も来るように言った。エレノールからの迎えが遣されたが、アドルフは無視した。ただの一日も自由に暮らせないのかとキレたアドルフは、公使に 3 日以内にエレノールと別れることを約束した。 【イザベル・アジャーニの惑い 第34段落 】 別れると言ってしまうと、アドルフにはエレノールがまた愛おしく感じられた。エレノールと一夜を過ごした朝、明日行くと公使と約束したのに、断りの手紙を急いでしたためた。(スタニスラス・メラールは左利きだよ。)アドルフからの手紙を読んだ公使は、その手紙をそのままエレノールに送り付けた。アドルフの公使への手紙には、エレノールと自分とを結ぶ絆は永久に断ち切られたと考えてよいことがハッキリと示されていた。手紙を読んだエレノールはショックで医師から生命危篤を診断される状態に陥った。エレノールはそのことをアドルフに知らせてはいけないし、彼女の傍にも入れてはいけないとした。しかし、アドルフは強引にエレノールの寝室へ入った。・・・ ▲TOPへ ◆ここからは、結末まで書いていますので、ストーリー全体が分ります。御注意下さい。 ATTN: This review reveals the movie content. Please don't say that I didn't say ! 【イザベル・アジャーニの惑い 第35段落 】 エレノールが横たわるベッドの横に、自分が公使宛に書いた手紙が置かれていた。アドルフはぐったりとしたエレノールに自分の愛を疑わないでと頼み、やり直そうと言って泣いた。そんなアドルフにエレノールは努力してくれて有難うと言った。翌日、エレノールはアドルフと一緒に雪の中を散歩したが、途中で気分が悪くなり、鼻血を出して倒れた。 【イザベル・アジャーニの惑い 第36段落 】 その日以後、エレノールはすっかり衰弱した。消耗した体で、エレノールはベッドの上で必死に探し物をしていた。嘗てアドルフに宛てて書いた手紙を探していたが、結局見つからなかった。エレノールはアドルフにその手紙を見つけたら、読まずに焼き捨てるように言った。 【イザベル・アジャーニの惑い 第37段落 】 飽くなき優しさでアドルフを包んでくれていたエレノールの存在がなくなろうとしていた。アドルフは孤独だった。アドルフは召使全員と一緒にエレノールの最後の厳かな祈祷に立ち会った。召使たちはエレノールのベッドを囲んで跪いていたが、アドルフは部屋の片隅で立ち尽くしていた。エレノールが息を引き取ると、アドルフは誰もいなくなった部屋で、彼女の傍で身動きもせずにいた。エレノールの目が開き、ベッドから起き上がって自分を抱きしめるような錯覚にアドルフはとらわれた。手にした自由の寂しさに、アドルフはもう自由は望まないと思った。 【イザベル・アジャーニの惑い 第38段落 】 いつもエレノールの傍にいた召使が、失われたはずの手紙をアドルフの元に持ってきた。焼き捨てるという約束だったが、アドルフは読まずにはいられなかった。 【イザベル・アジャーニの惑い 第39段落 】 エレノールのお葬式で、雪の中、彼女の棺の後ろを呆然と追うアドルフの姿のバックに、手紙の内容がエレノールの声で語られる。 “アドルフ、何故私を責めるの?何がいけないの?愛したこと?あなたが生きがいだから?どんな同情心から絆を断てないの?しかも哀れな女を苦しめている。何故心の広い人だと思わせないの?何故怒りっぽく、弱気なの?私の苦悩は重荷でも、苦しむのはやめないのね。何を求めているの?私が去ること?私にそんな力はないわ。私、死ななくてはダメ?あなたは満足ね。彼女は死ぬ。嘗てあなたが守り、今は打ち据える哀れな女。彼女が死ぬ。近寄るのも嫌なエレノール。本当に邪魔な女。彼女がいるばかりに平安がない。彼女は死んで、あなたは一人群衆の中に出て行く。無関心を有り難がるのも今のうち。そして、ある日、彼らに傷つけられる。その時あなたは懐かしむ。あなたへの愛に生き、あなたのために身を投げ出す心。もはや一顧だにされない心を。” ▲TOPへ ■第三章 映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』の感想 【イザベル・アジャーニの惑い 感想 第01段落 】 一応この映画を鑑賞するにあたって、原作「アドルフ」を読んでみた。少ない登場人物に主人公の心理の記述がほとんどである、この小説を映画にしようと考えるなんて、流石にフランス人だと思った。映画のストーリーは原作に忠実だったけど、 1 時間 42 分の映像に仕上げるにあたり、割愛されているエピソードなんかもあったり、演出が加えられたりしている。でも、原作の持つ雰囲気や内容を少しも損なっていないと思った。何といってもイザベル・アジャーニの年齢を感じさせない美しさに感動した。 【イザベル・アジャーニの惑い 感想 第02段落 】 映画『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』では、前半部、子供たちに本の読み聞かせをしているエレノールを覗いたり、晩餐会のテーブルでアドルフが子供の話題を振ったり、エレノールが母親としての顔を見せる時、アドルフがエレノールへの気持ちを強くすると思った。年上の女性を慕うという心理下には、母親への愛慕があるのではないかなと思う。日本の古典、紫式部の「源氏物語」の光源氏も、幼い時に失った母親の面影を追って、女性遍歴を繰り返す。アドルフ≒バンジャマン・コンスタンに光源氏的なものを感じてしまった。ということで、彼らの年上の恋人、エレノールとスタール夫人やシャリエール夫人には、諸事情は違うが、自ずと六条御息所を当てはめてしまう。 【イザベル・アジャーニの惑い 感想 第03段落 】 光源氏は年上の高貴な恋人、六条御息所を得ても、母の面影≒藤壺の宮を忘れることができず、遍歴を繰り返す。母親を知らない光源氏にとって、母親を求めて女性を得ても、その時得た母の幻影はあくまでも夢幻に過ぎず、また別の幻影を追い求めてしまう。アドルフのエレノールを得た時の不吉な予見も、これに似ているのではないだろうか。(アドルフは色々な女性を渡り歩いてはいないが、彼の生みの親、そして、兄弟ともいえるコンスタンが遍歴を繰り返したので、同じに考えさせていただく。) 【イザベル・アジャーニの惑い 感想 第04段落 】 また、エレノールのアドルフへの愛情も母親の愛情に似ている。エレノールは実の子供を捨てたが、その後ろめたい思いが、アドルフへの愛情に拍車をかけた。伯爵との関係のせいで、気高さを求めたエレノールだが、無償の愛は気高いものだ。世間からは見れば彼女の行為は後ろ指をさされるものだが、エレノールはアドルフに対して、自分の損得を考えない愛情を感じ、そのことに救いを見出した。エレノールはアドルフに無償の愛情を与え、最後には本当にわが身を投げ出した。 以上。 <もっと詳しく>からスペースを含まず16281文字/文責:幸田幸 参考資料:「映画の森てんこ森」映画タイトル集 http://www.coda21.net/eiga_titles/index.htm IMDb allcinema ONLINE Nostalgia.com CinemaClock.com 集英社ギャラリー世界の文学6 フランスI LoveToKnow Free Online Encyclopedia Badosa.com http://www.kirjasto.sci.fi/stael.htm infoplease 公式サイト(仏語版) http://www.arpselection.com/ |
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■映画『 イザベル・アジャーニの惑い 』の更新記録 2004/03/16新規: ファイル作成 2005/03/01更新: ◆一部テキスト追記と書式変更 |
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幸田 幸 coda_sati@hotmail.com |
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