デュラス 愛の最終章 | |||||||||||||||||||||||||||
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デュラス 愛の最終章 (2001) | |||||||||||||||||||||||||||
CET AMOUR-LÀ | |||||||||||||||||||||||||||
映画『 デュラス 愛の最終章 (2001) CET
AMOUR-LÀ 』をレヴュー紹介します。 映画『 デュラス 愛の最終章 CET AMOUR-LÀ 』を以下に目次的に紹介する。 ■映画『 デュラス 愛の最終章 CET AMOUR-LÀ 』のポスター、予告編および映画データ ■映画『 デュラス 愛の最終章 CET AMOUR-LÀ 』の解説 ネタばれをお好みでない方はこの解説をご覧下さい。 ■映画『 デュラス 愛の最終章 CET AMOUR-LÀ 』の主なスタッフ ■映画『 デュラス 愛の最終章 CET AMOUR-LÀ 』の主なキャスト ■映画『 デュラス 愛の最終章 CET AMOUR-LÀ 』のトリビア ■映画『 デュラス 愛の最終章 CET AMOUR-LÀ 』のスタッフとキャスト ■映画『 デュラス 愛の最終章 CET AMOUR-LÀ 』の<もっと詳しく> <もっと詳しく>は映画『 デュラス 愛の最終章 』の「テキストによる映画の再現」レヴュー(あらすじとネタばれ)です。※ご注意:映画『 デュラス 愛の最終章 (2001) CET AMOUR-LÀ 』の内容やネタばれがお好みでない方は読まないで下さい。 ■映画『 デュラス 愛の最終章 CET AMOUR-LÀ 』の結末 ■映画『 デュラス 愛の最終章 CET AMOUR-LÀ 』の更新記録 >>「映画解説・レヴュータイトル一覧表」へ(画面の切り替え) |
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幸の鑑賞評価: 8つ星 | |||||||||||||||||||||||||||
■映画『 デュラス 愛の最終章 (2001) CET AMOUR-LÀ 』のポスター、予告編および映画データ | |||||||||||||||||||||||||||
デュラス 愛の最終章
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●スチルはnostalgia.com、予告編はcinemaclock.comより許諾をえて使用しています。 Filmography links and data courtesy of The Internet Movie Database & Nostalgia.com. Filmography links and data courtesy of CinemaClock Canada Inc. |
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■映画『 デュラス 愛の最終章 (2001) CET
AMOUR-LÀ 』の解説 映画『 デュラス 愛の最終章 (2001) CET AMOUR-LÀ 』は、年老いた女流作家に惹かれた若者の読者が、彼女と出会い、生活を共にし、そして彼女が死ぬ直前まで、38 歳の年齢差を超えて愛した彼女との宿命的な 16 年間の日々を綴った著書を映画にしたという作品だ。『 デュラス 愛の最終章 』の原作はアンドレア自身が書いた『Cet Amour-là (Le Livre de Poche; (Littérature générale) ; ISBN : 2253150002)』で日本語訳は『デュラス、あなたは僕を本当に愛していたのですか』(河出書房新社刊)である。 映画『 デュラス 愛の最終章 』を観た時は、時間の流れがはっきりと分らなかったので、幸なりに勉強し「デュラスとヤン」(シャイな幸の独り言)に整理してみた。この映画『 デュラス 愛の最終章 』は話を知っているフランス人向けに作られているのかもしれないので、理解を深めるには、原作を読んでおくべきだと思う。 ▲TOPへ ■映画『 デュラス 愛の最終章 (2001) CET AMOUR-LÀ 』の主なスタッフ ○『 デュラス 愛の最終章 』の監督はジョゼ・ダヤンという、テレビドラマ出身の女性で、デュラスを演じるジャンヌ・モローと同じものを、私は感じる。ダヤン監督が<Le film français>のインタヴューに答えた記事を読むと面白い。監督がプロットを決めてない段階でジャンヌ・モローで何か映画を撮ろうとプロデューサーのアラン・サルド氏と話があったらしい。数日後J・モローが、ヤン・アンドレアのデュラスとの関係を描いた「Cet Amour-Là」を読んだばかりのフローランス・マルローと食事をした。J・モローは読んで惹かれ、物語に恋をした。監督も読んでJ・モローと同じ印象と情熱を持った。J・モローは直ぐヤンに会って翻案脚本の同意を取り付けた。翌日アラン・サルド氏はその権利を買ったらしい。 また、監督はヤンは翻案作業に多く関わったが彼は聡明で小説と映画との違いを心得ていたとも言っている。 ○『 デュラス 愛の最終章 』の製作: アラン・サルド 『 オーギュスタンの恋々風塵 (1999) AUGUSTIN ROI DU KUNG-FU (原題) / AUGUSTIN KING OF KUNG FU (米題) 』 『 女はみんな生きている (2001) CHAOS 』 『 シェフと素顔と、おいしい時間 (2002) DECALAGE HORAIRE (原題) / JET LAG (英題) 』 『 戦場のピアニスト (2002) THE PIANIST 』 『 恍惚 (2003) NATHALIE... 』 『 ライフ・イズ・ミラクル (2004) LA VIE EST UN MIRACLE (仏題) / LIFE IS A MIRACLE (英題) 』 『 アワーミュージック (2004) NOTRE MUSIQUE (原題) / OUR MUSIC (英題) 』 『 ヴェラ・ドレイク (2004) VERA DRAKE 』 ○『 デュラス 愛の最終章 』の製作総指揮: クリスティーヌ・ゴズラン 『 ピアニスト (2001) LA PIANISTE (原題) / THE PIANO TEACHER (英題) 』 『 女はみんな生きている (2001) CHAOS 』 『 シェフと素顔と、おいしい時間 (2002) DECALAGE HORAIRE (原題) / JET LAG (英題) 』 『 恍惚 (2003) NATHALIE... 』 『 ライフ・イズ・ミラクル (2004) LA VIE EST UN MIRACLE (仏題) / LIFE IS A MIRACLE (英題) 』 『 ヴェラ・ドレイク (2004) VERA DRAKE 』 ○『 デュラス 愛の最終章 』の脚本: ジル・トーラン 『 オーギュスタンの恋々風塵 (1999) AUGUSTIN ROI DU KUNG-FU (原題) / AUGUSTIN KING OF KUNG FU (米題) 』 『 ブラウン夫人の秘めごと (仮題) (2002) 24 HEURES DE LA VIE D'UNE FEMME (原題) / 24 HOURS IN THE LIFE OF A WOMAN (英題) 』 『 かげろう (2003) LES EGARES (原題) / STRAYED (英題) 』 ▲TOPへ ■映画『 デュラス 愛の最終章 (2001) CET AMOUR-LÀ 』の主なキャスト 幸の興味のある、噂があったジョニー・デップの出演依頼は本当にあったのかという件については、監督自身は彼にコンタクトした事実はなさそうだ。その理由は、偉大な女流作家はJ・モローであり、監督はヤンには無名の新人を使いたかったらしい。なるほど、そうだなと私は思う。でも、もし、 『シザーハンズ (1990) EDWARD SCISSORHANDS』 『妹の恋人 (1993) BENNY & JOON』 『GO!GO!L.A. (1998) L.A. WITHOUT A MAP』 『スリーピー・ホロウ (1999) SLEEPY HOLLOW』 『ショコラ (2000) CHOCOLAT』 『フロム・ヘル (2001) FROM HELL』等で名高いジョニー・デップをヤンに起用すれば話題性が更に高まり予想以上の興収が見込めたのでは?然しフランス人は合理的だと聞くのでデップの高いギャラを払うのを渋ったというのが本音かも?(幸の勝手な憶測でこんなこと言って関係者の方にスミマセン。) 実際は、デュラスは現代フランス文学を代表する女流作家で、自伝的な『愛人(L'Amant)』や、『モデラート・カンタービレ(Moderato Cantabile)1959』の小説などがそれぞれ、『愛人/ラマン (1992) 仏題 L'AMANT/英題 THE LOVER』、『雨のしのび逢い (1960) MODERATO CANTABILE』というタイトルで映画化されているし、また自作の『インディア・ソング』は自ら監督し、映画化もしている。そんなデュラスを親友でもあったジャンヌ・モローが演じるというだけでも、話題性十分だと思われる。 そして、配役は本人に似させたかについては、特にヤン役は、そうしたらしい。然しJ・モローを見ているとマルグリット・デュラス本人のように思えてくる。お顔も性質も実際似ているのではないかと思う。J・モローとM・デュラスは私生活でも仲良しだったらしいからかな。J・モローの演技の細やかさがあちこちで光る。彼女の人生と芸の集約のようで一人舞台のように思うかもしれないが、ヤン役の新人はイケテル。ちょっとキショイかなと最初思ったけど、目が少年のようで横顔も知的で又別の映画で見てみたい。 脇役ではクリスティーヌ・ロラートが 『 天使の肌 (2002) PEAU D'ANGE (原題) / ONCE UPON AN ANGEL (米題) 』等に出演している。 ▲TOPへ ■映画『 デュラス 愛の最終章 (2001) CET AMOUR-LÀ 』のトリビア 因みに、ヤンと生活し始めてから死ぬまでの 16 年間でデュラスは以下の作品を残している。 『ヴェラ・バクスター、あるいは太平洋の浜辺(Vera Baxter ou les plages de l'Atlantique)1980』 『廊下に座っている男(L'Homme assis dans le couloir)1980』 『80年夏(L'Été80)1980』 『緑色の目(Les Yeux verts)1980』 『アガタ(Agatha)1981』 『アウトサイド(Outside)1981』 『大西洋の男(L'Homme atlantique)1982』 『死の病(La Maladie de la mort)1982』 『サヴァナ・ベイ(Savannah Bay)1983』 『愛人(L'Amant)1984』 『苦悩(Le Douleur)1985』 『ラ・ミュジカ第二(La Musica deuxième)1985』 『青い眼、黒い髪(Les yeux bleus cheveux noirs)1986』 『ノルマンディーの売春婦(La Pute de la cote normande)1986』 『物質的生活(La Vie matérielle)1987』 『エミリー・L(Emily L)1987』 『夏の雨(La Pluie d'été)1990』 『北の愛人(L'Amant de la Chine du Nord)1991』 『ヤン・アンドレア・シュタイナー(Yann Andréa Steiner)1992』 『エクリール(Écrire)1993』 『外部の世界・アウトサイド2(Le Monde extérieur&Outside2)1993』 『これで、おしまい(C'est tout)1995』 |
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【『 デュラス 愛の最終章 』のスタッフとキャスト】 | |||||||||||||||||||||||||||
監督: ジョゼ・ダヤン Josée Dàyan
(Directed by) 製作: アラン・サルド Alain Sarde (producer) 製作総指揮: クリスティーヌ・ゴズラン Christine Gozlan (executive producer) 原作: ヤン・アンドレア Yann Andréa (novel) 脚本: ジョゼ・ダヤン Josée Dàyan (adaptation) ジル・トーラン Gilles Taurand (adaptation) 撮影: カロリーヌ・シャンプティエ Caroline Champetier (Cinematography by) 音楽: アンジェロ・バダラメンティ Angelo Badalamenti (Original Music by) 出演: ジャンヌ・モロー Jeanne Moreau as Marguerite Duras マルグリット・デュラス エーメリック・ドゥマリニー Aymeric Demarigny as Yann Andrea ヤン・アンドレア クリスティーヌ・ロラート Christiane Rorato ソフィー・ミルロン Sophie Milleron ジュスティーヌ・レヴィ Justine Justine Lévy ▲TOPへ |
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<もっと詳しく> | |||||||||||||||||||||||||||
ストーリー展開の前知識やネタばれがお好みでない方は、読まないで下さい。 |
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■映画『 デュラス 愛の最終章 』の「テキストによる未公開映画の再現」レヴューは、詳しくは現在まだ書けておりませんが、簡単に載せておきます・・・。 【デュラス 愛の最終章 第01段落】 カーン大学で哲学を専攻する学生だったヤン・アンドレア(本名ヤン・ルメ)は、マルグリット・デュラスという女流作家が書いた『タルキニアの子馬(Les Petits Chevaux de Tarquinia=レ・プチ・シュボー・ドゥ・タルキニア/1953年Gallimard出版)を読む。そして1975年、ヤンはその作家と運命的な出会いをする。 【デュラス 愛の最終章 第02段落】 彼女は、自らの映画『インディア・ソング(India Song/1973年Gallimard出版)』を上映するために大学を訪れていた。当時デュラス 62 歳。その時からヤンはデュラスの作品のファンになる。彼は彼女の作品を片っ端からむさぼるように読む。そして五年間毎日ずっと手紙を書き続けるという熱狂ぶりだ。時には一日数通も。しかしデュラスは返事を出さない。なぜならデュラスは読者から多くの手紙が送られてきてもどんな手紙にも返事を出さないのが常だからである。 【デュラス 愛の最終章 第03段落】 ヤンは手紙を出すのをやめた。そして自殺まで考えたらしい。そしてある時、デュラスから「会いに来るように」と書かれた手紙が届く。ヤンが直ぐにカーン (Caen) からトゥルーヴィル (Trouville) の彼女のアパルトマンを訪ねる。実際は彼が訪ねたのはL'Hotel des Roches Noires(ロッシュ・ヌアール・ホテル)だったと、1999 年東京日仏学院での講演にて質問に答えている。このホテルは、モネが描いたホテルとして有名だ。 【デュラス 愛の最終章 第04段落】 私はこの頃の実際の彼はどんな男性か興味があった。彼は奥で何かを語る目にインテリっぽいメガネをかけた、青白い顔をしたブロンドの髪の青年だったらしい。彼の口ひげはよくある文学者の、例えば夏目漱石のようなもので、一目で彼、ホモ?と幸は思ってしまった。フランスで出版された「Cet Amour-là」の本の表紙に本物のデュラス女史とヤン氏の写真があるので、参考のため紹介しておく。何年ごろの写真か知らないが、お揃いのファッションでキメテイルところが仲が良さそうで微笑ましい。二人はいかにもフランス人でオチャメである。幸はこれをじっと観ていると、デュラス女史は実は男性で、男性同士の夫婦のように思えてくる。幸の考えが倒錯しているのかも知れなくて訳のわからないこと書いてゴメンナサイ。 【デュラス 愛の最終章 第05段落】 このトゥルーヴィルで会った日からデュラスとヤンが一緒に生活し始める。マルグリット・デュラス 66 歳、ヤン・アンドレア 28 歳、 1980 年の夏である。二人の生活は見た目には決して順風満帆ではなかった。デュラスは、年老いた女性が若いホモセクシュアルの男性の愛人を持つことの不安と焦りが、彼女の感情を激しく上下左右に揺らす。愛するがゆえ彼に誰にも電話もさせず外界との接触を禁じる。あるときは酒に溺れ、1982年にはアルコール中毒で入院している。愛人を罵倒することで甘えを表現し、時間構わず振り回すことで彼への愛を表現していたのではないか。老いとアルコール依存症、そんな中で 1984 年「愛人(L'Amant=ラマン)」でゴンクール賞(※1)を受賞する。 【デュラス 愛の最終章 第06段落】 (※1)ゴンクール賞(Prix Goncourt) フランスでもっとも権威ある文学賞。美術評論家、作家、歴史家でもあったゴンクール兄弟の遺志により、1903年に設立。その年に発表された最良の散文作品、とくに小説を対象に与えられる。若く、独創性にあふれた作家を対象としているが、ベテラン作家が選ばれることもある。因みに2001年のゴンクール賞は、Jean-Christophe Rufin(ジャン-クリストフ・リュファン)氏の<Rouge Bresil(赤いブラジル)>が選ばれたらしい。 【デュラス 愛の最終章 第07段落】 ある時、「Capri, c’est fini.(カプリ・セ・フィニ)」を歌ったシャンソンを2人で仲良く聴いていたとき、突然デュラスが怒り出し、「出ていけ!」とヤンを追い出す。ヤンは出て行くが少したって帰ってくる。彼女は子犬を可愛がるように迎え入れる。丁度彼の本当の苗字を自分の気に入る女性のような名前「アンドレア」と替えて可愛がるように。またある時、ヤンを深夜に叩き起こして、作ったビスケットを音を立てずに食えと怒る。暴力も振るう。突然トゥルーヴィルの海に行って鴎を見る、小エビや生牡蠣を食べる。 ▲TOPへ ◆ここからは、結末まで書いていますので、ストーリー全体が分ります。御注意下さい。 ATTN: This review reveals the movie content. Please don't say that I didn't say ! 【デュラス 愛の最終章 第08段落】 何の約束も予告もない。感情の起伏が激しく時には攻撃的なのは、年齢相応の老人痴呆症が進行していたのかも知れない。そして 1988年に入院後、翌年まで5か月に及ぶ昏睡状態が続く。ヤンは時には居た堪れなかっただろう。きっとベッドで心の痛みに暮れて泣き明かした日もあっただろう。しかし彼は彼女の文学に恋をし、彼女そのものが文学であり彼の理想を愛したのではないかと思われる。彼女の無謀な我が儘は、染み付いた老いと病と忍び寄る死、そして何よりもヤンとの別離に対する恐怖の裏返しだと理解したからこそ、彼女のあらゆる形の愛を受け入れ、彼女の孤独と寂寞を共有する時間を選んだのだろうか。 【デュラス 愛の最終章 第09段落】 ヤンは彼女の死まで 16 年間彼女を支え、共同作業し、慰め、看病し、愛しむ。映画は、ほとんどがデュラスとヤンの二人芝居劇で淡々と進む。愛に生きたマルグリット・デュラス 1992 年 82 歳逝去。いつまでも少女のままで愛を求めた幸せな人である。 【デュラス 愛の最終章 第10段落】 ヤンと生活し始めから死ぬまでの 16 年間でデュラスは上記の作品を残している。 22本であるが、少し年代のずれがあるかも知れない。これまでにも 1943 年の『あつかましき人(Les Impudents)』から 1979 年までの 37 年間で 24 本執筆してある。デュラスはヤンと知り合ってからのほうが倍のスピードで書き上げて出版している。むしろ老人になってからの本数が多い。これはヤンがデュラスの大きな精神的支えであると同時に執筆作業に何らかの手助けをしていたことを物語っているように思う。幸は興味あるデータに気がついたときはとてもウレシイ。 【デュラス 愛の最終章 第11段落】 愛は人の数だけ形がある。マルグリット・デュラスとヤン・アンドレアの求めた愛は、決して定型にとらわれたものではないが、その存在だけは認識できると信じた。その愛の存在は魔法のように彼らを操った。つかの間の喜びと多くの苦痛と忍耐を二人に強いた。しかし、ヤンにとって彼女の不在そのものが人生の行間である。観るものの人生観が大きくこの映画の評価に左右するように思える。真実はどうであれ、この幸のレヴューを読んで、是非とも先ず映画を観て心震えてください。 Allez voir ça tout de suite au cinéma, de toute façon! On y va? (novembre 30, 2002 par Sati Coda) 以上。 <もっと詳しく>からスペースを含まず3063文字/文責:幸田幸 参考資料:「映画の森てんこ森」映画タイトル集 http://www.coda21.net/eiga_titles/index.htm IMDb allcinema ONLINE Nostalgia.com CinemaClock.com 公式サイト(仏語版) http://www.cetamourla-lefilm.com/ |
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■映画『 デュラス 愛の最終章 (2001) CET AMOUR-LÀ
』の更新記録 2002/11/30新規: ファイル作成 2005/03/14更新: ◆一部テキスト追記と書式変更 2005/09/05更新: ◆データ追加 |
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幸田 幸 coda_sati@hotmail.com |
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