トム・クルーズ
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 トム・クルーズ@映画の森てんこ森
トム・クルーズ 『 宇宙戦争 』 タイトル
トム・クルーズ
2005年5月22日日曜日 「シャイな幸の独り言」トップへ
 【 トム・クルーズの『宇宙戦争』 】
 トム・クルーズの映画『 宇宙戦争 (2005) WAR OF THE WORLDS 』は、昨年調査して、2004年12月13日に新規ファイル作成した。随分前のことだ。
 この『 宇宙戦争 』では、トム・クルーズが『 マイノリティ・リポート (2002) MINORITY REPORT 』でコラボしたスティーヴン・スピルバーグ監督と再び手を組み、イギリスの小説家H・G・ウェルズ( Herbert George Wells : 1866-1946 )の古典SFである「宇宙戦争 ( WAR OF THE WORLDS ) 」をリメイクする超話題作だ。

 トム・クルーズは『 MISSION: IMPOSSIBLE III (2006) 』を、スピルバーグ監督は 1972 年のミュンヘン・オリンピックを描く映画『 VENGEANCE (2006) 』のそれぞれのプロジェクトを延期して撮影したという話題作だ。お金(推定予算)も、$128,000,000 (estimated) (1ドル=105円換算で134.4億円)と随分かかった。正に大作だ。すでに映画『 宇宙戦争 (2005) WAR OF THE WORLDS 』の公開予定は、全米日本とも、2005年6月26日に予定されている。

 あ、今日はこのページは、映画『 宇宙戦争 (2005) WAR OF THE WORLDS 』の話ではなく、俳優トム・クルーズについて書く。トム・クルーズは彼の映画を観ると、なんてカッコいいのかなと思ってしまって、映画の間は彼に恋して観終わってからもチョッと後を引く。以下にトム・クルーズのバイオグラフィーを書く。

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トム・クルーズ Tom Cruise
トム・クルーズ Tom Cruise
Photo Date: 3 September 2004
Photo by Jeff Vespa - (c) WireImage.com
 Image courtesy WireImage.com

IMDbより使わせて頂いてます。
 トム・クルーズは、1980 年代をハリウッドで最も輝いているゴールデン・ボーイとして過ごした。そんなトム・クルーズは、今や映画のプロデュース等もこなす大スターだ。身長は 170cm と低いが、黒髪に青い目の甘いマスクと、臆しない生意気な雰囲気で世界中の映画ファンを魅了したトム・クルーズは、『 トップガン (1986) TOP GUN 』や『 レインマン (1988) RAIN MAN 』といったヒット作品で成功した。 90 年代の初めに人気に少し陰りが見え始めたが、アクション・ヒーローとして、また、『 ザ・エージェント (1996) JERRY MAGUIRE 』や『 マグノリア (1999) MAGNOLIA 』で演技派俳優として評価され、すぐに立ち直った。

 トム・クルーズ(本名:トーマス・クルーズ・メイポーサー4世 Thomas Cruise Mapother IV )は、1962 年 7 月 3 日(蟹座)にニューヨークのシラキューズ Syracuse, NY で、電気技師の父トーマスと母メアリーとの間に生まれた。 3 人の姉妹がいる。俳優トム・クルーズの子供時代は、不安定な家族と共に町から町へと移り住む生活だった。何かを読んだ後、そのことについての記憶が殆どなかったトム・クルーズは、 7 歳の頃に失読症と診断された。そのお蔭で、頭が真っ白になり、不安で、イライラして、挫折感で一杯だったそうだ。

 トム・クルーズは、14歳までにアメリカ合衆国とカナダの 15 の学校に通い、母親と彼女の新しい夫と共に、ニュージャージー州のグレン・リッジ Glen Ridge, New Jersey で遂に定住する。高校生の時、レスリングをしていたトム・クルーズだが、膝の怪我で演技の道に。この新しい活動は 2 つのことに役立った。演技をする事で注意力が身に付く様になり、また、演技における記憶が自らの失読症に取り組む手助けとなった。

 トム・クルーズは、1980 年にニューヨークへ移った。映画『 エンドレス・ラブ (1981) ENDLESS LOVE 』で初めてブレイクするまで、臨時の仕事をし続けていた。トム・クルーズの最初のビッグ・ヒットは、両親がいない間に下着でリビング・ルームを踊りまわる青年を演じた『 卒業白書 (1983) RISKY BUSINESS 』。 80 年代初期の映画産業を引き継いでいこうとする 20 代の若い俳優達の一人として、ハリウッドの記者たちはトム・クルーズを褒めちぎり始めた。しかし、トム・クルーズは他の若い俳優達のように苦悩するティーンエイジャーといった類の役を演じないことを選ぶ。それは賢い選択だった。同世代の俳優達が途中で挫折、もしくは安っぽいヴィデオ映画に出演する中、トム・クルーズはスターの地位を保った。

 トム・クルーズは、『 トップガン (1986) TOP GUN 』でアクション・スターとしての地位を確立した。また俳優としてレッテルを貼られることを拒み、共演者のポール・ニューマン Paul Newman (『 ロード・トゥ・パーディション (2002) ROAD TO PERDITION 』等)がアカデミー主演男優賞を獲得した『 ハスラー2 (1986) THE COLOR OF MONEY 』でビリヤードのウマい若造という堅実な役で『 トップガン (1986) TOP GUN 』に次いで波に乗る。ミミ・ロジャーズ Mimi Rogers と結婚した翌年の1988 年、トム・クルーズはやりがいのある仕事を受けた。『 レインマン (1988) RAIN MAN 』での、ダスティン・ホフマン Dustin Hoffman (『 ムーンライト・マイル (2002) MOONLIGHT MILE 』『 ニューオーリンズ・トライアル (2003) RUNAWAY JURY 』『 ネバーランド (2004) FINDING NEVERLAND 』等)が演じた自閉症の男性の弟役だ。ハリウッドの古い体制は映画の成功は難役を演じたダスティン・ホフマンにあるとしたが、よく『 レインマン 』を観ると、真に映画の中心となっているキャラクターは、人間性において成長していくトム・クルーズが演じた役にあると分かる。

 トム・クルーズは、1989 年、ついに牽引役の年上の大スターのいない感動大作映画に出演する機会を得た。『 7月4日に生まれて (1989) BORN ON THE FOURTH OF JULY 』で、ベトナム戦争の後遺症が残る実在の退役軍人ロン・コヴィック Ron Kovic を最高の演技で演じ、アカデミー賞にノミネートされる。1990 年 2 月にミミ・ロジャーズと離婚してから、およそ 10 ヵ月後のクリスマス・イヴに、『 デイズ・オブ・サンダー (1990) DAYS OF THUNDER 』で共演したニコール・キッドマン Nicole Kidman (『 ムーラン・ルージュ (2001) MOULIN ROUGE! 』『 めぐりあう時間たち (2002) THE HOURS 』『 コールド マウンテン (2003) COLD MOUNTAIN 』『 ステップフォード・ワイフ (2004) THE STEPFORD WIVES 』『 ザ・インタープリター (2005) THE INTERPRETER 』等)と結婚。妻となったニコール・キッドマンと再び共演した『 遥かなる大地へ (1992) FAR AND AWAY 』ではちょっとガッカリだったが、『 ア・フュー・グッドメン (1992) A FEW GOOD MEN 』で元の信頼を取り戻す。

 トム・クルーズは、1994 年、長く映画化が待たれていたアン・ライス Anne Rice 原作の『 インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア (1994) INTERVIEW WITH THE VAMPIRE 』に出演する。アン・ライスはトム・クルーズが吸血鬼レスタトを演じることに猛烈に反対したが、映画を観て考えを撤回した。私も観たけど、吸血鬼のトム・クルーズはカッコよかった! 1996 年、トム・クルーズは大予算アクション映画『 ミッション:インポッシブル (1996) MISSION: IMPOSSIBLE 』で製作にも名を連ね、 7000 万ドル(1ドル= 105 円換算で約 79 億円)の出演料をゲットし、経済的にも大成功を成し遂げる。同時に、同じ年の映画『 ザ・エージェント (1996) JERRY MAGUIRE 』では、アカデミー賞にも再度ノミネートされ、彼がハリウッドのメジャーな俳優とみなされている理由を証明した。巨匠スタンリー・キューブリック Stanley Kubrick 監督の最期の作品となった『 アイズ ワイド シャット (1999) EYES WIDE SHUT 』で、当時の奥さんニコール・キッドマンと 3 度目の共演。撮影が始まる時から、論争、噂、推測の的となったこの作品で、トム・クルーズはさらなるステップアップに成功する。

 トム・クルーズは、巨匠の作品に出演した1999 年の年に、才能ある若手のポール・トーマス・アンダーソン Paul Thomas Anderson 監督の群像劇映画『 マグノリア (1999) MAGNOLIA 』にも出演。モテない男達の教祖という強烈な役どころを演じ、アカデミー助演男優賞にノミネートを受ける。 2000 年にはジョン・ウー John Woo 監督の『 M:I−2 (2000) MISSION: IMPOSSIBLE 2 / M:I-2 』で国際スパイのイーサン・ハントを再び演じ、前作より 500 万ドルアップのギャラを手にする。超人気スターが次に選んだ作品は、スペインのアレハンドロ・アメナバール Alejandro Amenabar 監督の佳作『 オープン・ユア・アイズ (1997) ABRE LOS OJOS (原題) /OPEN YOUR EYES (米題) 』のリメイク作品『 バニラ・スカイ (2001) VANILLA SKY 』。『 ザ・エージェント (1996) JERRY MAGUIRE 』のキャメロン・クロウ Cameron Crowe 監督と再びコラボする。アーティスティックな作品の分野でも成熟したスターの貫禄を見せたトム・クルーズは、今までのファンの支持はもちろん、これまで彼をミーハーっぽいと批判してきた人々からも認められるようになる。

 トム・クルーズは、また、アレハンドロ・アメナバール監督のハリウッド進出作で、当時の妻ニコール・キッドマン主演のホラー『 アザーズ (2001) THE OTHERS 』や、『 NARC ナーク (2002) NARC 』、『 ニュースの天才 (2003) SHATTERED GLASS 』といった作品に、製作総指揮として参加。演技以外の映画の仕事にも手を広げていく。もちろんスターとしての活躍にも余念がない。スティーヴン・スピルバーグ Steven Spielberg 監督とのSF映画『 マイノリティ・リポート (2002) MINORITY REPORT 』は大ヒット。又、日本で特に話題となったエドワード・ズウィック Edward Zwick 監督の『 ラスト サムライ (2003) THE LAST SAMURAI 』に出演し、日本人のトム・クルーズへの親近感度・知名度をアップさせた。そのお蔭で『 コラテラル (2004) COLLATERAL 』のプロモーションで来日した時には、日本シリーズ第 3 戦西武ライオンズ vs 中日ドラゴンズ戦の始球式を務めたり、初の外国人俳優として日比谷シャンテ合歓(ねむ)の広場に設置される手形を取ったりした。映画『 コラテラル (2004) COLLATERAL 』では本格的な悪役にも挑戦し、俳優トム・クルーズの射程範囲を広げている。

 一方、トム・クルーズの私生活の方では、 2 人の養子を迎えながらも、 2001 年 8 月にニコール・キッドマンと離婚。その後、『 バニラ・スカイ (2001) VANILLA SKY 』で共演したペネロペ・クルス Penelope Cruz と 3 年ほど交際するが、 2004 年 1 月に破局。破局の理由の一つとして、トム・クルーズが新興宗教サイエントロジー Scientology の熱心な信者であることが噂されたが定かではない。破局後、トム・クルーズがサイエントロジーのスペイン本部のオープン式典に出席した時、参列者の中にペネロペ・クルスの姿もあったそうだから。トム・クルーズがサイエントロジーに入信したのは、『 トップガン (1986) TOP GUN 』に出演した後あたり。開祖である L. Ron Hubbard が 1960 年代に開発した“Study Technology”で、失読症を克服したそうで、深く信仰するようになったようだ。ジョン・トラヴォルタ John Travolta (『 閉ざされた森 (2003) BASIC 』『 炎のメモリアル (2004) LADDER 49 』『 パニッシャー (2004) THE PUNISHER 』等)、カースティ・アレイ Kirstie Alley (『 わたしが美しくなった100の秘密 (1999) DROP DEAD GORGEOUS 』等)、アイザック・ヘイズ Isaac Hayes らもサイエントロジーを信仰しているセレブだ。

 とにかく、トム・クルーズはこれからもいつまでもカッコよくあってほしい。幸にとっては映画を観出してから、大いに応援している俳優の一人である。

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トム・クルーズのフィルモグラフィー(代表作のみ)
■『 レインマン (1988) RAIN MAN
■『 7月4日に生まれて (1989) BORN ON THE FOURTH OF JULY 』< 1990 年アカデミー主演男優賞ノミネート>
■『 ザ・エージェント (1996) JERRY MAGUIRE 』< 1997 年アカデミー主演男優賞ノミネート>
■『 マグノリア (1999) MAGNOLIA 』< 2000 年アカデミー助演男優賞ノミネート>
■『 M:I−2 (2000) MISSION: IMPOSSIBLE 2 / M:I-2 』(出演兼製作)
■『 オースティン・パワーズ ゴールドメンバー (2002) AUSTIN POWERS IN GOLDMEMBER
■『 マイノリティ・リポート (2002) MINORITY REPORT
■『 NARC ナーク (2002) NARC 』(製作総指揮)
■『 ニュースの天才 (2003) SHATTERED GLASS 』(製作総指揮)
■『 ラスト サムライ (2003) THE LAST SAMURAI 』(出演兼製作)
■『 コラテラル (2004) COLLATERAL
■『 宇宙戦争 (2005) WAR OF THE WORLDS 』等

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参考資料:「映画の森てんこ森」映画タイトル集
       http://www.coda21.net/eiga_titles/index.htm
      IMDb
      allcinema ONLINE
      Nostalgia.com
      CinemaClock.com
      Wikipedia, the free encyclopedia
      Yahoo! Movies
Text by Sati
coda21「映画の森てんこ森」幸田幸。
coda_sati@hotmail.com
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