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【お花屋さんの目次】 |
■お花屋さん:はじめに・・・
■お花屋さん:花の都フィレンツェのお花屋さん!
■お花屋さん画像
■お花屋さん:「花」を表す外国語と派生語
■お花屋さん:「フィレンツェ」ウィキペディア(Wikipedia)引用
■お花屋さん:「フィレンツェ」ウィキペディア(Wikipedia)情報
■お花屋さんの関係参考資料
■お花屋さん画像(1)640x480ピクセル
■お花屋さん画像(2)640x480ピクセル
■お花屋さん画像(3)640x480ピクセル
■お花屋さん画像(4)1280x960ピクセル
■お花屋さんスライドショー(5)320x240ピクセル
暦の上では立冬だけど、大阪の日中はぽかぽかと暖かい過しやすい日々が続く。
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■お花屋さん:はじめに・・・ |
今日のブログは「11/7(土)お花屋さん」。トップ画像は「お花屋さん」です。画像をクリックすると640x480ピクセルの拡大画像が見れます。昨日のブログ「11/6(金)東京ラスク」に続いて、本日の「11/7(土)お花屋さん」もわたくし、F・恭子が担当します。よろしくお願いいたします。
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■お花屋さん:花の都フィレンツェのお花屋さん! |
今日は「お花屋さん」です。
本日の「お花屋さん」はフィレンツェのフラワーショップです。フィレンツェは「イタリアと言えば」「フィレンツェ FIRENZE (イタリア旅行)」「フィレンツェのホテル」「フィレンツェの料理(その1)」「フィレンツェ-ウイーン-大阪」「フィレンツェのスーパーマーケット」「フィレンツェのホームステイ(その1)」「フィレンツェの美術館」「フィレンツェの料理(その2)」「フィレンツェの異常気象」「フィレンツェでピクニック」「フィレンツェで映画キル・ビル」と過去サッチャンが記事にしてあるけど、フィレンツェは英語では「Florence
フローレンス」、フランス語では「florence
フロランス」なので「花の都」という意味。そう思って見るせいか、フィレンツェの町には沢山のお花屋さんあるように思います。
「お花屋さん」のお花関係では、映画の森てんこ森には「ソルボンヌゆり」「アマリリス」「サツキ」などがありますが、「お花屋さん」関係の、特に切花の記事は案外少ないです。このブログは主にB級グルメですので当然ですが、機会があればお花の記事をもっと書きたいと思います。生け花を婚活として学んでいますので、ブログにも役立つかも・・・みたいな。
「お花屋さん」はイタリア語で「fioraio フィオライオ」。英語では「florist
フローリスト」、フランス語では発音が英語とチョッと違う「fleuriste
フローリスト」というそうです。
あ、そういえば、母がよく作ってくれた私の好きなフロランタン「florentins」は、フランス語で「フィレンツェの菓子」という意味だったよね。先日アップした「東京ラスク」の「プレミアム・アマンドラスク」はキャラメルでコーティングしたアーモンドスライスをのせて焼き上げてつくる糖菓という点ではフロランタン「florentins」風だよね。
さて、タイトルの「お花屋さん」画像は、フィレンツェSMN駅近くにあった「お花屋さん」のお花いっぱいの店内の画像です。画像にマウスオーバーする(カーソルを画像の上に置く)と、8枚の「お花屋さん」スライドショーも見れます。パソコンのパワーによっては画像を読み込むのに少し時間がかかるかも知れませんので、マウスオーバーしたそのままで少々お待ちください。「お花屋さん」スライドショーは頑張って作りましたので是非ご覧下さいね。
トップの「お花屋さん」画像は、「お花屋さん」のとっても明るく素敵な、そのまんまイタリアマンマ(イタリアのお母さん)の画像です。画像にマウスオーバーする(カーソルを画像の上に置く)と、「お花屋さん」の入り口から撮影した画像に入れ替わります。クリックで640x480ピクセルに拡大します。
以下の「お花屋さん」画像は、車道から撮影した「お花屋さん」の画像。画像にマウスオーバーする(カーソルを画像の上に置く)と、「お花屋さん」を別の角度で撮影した画像に入れ替わります。画像をクリックすると、1280x960ピクセルに拡大します。何を言っているのか全く分からなかったけど、とにかく楽しいマンマに圧倒された「お花屋さん」画像をフルサイズ大画面で是非ご覧下さいね!
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■お花屋さん画像 |
画像上にカーソルをおく(マウスオーバーする)と画像が入れ替わります。
元の表示画像の拡大画像640x480はここクリックしてください
画像またはここをクリックで別の画像(1280x960)をフルサイズ画面でご覧になるには、
クリック後表示された画像にカーソルをおき矢印または虫眼鏡をクリックしてください。
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■お花屋さん:「花」を表す外国語と派生語 |
【花】
〔英語〕flower
〔ドイツ語〕Blume
〔フランス語〕fleur
〔イタリア語〕fiore
〔スペイン語〕flor
【花屋】
〔英語〕florist
〔フランス語〕fleuriste
〔イタリア語〕fioraio
【フィレンツェ】
〔英語〕Florence
〔フランス語〕Florence
〔イタリア語〕Firenze
【フィレンツェの、フィレンツェ人(の)、フィレンツェ風(の)】
〔英語〕florentine
〔フランス語〕Florentin
〔イタリア語〕Fiorentino
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■お花屋さん:「フィレンツェ」ウィキペディア(Wikipedia)引用 |
「フィレンツェ」
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フィレンツェ(Firenze)はイタリアのトスカーナ州フィレンツェ県に属する人口36万人の都市である。
フィレンツェは、トスカーナ州の州都、フィレンツェ県の県庁所在地であり、近郊の人口は約20万人。1986年の欧州文化首都に選ばれていた。
フィレンツェは、古代ローマ時代、花の女神フローラの町としてフロレンティア(Florentia)と名付けた事が語源とされている。周辺国では、フィレンツェのことを Florence(フローレンス、英語。フロランス、フランス語)、Florenz(フロレンツ、ドイツ語)、Florencia(フロレンシア、スペイン語)と呼ぶことにもその名残が見られる。
フィレンツェは、古代にエトルリア人によって町として建設され、ローマ殖民都市がおかれた。
フィレンツェは、中世には一時神聖ローマ帝国皇帝が支配したが、次第に中小貴族や商人からなる支配体制が発展し、12世紀には自治都市となった。
フィレンツェは、近郊フィエーゾレを獲得し、アルノ川がうるおす広大で肥沃な平野全域の支配計画を進めた。1300年、教皇派内部がネーリ(黒党)とビアンキ(白党)の2つにわかれ、内乱がはじまった。内乱は終止符が打たれ、敗れたビアンキに所属していたダンテ・アリギエーリは1302年、フィレンツェから追放される。このような内部抗争が起ころうとも、都市は繁栄していた。
その後、遠隔地との交易にくわえて、毛織物業を中心とする製造業と金融業でフィレンツェ市民は莫大な富を蓄積し、フィレンツェはトスカーナの中心都市となり、最終的にはトスカーナの大部分を支配したフィレンツェ共和国の首都になった。そのうえ、商人と職人が強力な同業者組合を組織したことでフィレンツェは安定していた。もっとも裕福だった毛織物組合は14世紀の初めに約3万人の労働者をかかえ、200の店舗を所有していた。
メディチ家は金融業などで有力になり、商人と銀行家は市政の指導的な立場にたち、フィレンツェを美しい都市にする事業に着手した。フィレンツェは、14〜15世紀にはミラノとの戦争をくりかえしたが、1406年にアルノ川下流にあるピサを獲得して待望の海を手にした。
1433年、労働者と富裕階級の衝突は頂点に達し、コジモ・デ・メディチは貴族党派によってフィレンツェから追放された。だが、翌年コジモは復帰して敵対者を追放し、下層階級と手をむすぶことで名目上は一市民でありながら、共和国の真の支配者となった。彼の死後は、その子ピエロにその権力を継承し、孫のロレンツォの時代には、フィレンツェはルネサンスの中心として黄金時代を迎えた。
ロレンツォ・イル・マニフィコ(偉大なるロレンツォ)とよばれたロレンツォは、学問と芸術の大保護者で画家のサンドロ・ボッティチェッリや人文主義者をその周囲にあつめた。ロレンツォは共和国政府を骨抜きにし、その野心的な外交政策で、フィレンツェは一時的にイタリア諸国家間の勢力の均衡をたもたせることになった。フィレンツェのフロリン金貨は、全ヨーロッパの貿易の基準通貨となってフィレンツェの商業は世界を支配した。建築、絵画、彫刻におけるルネサンス芸術は、15世紀をとおして大きく開花し、サンドロ・ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が活躍するルネサンス文化の中心地となって学問・芸術の大輪の花が開いた。
ロレンツォの跡をついだ子のピエロ2世は、1494年にイタリアを侵略したフランスのシャルル8世に屈辱的な譲歩をした。これに憤慨した民衆は、同年ピエロを含む一族をフィレンツェから追放し、共和制をしいた。ピエロ失脚後にフィレンツェの指導者として登場したのは、ドミニコ会サン・マルコ修道院の院長ジロラモ・サヴォナローラだった。しかしロレンツォの宮廷のぜいたくを痛烈に非難していたサヴォナローラは、教皇をも批判するようになり、少しずつ民衆の支持を失っていった。1498年、サヴォナローラはとうとう民衆にとらえられ、裁判にかけられたのち処刑された。1512年スペイン軍によって権力の座に復帰したメディチ家は、1527年ふたたび追放されたが、1531年には復帰し、1569年、教皇の手でトスカーナ大公の称号がメディチ家に授与され、フィレンツェはトスカーナ大公国の首都となったが、政治的・経済的に次第に衰退した。
1737年に継承者がとだえ、メディチ家のトスカーナ支配はおわった。トスカーナ大公国はオーストリアのハプスブルク家に継承された。フェルディナンド3世は、1799年フランスによって退位させられたが、1814年復帰した。1849年に追放されたレオポルド2世はオーストリア軍とともに復帰したが、イタリアの独立をもとめる戦いが続き、1859年に退位した。結局、18世紀から19世紀までフィレンツェはナポレオン時代を除いてハプスブルク家の支配下にあったが、1860年にイタリア王国に合併され、1865年からヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のおさめるイタリア王国の首都となるものの、1871年首都はローマに移された。
第二次世界大戦中、フィレンツェの記念建築物の大部分は被害をまぬがれたが、ポンテ・ベッキオをのぞく橋のすべてが1944年に破壊された。また1966年の大洪水でたくさんの芸術財産が被害をうけたが、その多くは精巧な修復技術で数年をかけて復元された。
※以上は「フィレンツェ」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用・抜粋して編集しています。
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■お花屋さん:「フィレンツェ」ウィキペディア(Wikipedia)情報 |
「フィレンツェ」
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■お花屋さんの関係参考資料
※以下の「xxx@映画の森てんこ森」や「xxx@旅行の森てんこ森」ファイルは、主に「フィレンツェ」関連ファイルや「フィレンツェ」が話題に上る映画としてアップしてある記事のリストです。一部重複しているのもあります。
*お花屋さん@映画の森てんこ森
http://coda21.net/calendar_blog/200911/091106index.htm
*イタリアと言えば@映画の森てんこ森
*フィレンツェ FIRENZE (イタリア旅行)@旅行の森てんこ森
*フィレンツェのホテル@旅行の森てんこ森
*フィレンツェの料理(その1)@映画の森てんこ森
*フィレンツェ-ウイーン-大阪@映画の森てんこ森
*フィレンツェのスーパーマーケット@旅行の森てんこ森
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*踊れトスカーナ!@映画の森てんこ森
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〔お毒見役兼ページ監修〕森田稲井/塩梅精養料理研究会代表
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