炎のランナー
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炎のランナー (1981)
CHARIOTS OF FIRE
 映画『 炎のランナー (1981) CHARIOTS OF FIRE 』をレヴュー紹介します。

 映画『 炎のランナー (1981) CHARIOTS OF FIRE 』を以下に目次別に紹介する。
■映画『 炎のランナー 』の解説及びポスター、予告編
 ネタばれをお好みでない方はこの解説をご覧下さい。
■映画『 炎のランナー 』の映画データ
■映画『 炎のランナー 』のスタッフとキャスト
■映画『 炎のランナー 』の<もっと詳しく>
 <もっと詳しく>は映画『 炎のランナー 』の「テキストによる映画の再現」レヴュー(あらすじとネタばれ)です。※ご注意:映画『 炎のランナー (1981) CHARIOTS OF FIRE 』の内容やネタばれがお好みでない方は読まないで下さい。
■映画『 炎のランナー 』の舞台の一つ、ケンブリッジ大学キーズ・カレッジ
■映画『 炎のランナー 』でも描かれるユダヤ人問題
■映画『 炎のランナー 』、イギリスの第一次世界大戦
■映画『 炎のランナー 』実在のアスリート、ハロルド・モーリス・エイブラハム
■映画『 炎のランナー 』で描かれるパリ・オリンピックの一つ前、第 7 回アントワープ・オリンピック
■映画『 炎のランナー 』、第 8 回パリ・オリンピックとル・コック・スポルティフ
■映画『 炎のランナー 』、第 8 回パリ・オリンピックの話題のアスリート
■映画『 炎のランナー 』の結末
■映画『 炎のランナー 』、パリ・オリンピック後のハロルド・モーリス・エイブラハム
■映画『 炎のランナー 』、パリ・オリンピック後のエリック・ヘンリー・リデル
■映画『 炎のランナー 』の更新記録

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幸の鑑賞評価: 8つ星 
■映画『 炎のランナー (1981) CHARIOTS OF FIRE 』の解説及びポスター、予告編
炎のランナー
炎のランナー
■映画『 炎のランナー CHARIOTS OF FIRE 』の解説

 映画『 炎のランナー (1981) CHARIOTS OF FIRE 』は、作品賞・脚本賞・作曲賞・衣裳デザイン賞のアカデミー賞4部門に輝いた、ヒュー・ハドソン監督(『 永遠のアフリカ (2000) I DREAMED OF AFRICA 』等)の 1981 年の名作イギリス映画。ヴァンゲリス(『 1492・コロンブス (1992) 1492 CONQUEST OF PARADISE 』等)作曲のテーマ曲がよりこの映画『 炎のランナー 』を感動的にする。
  『 炎のランナー 』は、1924 年にパリで開催された第8回オリンピックに出場した、実在のイギリスのアスリート、ハロルド・モーリス・エイブラハム(ベン・クロス)と、エリック・ヘンリー・リデル(イアン・チャールソン)を題材に、国家の威信をかけた戦いであるオリンピックでの、アマチュアとプロ、個人と国家という問題を描いている。ユダヤ人であるハロルドはユダヤ人を差別する社会に挑戦し打ち勝つため、一方、敬虔なクリスチャンであるエリックは神の喜びを感じるため、二人はオリンピックの金メダル獲得を目指す…。
 アカデミー賞ではノミネート、カンヌ国際映画祭では見事助演男優賞を獲得したイアン・ホルム(『 未来世紀ブラジル (1985) BRAZIL 』『 フロム・ヘル (2001) FROM HELL 』等)の、『 炎のランナー 』での演技には思わずホロリとします。
●スチルはnostalgia.com、予告編はcinemaclock.comより許諾をえて使用しています。
Filmography links and data courtesy of The Internet Movie Database & Nostalgia.com.
Filmography links and data courtesy of CinemaClock Canada Inc.
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■映画『 炎のランナー (1981) CHARIOTS OF FIRE 』の映画データ
 上映時間:124分
 製作国:イギリス
 公開情報:FOX
 アメリカ初公開年月:1981年9月25日
 日本初公開年月:1982年8月
 ジャンル:青春/スポーツ/ドラマ
 《米国コピーTagline》Two men chasing dreams of glory!
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【『 炎のランナー 』のスタッフとキャスト】
監督: ヒュー・ハドソン Hugh Hudson
製作: デヴィッド・パットナム David Puttnam
原作: コリン・ウェランド Collin Welland
脚本: コリン・ウェランド Collin Welland
撮影: デヴィッド・ワトキン David Watkin
音楽: ヴァンゲリス Vangelis

出演: ベン・クロス Ben Cross ハロルド・M・エイブラハム
    イアン・チャールソン Ian Charleson エリック・H・リデル
    イアン・ホルム Ian Holm サム・マサビーニ
    ナイジェル・ヘイヴァース Nigel Havers アンドリュー・リンゼイ卿
     ニコラス・ファレル Nicholas Farrell オーブリー・モンタギュー 
    ナイジェル・ダヴェンポート Nigel Davenport バーケンヘッド卿
    シェリル・キャンベル Cheryl Campbell ジェニー・リデル
    アリス・クリーグ Alice Krige シビル・ゴードン
    デニス・クリストファー Dennis Christopher チャールズ・パドック
     リチャード・グリフィス Richard Griffiths カレッジの管理人

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<もっと詳しく>

ストーリー展開の前知識やネタばれがお好みでない方は、読まないで下さい。
■映画『 炎のランナー (1981) CHARIOTS OF FIRE 』の「テキストによる映画の再現」レヴュー

【炎のランナー 第01段落】  1978 年ロンドン。お葬式が厳かな教会で執り行われている。年老いた老人アンディ・リンゼイ卿(ナイジェル・ヘイヴァース:『 太陽の帝国 (1987) EMPIRE OF THE SUN 』等)が、故人を偲ぶスピーチをする。「…残っているのはオーブリーと私だけ…。」列席しているオーブリー・モンタギュー(ニコラス・ファレル:『 パール・ハーバー (2001) PEARL HARBOR 』『 シャーロット・グレイ (2001) CHARLOTTE GRAY 』等)老人は、ハロルド・モーリス・エイブラハム(ベン・クロス)の思い出にふける。

【炎のランナー 第02段落】  1924 年 6 月 28 日、ケント州のカールトン・ホテル。イギリスのオリンピック選手団が合宿を行っている。若き日のオーブリーは合宿の様子を伝えるため、母宛てに手紙を書いている。室内でクリケットに興じるオリンピック選手達の中で、一人熱くなってしまう、ハロルド・エイブラハム。オーブリーは思う。ハロルドはいつも身構えている。それは最初に会った日からずっと…。

【炎のランナー 第03段落】  1919 年、ケンブリッジ大学キーズ・カレッジの新入生オーブリーとハロルドはタクシーで相乗りになり、イギリスの最高学府である大学の中でも長い歴史を持つカレッジにやってきた。

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【炎のランナー 第04段落 ケンブリッジ大学のキーズ・カレッジ】   ケンブリッジ大学には 31 のカレッジがあり、そのうちの一つであるキーズ・カレッジは伝統と由緒のあるカレッジだ。正式にはガンヴィル&キーズ・カレッジ( Gonville and Cains College )といい、二人の創設者の名前に由来している。まず 1348 年にテリントンの教区牧師であったエドマンド・ガンヴィルにより、ガンヴィル・ホールとして設立された。しばらくの低迷期の後、 1557 年に元学生でフェローのジョン・キーズ博士によって再建・拡張された。キーズ博士はイタリアで医学の研究と実践を行っていたときに、自分の名字である Keys をラテン語に訳してCainsとしたそうだ。ガンヴィル&キーズ・カレッジのHPにある、Fellows & Staffというところを観ていたら、 Stephen Hawking というお名前があり、凄いカレッジだということがしっかりわかった。因みにブラックホールや宇宙の始まりについて研究しているホーキング博士は、かつてアイザック・ニュートンが持っていた Lucasian Professor of Mathematics という称号を持っている。

【炎のランナー 第05段落】  カレッジ到着早々、カレッジの管理人(リチャード・グリフィス:
宮廷料理人ヴァテール (2000) VATEL
ハリー・ポッターと賢者の石 (2001) HARRY POTTER AND THE PHILOSOPHER'S STONE
ハリー・ポッターと秘密の部屋 (2002) HARRY POTTER AND THE CHAMBER OF SECRETS
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 (2004) HARRY POTTER AND THE PRISONER OF AZKABAN 』等に出演)に突っかかる。管理人はハロルドが行ってしまうと、オーブリーに「エイブラハムという名前から聖歌隊員じゃないな」と忌々しく話す。ハロルドはユダヤ人だ。だから、この映画ではユダヤ人差別がキーワードの一つでもある。そこでどうしてキリスト教社会でユダヤ人差別があるのか、ちょっと調べてみた。

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【炎のランナー 第06段落 ユダヤ人問題】  中世のキリスト教社会では、商業や金融は悪徳とされ、キリスト教徒間による利子を伴う金貸しを禁止していたので、非キリスト教徒であるユダヤ人が金融業を担っていた。中世初期、キリスト教徒とユダヤ教徒は、お互いの教義を補完し合った、ギヴ&テイクな関係で巧くいっていたのだが、 1096 年の十字軍の遠征で状況が変わってしまう。十字軍の遠征の結果、イタリア商人が活躍し、ギルドといった同業者組合が発達し、キリスト教徒の資本家が力をつけてくると、ユダヤ人は貿易の中間業者といった商人や職人の世界から締め出されることになる。そこでユダヤ人たちは、担保物権と引き換えにお金を貸すような消費者金融に走った。消費者金融は主に貧困層を相手にした商売であり、キリスト教徒の弱みに付け込む悪徳ユダヤ人というイメージを固定化させることになってしまった。他にも色々あるかもしれないけど、ちょっと調べただけだからこれだけデス。

【炎のランナー 第07段落】  10 月 10 日、キーズ・カレッジで新入生晩餐会が開かれた。ダイニングホールの壁には第一次世界大戦の戦没者名がズラリと書かれている。彼らの死を悼み、新しくケンブリッジに入学した学生を鼓舞する学寮長のスピーチに、オーブリーと共に私も感激した。

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【炎のランナー 第08段落 イギリスの第一次世界大戦】  1914 年に第一次世界大戦が始まった当初、イギリス人の多くはその年のクリスマスには凱旋できると信じていたが、戦争は4年間続いた。第二次世界大戦のドイツによるロンドン空襲で資料が焼失したため、確実な数はわからないらしいが、第一次世界大戦におけるイギリス軍の戦死者は約 90 万人にものぼるらしい。(因みに第二次世界大戦の英軍戦死者は、 39 万 7000 人)イギリス史上前代未聞であるこの大量戦死が、彼らが第一次大戦を悲劇の戦争と考える所以でもある。ケンブリッジやオックスフォードから出征していった学生は、訓練もなしに下級将校となり、貴族的エリート意識から白兵突撃(銃剣を持って敵をめがけて突撃すること)を操典通りに実行し、三人に一人が帰らぬ人となったと言われている。エリートの若者たちを失った人的喪失は、戦後のイギリスに大きな影響を与えた。

【炎のランナー 第09段落】  ハロルドはカレッジ・ダッシュに挑戦した。それは、およそ 200 メートルある中庭の周りを 12 時の鐘の音が鳴り終えるまでに一周走ることで、 700 年間成功した者がいなかった。見物人で溢れる中庭を、学寮長達が自室の窓から眺めている。彼らはユダヤ人であるハロルドを快く思っていないが、彼の駿足には注目しているようだ。その挑戦にアンディも加わった。アンディは少しの差で失敗したが、ハロルドは見事カレッジ・ダッシュを成功させることができた。

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【炎のランナー 第10段落 ハロルド・モーリス・エイブラハムについて@】  「ユダヤ人であることは、痛みと絶望と怒りを持つことだ。屈辱を感じることだ…。」ハロルドはオーブリーに語る。ハロルドは 1899 年 12 月 15 日(いて座)にイギリスのベッドフォードで生まれた。彼の父親は金融業で財をなしたユダヤ系リトアニア人だ。映画では触れられていなかったが、兄シドニーは 1912 年のストックホルム・オリンピックに幅跳びのイギリス代表選手として参加している(因みに 6.72 mで 11 位だった)。また、ナイトの称号を得、 1936 〜 1939 年にセイロンの最高裁判所長官を務めた後、イギリスで最も古いアスレチック・クラブである、ロンドン・アスレチック・クラブの代表にユダヤ人として初めて選ばれたそうだ。映画の中でハロルドは、兄は医者だと語っていたので、もしシドニーが医者でもあるなら凄すぎるし、またシドニーとは別の兄がいたとしても凄い兄弟である。

【炎のランナー 第11段落 ハロルド・モーリス・エイブラハムについてA】  映画では 1924 年パリ・オリンピックに出場するハロルドしか描かれていなかったと思うが、彼は 1920 年アントワープ・オリンピックにも参加している。しかし、このベルギーでの大会での活躍はなく、その悔しさが、次大会のフランスへと彼を駆り立てたそうだ。ハロルドがオリンピックの金メダルを目指すのは、社会のユダヤ人に対する偏見への挑戦でもあった。ハロルドは学内の教会でオーブリーに話す。「イギリスはキリスト教徒とアングロ・サクソンの国であり、嫉妬と憎悪で他の者を追い出している…。」ハロルドはそういった人々を跪かせたかったのだ。他の学生が遊んでいる中、ハロルドは一人黙々と練習に励んだ。

【炎のランナー 第12段落】  1920 年、スコットランド高地。村の運動会で子供たちに賞を授けるのは、スコットランドの人気者エリック・ヘンリー・リデル(イアン・チャールソン)。余興で 200 ヤード・オープン・レースに参加したエリックは、皆の期待を裏切らない見事な走りでゴール。彼の走り方は独特で、顎を上げて腕をムチャクチャに振るのだが、それでも思いっきり速い。当時エジンバラ大学に在学していたエリックの学生生活は、学業、ラグビー、陸上競技と、とても忙しいものだった。その上、伝道師の息子であるエリックは、伝道活動も行っていた。(彼は父の仕事の関係で 1902 年 1 月 16 日(山羊座)に中国に生まれ、5歳のときにスコットランドに戻ってきた。)そこで彼は、友人(?)サンディの協力を得て、 1924 年のパリ・オリンピックでのメダル獲得を目指し、スプリントの練習に集中することにする。しかし、妹のジェニー(シェリル・キャンベル)は、兄が伝道活動から離れてしまうことを恐れていた。たぶん大好きな兄にいつも側にいて欲しかったからだろう。エリックの場合も映画には出てこないが、ロブという兄や、弟がいるようだ。

【炎のランナー 第13段落】  エリックが陸上競技で名を上げることは、キリスト教伝道においても効果的なことだった。父は息子に言う。「神のみ名とみ位を世に広めるために走れ。」両親は伝道のために中国に戻った。エリックはスコットランドの陸上競技会に出場し、そこで説教も行った。彼は聴衆に語る。「…ゴールに向かう力はあなた方の中から湧き出ます。…主の愛にわが身をゆだねること。それがゴールへの最短距離です。」これは彼自身のレース経験による言葉だろう。エリックは自分の駿足を神からの授かり物だと信じ、走るたびに神の喜びを感じていた。

【炎のランナー 第14段落】  イングランドで 100 m走、 200 m走、幅跳びと目覚しい活躍を見せていたハロルドは、エリックを観るためにスコットランド対フランスの競技会にやって来た。その大会で観たエリックは驚異的だった。エリックは他の競技者に突き飛ばされ転倒するが、立ち上がって見事な追い上げを見せ、トップでのゴールを果たす。ハロルドは彼の走りに衝撃を受ける。

【炎のランナー 第15段落】  ハロルドにはこの大会を訪れたもう一つの理由があった。それはプロのコーチ、サム・マサビーニ(イアン・ホルム:
『 未来世紀ブラジル (1985) BRAZIL
フロム・ヘル (2001) FROM HELL
ロード・オブ・ザ・リング (2001) THE LORD OF THE RINGS: THE FELLOWSHIP OF THE RING <前編>
ロード・オブ・ザ・リング (2001) THE LORD OF THE RINGS: THE FELLOWSHIP OF THE RING <後編>
ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還 (2003) THE LORD OF THE RINGS: THE RETURN OF THE KING
デイ・アフター・トゥモロー (2004) THE DAY AFTER TOMORROW
アビエイター (2004) THE AVIATOR 』等)に会うことだ。サムをパブに誘ったハロルドは「あの凄い気力と執念、野生動物のような走り方に怖くなった」と、エリックの印象を伝え、自分に力を貸して欲しいと頼む。申し込みはコーチがするものと、サムはすぐにハロルドの要求を受けなかったが、ハロルドを観察した結果、良ければ、自分からコーチの申し込みをすると言う。

【炎のランナー 第16段落】  ケンブリッジの友人達と観劇に出かけたハロルドは、舞台上の女優シビル・ゴードン(アリス・クリーグ)に一目ぼれ。彼女のことは先にオーブリーが目をつけていたのだが、情熱的でゴーイング・マイ・ウェイなハロルドは、観客席から彼女にアピールし、幕間に食事に誘いに行く。そして見事成功。舞台の後、二人で高級レストランに出かける。シビルから「どうして走るの?…走るの好き?」と尋ねられたハロルドは「中毒以上に、(ユダヤ人であることの)戦いの武器だ…」と答える。でも、シビルにとってはハロルドがユダヤ人かどうかなんてどうでもいいことみたい。二人はお互いに強く惹かれ合うのを感じる。シビルがウェイターに「いつもの」とオーダーしたメニューは、ユダヤ教が禁じている豚肉の料理。それも豚足だ。うっかりしていたシビルは「どうしましょう」とハロルドを見るが、二人で笑う。

【炎のランナー 第17段落】  ハロルドとエリックが対戦する日がやって来た。イングランドとスコットランドの対抗競技会か開かれたのだ。緊張走る控え室。黙々と準備をするハロルドに、エリックが「健闘を祈る」と挨拶をする。キリスト教精神溢れているからか、それともケルト人だからか、エリックはとても気さくな人柄である。自分にウットリしながら賛美歌を歌う女の子にウィンクしたり、サインを求められたときにスーツのペンホールダーから相手にペンを選ばせてあげたりと、かなりお茶目。

【炎のランナー 第18段落】  競技の結果は、ハロルドの惨敗だった。落ち込んで客席に座ったままのハロルドを、シビルが慰めようとするが、ハロルドはエリックとの能力差を思い知っていた。ハロルドが走るのは負けるためではなく勝つためだ。それなのにエリックには勝つことができない。勝てないことがわかっていて、走りを続けていくことはできない。「…何を目標にしたらいい?」悩むハロルド。

【炎のランナー 第19段落】  「あと2歩は私が保証しよう」サム・マサビーニがハロルドとシビルの前に現れた。レースを観ていたサムは、ハロルドの才能を買ったのだ。サムはハロルドに当時最速の男達のスライドを見せる。カリフォルニアの弾丸チャーリー・パドック( 1920 年アントワープ・オリンピックでの 100 m走金メダリスト、 200 m銀メダリスト)、ニューヨークの稲妻ジャクソン・ショルツ( 1920 年アントワープでパドックらと共に、 4 × 100 mリレーで金メダル獲得)、そしてエリック・リデルだ。サムはハロルドにエリックを気にするなと言う。なぜなら力と強靭な心臓で走る選手エリックは、 100 m走の選手には向いていないとサムは考えているからだ。エリックのダッシュには限界がきているが、ハロルドは違う。ハロルドの敗因はオーバー・ストライドだというのがサムの意見だ。

【炎のランナー 第20段落】  ハロルドはサムをコーチに猛練習を始める。また、エリックもサンディとともに猛練習していた。思うに、エリックが強靭な心臓を持っているのは、彼がスコットランドの高地で暮らしているからではないか。ケニアやエチオピアなどのアフリカの選手がマラソンで強かったりするのは、彼らが標高の高いところで生活し訓練しているからだ。それによく日本のマラソン選手が高地トレーニングをしたりしているから、高いところでの暮らしはそれだけで一つの訓練になるに違いない。

【炎のランナー 第21段落】  陸上に打ち込むエリックとハロルドだが、彼らを愛する女性は淋しい思いをする。エリックの場合は妹のジェニー、ハロルドは恋人のシビルである。エリックはオリンピックが終わるまでジェニーに伝道活動を任せると説得するが、ハロルドはシビルに、彼女のことを忘れなければならない、愛せないと言ったようだ。

【炎のランナー 第22段落】  シビルは心の不安を、ハロルドの友人アンディに相談する。貴族であるアンディの家は、キレイな芝生が広がる大邸宅。生まれながらに高貴で、お金持ちのアンディ(進学もイートンからケンブリッジと、王道を行くエリート)は、世の中を達観しているからか物事をよく理解している。自分にとって陸上競技の勝敗は遊びだが、差別感情に苦しむハロルドにとっては、それは命がけだ。ハロルドという人間を理解するアンディは、彼の勝利を祈りながら待つだけだとシビルに助言する。でも負けてしまったら…?

【炎のランナー 第23段落】  女優である友人のカノジョの色香に負けず、紳士らしく通したアンディはカッコいい。それにシビルが帰ったあと、あの広い庭にハードルを並べさせて練習をするのだが、そのハードルの上にはシャンパンの入ったグラスがのっている。「シャンパンがこぼれたら言って。」アンディの優雅な練習風景である。笑いと感動が入り混じるシーンだ。

【炎のランナー 第24段落】  学長(?)と学寮長は軽い食事にハロルドを招待した。アマチュアリズムをスポーツの是とする大学側が、専任のコーチをつけて自己の能力開発に全身全霊を傾けるハロルドのプロ化したやり方に意見するためだ。そのコーチであるサム・マサビーニがイタリア系且つアラブ系の人間だという事実は、学長達の心を逆なでした。学校側の言うアマチュアリズムは"紳士的敗北"だと言い返すハロルドに、"金の勝利"よりましだ、君のやり方は下賎だと、ユダヤ人への潜在的差別を匂わせる言葉で学校側は応酬する。そんな彼らにハロルドは「自己の能力の探究につとめ、自分の力に賭ける」と言って部屋を出た。学長は学寮長に話す。「あれがユダヤ人というものだ。神が違えば、目的も違う。」

【炎のランナー 第25段落】  ハロルド達ケンブリッジ学生のオリンピック出場が決まった。ハロルドは 100 m走と 200 m走、アンディは 400 m走とハードル、ストラードは1マイル( 1600 m )走、オーブリーは障害物競走だ。もちろんエリックも 100 m走の選手として選ばれた。しかし、敬虔なクリスチャンのエリックにオリンピック出場を躊躇させる重大な事実が判明する。 100 m走の予選が安息日である日曜日に行われるのだ。エリックはかつて日曜日にラグビーをしていた少年に注意したことや、陸上の練習に没頭する自分を非難する妹ジェニーを思い出す。フランスに向かう船上で、エリックはイギリスのオリンピック団長、バーケンヘッド卿(ナイジェル・ダヴェンポート)に、棄権の意思を告げる。しかし、メダル候補選手の棄権を、そんな簡単に受け入れるわけにはいかない。バーケンヘッドは、予選日を変えてもらえるようフランス人に働きかけてみるので、このことは他言するなとエリックに言ってその場をしのいだ。

【炎のランナー 第26段落】  イギリス・オリンピック選手団が乗る船は、ハロルドの歌とピアノで楽しく盛り上がっていた。ユダヤ人差別を苦にする感情の裏返しなのかもしれないが、イギリス最高学府であるケンブリッジの学生でありながら、オリンピックの選手であり、音楽にも造詣があるハロルドは、物凄い能力の人間だ。ユダヤ人には優秀な人が多いと聞くけど、ハロルドも例にもれず思いっきり優秀だ。優秀なケンブリッジ学生のオリンピック選手の中でも、私にとって少しは身近に感じられるオーブリーは、船上で母宛てに手紙を書いていた。「…僕はお父さんとお母さんのために走ります」

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【炎のランナー 第27段落 アントワープ・オリンピック】  オリンピックでの勝敗は国力を表すと言われるが、第一次世界大戦後、世界で一番元気な国だったアメリカは、オリンピックでも目覚しい活躍を見せていた。ベルギーで開催された、大戦後初めてのオリンピックである 1920 年第7回アントワープ・オリンピックでも 95 個のメダル獲得数はダントツの1位。2位のスウェーデンの 64 個を大きく引き離している。因みにイギリスは 43 個で第3位。わが国日本も大戦景気で国力が上がったお蔭か、このアントワープ・オリンピックでは初のメダルを獲得している。(日本の初出場は 1912 年第5回ストックホルム・オリンピック)それもテニスで2個の銀メダルをゲット!銀メダルに輝いた、男子シングルスの熊谷一弥さん、男子ダブルスの熊谷一弥さんと柏尾誠一郎さんは、本当にスゴイ!拍手!!

【炎のランナー 第28段落】  そのアントワープ・オリンピックに続く、 1924 年第8回パリ・オリンピック。やはり注目の的はアメリカ選手団である。鳴り物入りでパリにやって来たアメリカの選手団到着の映像を映画館で見るハロルド達。アマチュアリズムが根強く残っているイギリスに対し、すでにアメリカはプロのコーチを導入して科学的に選手の訓練を行っていた。スポーツに対する姿勢からも、 20 世紀はアメリカの世紀だということが分かる。

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【炎のランナー 第29段落 パリ・オリンピックとル・コック・スポルティフ】  1924 年第8回パリ・オリンピック開会式が華やかに始まった。各国の選手団が続々と行進し、入場してくる。参加国数が 29 から 44 と跳ね上がり、1000人のジャーナリストが来仏したこの大会は、オリンピックが主要なイベントとして広く認知される予兆を感じさせたそうだ。開催国フランスのユニフォームは、白いニットの胸に国鳥であるニワトリが青く描かれている。当時の服装からすれば、なかなか斬新なデザインだと思う。流石はファッションの国だ。ニワトリのブランドマークで有名なル・コック・スポルティフの公式サイトを調べてみたところ、 1920 年に創始者エミール・カミュゼが最初の成功を収めたと書いてあったので、たぶんあのユニフォームは彼が手掛けたものなのかなぁと思う。カミュゼ氏がニットや洋品類の職人達と一緒に、フランスで初めて製造を手掛けたスポーツ用品は、当時とても有名になり、パリやイギリスから買い求めにやって来る人がいたそうだ。「ル・コック・スポルティフ( Le Coq Sportif :スポーティーな雄鶏)」というブランド名は、1948 年に商標となったそうだ。

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【炎のランナー 第30段落 第 8 回パリ・オリンピックの話題のアスリート】  大会の標語は、" Citius, Altius, Fortius "(より速く、より高く、より強く)。閉会式は、国際オリンピック委員会の旗、開催国の旗、次開催国の旗、の3つの旗を掲揚する儀式だったそうだ。この映画のハロルド・エイブラハムとエリック・リデル以外の、1924 年パリ・オリンピックの話題の人を紹介してみる。

*Ellen Osiier(デンマーク)
今大会で初めてオリンピック競技となった女子フェンシングの最初の金メダリストが彼女である。
*ジョニー・ワイズミュラー(アメリカ)
後にハリウッドへ行き、ターザンとして 12 本の映画に出演した彼は、 7 月 20 日に競泳の100 mと 400 mのフリースタイルで2つの金メダルと、水球の銅メダルを獲得した。もちろん金メダルを取った 4 × 200 mのフリースタイル・リレーのアメリカ・チームの一員である。
*ガートルード・エダール(アメリカ)
彼女は競泳 100 mのフリースタイルで銅メダルを取った。2年後、彼女は女性として初めてイギリス海峡を泳いで渡ったことで話題になった。しかもそれまでに挑戦したどの男性よりも2時間も速く泳ぎ着いたそうだ。
*パーヴォ・ナーミ(フィンランド)
7 月 10 日、まず彼は簡単に 1500 m走で勝ち、それから 55 分後にトラックに戻り、 5000 m走でも勝った。個人競技において 1920 年アントワープで3つ、今大会で2つ、次大会である 1928 年アムステルダムで1つと、合計6つの金メダルに輝いた。長距離走に新たな次元をもたらしたナーミは、オリンピックの伝説となっているそうだ。
*内藤克俊(日本)
 内藤克俊さんがレスリングのフリー・フェザー級で、日本初の銅メダルに輝いた。エライ!拍手!!

 パリ・オリンピックのメダル獲得数は、1位アメリカ( 99 個)、2位フランス( 38 個)、3位フィンランド( 37 個)、4位イギリス( 34 個)、5位スウェーデン( 29 個)の順になっている。

【炎のランナー 第31段落】  オリンピック選手が招かれる晩餐会。エリックは、イギリス皇太子、バーケンヘッド団長、オリンピック委員会のサザーランド伯爵とカドガン卿に呼ばれた。彼らは、日曜日にある 100 m走の予選を棄権するエリックの決意を変えようとしたが、エリックは頑として聞き入れない。そんなエリックの態度が傲慢だと言うカドガンに対し、「個人の信仰に立ち入るのが傲慢だ」とエリックは声を荒げる。膠着状態が続く中、アンディがその部屋に現れた。すでにハードルで銀メダルを獲得した彼は、自分の 400 m走をエリックに譲ると進言した。その場にいた全員がアンディの申し出に賛成し、エリックは 400 m走に出場することになった。エリックにとっては、走ることは人生の一部に過ぎない。サザーランド伯爵が言うように、そんな彼こそが真のスポーツマンかもしれない。また、国家の名誉の為に個人の人格が否定されることは罪なことである。そんな発言をする伯爵には、戦死した第一次世界大戦のイギリス兵のことが念頭にあったのかもしれない。オリンピックはスポーツの祭典であるが、平和な戦争といった側面もあると思った。エリックが安息日に走らないことはイギリスでも話題になる。

【炎のランナー 第32段落】  ハロルドは自分とサムのために競技場の近くに部屋を借りていた。 100 m走の決勝前、その部屋でサムからマッサージを受けながら、ハロルドはオーブリーに話す。イギリスが色々な競技で苦戦する中、ハロルドも 200 m走の決勝で6位と完敗したこともあって、落ち込んでいたのかもしれない。ハロルドは決勝を恐れていた。しかし、彼の恐怖は試合で負けることではなかった。「…負ける怖さは知っていた。だが今は勝つのが怖い。」賢いだけあって、ハロルドは自己分析が良くできている。ハロルドがオーブリーを理想の人だと言うのは、仲間ではオーブリーが一番中庸だからだろう。足ることを知らない自分は、いつも心が満たされない。そんなハロルドの心が追い求め続けてきた金メダルを得ることになれば、一体後に何が残るだろう…。

【炎のランナー 第33段落】  100 m走決勝の控え室。アメリカのパドックもシュルツもハロルドと同じように緊張している。ハロルドが鞄を開けると、サムからの手紙が入っていた。レースは観られないと書かれていたその手紙の封筒の中には、サムからのお守りのペンダントが入っていた。それはサムの父親が使っていたものらしい。ハロルドは手紙に書かれたサムのアドバイスを胸に刻み、彼からのペンダントをつけて試合に臨んだ。・・・

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◆ここからは、結末まで書いていますので、ストーリー全体が分ります。御注意下さい。
 ATTN: This review reveals the movie content. Please don't say that I didn't say !


【炎のランナー 第34段落】  競技場にユニオン・ジャックが掲揚されるのが部屋の窓から見え、イギリス国歌が聞こえてきたとき、サムはハロルドの金メダル獲得を知った。ここはこの映画の中でも私が一番感激したシーンだ。喜んで感無量のサムは「 My son …」と呟く。しかし、試合が終わり、控え室で他のイギリス選手達がハロルドの快挙に浮かれている時、当の本人はちっとも嬉しそうではなかった。ハロルドにシャンパンを渡そうとしたオーブリーを制止してアンディは言う。「いつか君も優勝して思い知る。その虚しさを。」

【炎のランナー 第35段落】  イギリスにいるケンブリッジ大学の学長と学寮長は、「キーズ・カレッジ生、オリンピックで金メダル」という記事を読んで、「期待通りだ」と喜んでいる。おい、おい、アマチュアリズムはどうした!?

【炎のランナー 第36段落】  サムとハロルドはパリのカフェでお酒を飲んでいた。店はもう閉店で、ウェイターは二人に帰ってもらいたがっている。アマチュアリズムが根強く残る社会で、プロのコーチを職業としているサムとそのサムを雇うハロルドは、自分達の正しさを証明する結果を出さなければならなかった。また、イタリア系でありアラブ系でもあるサムと、ユダヤ人のハロルドは、アングロサクソンの国イギリスにおいて同じ葛藤を持っている。二人は共に世間を相手に戦ってきたのだ。サムは言う。「誰に勝ったか分かるか?サムとハロルドだ。」オリンピックの金メダルを獲得したことで、一応二人の戦いは終わった。しかし、「君は彼女のもとに帰って幸せに暮らせ」と言うサムの言葉を聞くハロルドの顔は浮かない。金メダルをとってしまって目標がなくなってしまったこと、金メダルをとっても社会はそんなに変わらないことを、金メダルをとって初めてハロルドは認識した。ハロルドは立ち上がり「サム・マサビーニ、世界一のコーチに乾杯!」と言った。

【炎のランナー 第37段落】  エリックの 400 m走の日がやってきた。強靭な心臓を持つ彼が 400 m走に出るのは正しい選択だと思う。気さくなエリックはレーンに並ぶ選手に挨拶をしていく。アメリカのコーチはエリックを重要視していなかったが、 100 m走で彼と戦う筈だったジャクソン・ショルツはそう思ってはいなかった。彼はアメリカの 400 m走選手に「(エリックは)奇跡を起こす男だ…」と忠告を与える。そして、レーンで準備をしているエリックに手紙を渡した。ショルツはエリックという人間が好きだったに違いない。エリックはいつものような独特のフォームで優勝を果たし、金メダルを手にした。

【炎のランナー 第38段落】  イギリスに帰国して駅で歓待を受ける選手達。しかし、その中にハロルドの姿はなかった。ホームで待つシビルは、汽車から不安そうに降りるハロルドの姿を見つけた。ハロルドの心配はシビルに出会って吹き飛んだようだ。幸せそうな二人である。

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【炎のランナー 第39段落 パリ・オリンピック後のハロルド・モーリス・エイブラハム】  アマチュアリズムとは、主にスポーツの世界で,勝利中心主義・商業主義などを排そうとする考え方のこと(新辞林)。そういった考え方が主流だった頃、ハロルドのプロフェッショナリズム(プロ精神)は時代に先立っていた。今も日本の野球のオリンピック・チームなどについて、アマチュアリズムとプロフェッショナリズムの問題が取りざたされるくらいだから、当時の社会の彼への反応は相当キツイものもあったのではないかなぁと思う。しかし、彼はオリンピックで輝かしい成功を収めることができた。それはサム・マサビーニはもちろん、兄シドニーの援助のお蔭でもある。 1925 年に幅跳びでケガをしてから引退するが、アマチュア・スポーツの活動に貢献した。その後、彼は弁護士、キャスター、スポーツ組織指導者( 1968 〜 1975 年の間イギリスのアマチュア運動競技委員会の議長を務めた)となり、多くの本を著した。 1978 年 1 月 14 日に亡くなった。

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【炎のランナー 第40段落 パリ・オリンピック後のエリック・ヘンリー・リデル】  オリンピックを終え、大学を卒業した後、エリックは再び中国北部に戻り 1925 〜 1943 年まで宣教師として務めた。日本軍の大陸侵略が始まると、中国での生活は危険なものになる。 1941 年、イギリス政府はイギリス国民に中国からの退去を促す。エリックは家族をカナダに向かわせるが、自分は天津に残った。彼は 1943 年に日本の捕虜収容所に抑留されたまま、 1945 年に亡くなった。日本人として彼の最期を悲しく思う。

以上。
<もっと詳しく>からスペースを含まず12815文字/文責:幸田幸

参考資料:「映画の森てんこ森」映画タイトル集
       http://www.coda21.net/eiga_titles/index.htm
      IMDb
      allcinema ONLINE
      Nostalgia.com
      CinemaClock.com
      WWW.OLYMPIC.ORG - OFFICIAL WEBSITE OF THE OLYMPIC MOVEMENT
      KIAT.NET
      Jews In Sports Online
      Eric Liddell Centre
      Le Coq Sportif オフィシャル・サイト
      こども宇宙教室
      http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~tamaki/joyama/joyama99/99nkzt.htm
      University of Cambridge
■映画『 炎のランナー (1981) CHARIOTS OF FIRE 』の更新記録
2003/01/14新規: ファイル作成
2004/07/08新: ◆テキストとリンク一部およびファイル書式
2005/03/13更新: ◆一部テキスト追記と書式変更
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幸田 幸
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