韓国
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 シャイな幸の独り言
韓国の旅
韓国
2004年06月27日日曜日 「シャイな幸の独り言」トップへ
 大韓民国(韓国)に行ってきました。今回の韓国訪問は、ソウルではお仕事少し、観光は少し田舎巡りと世界遺産、そしてソウルの知人に会うためです。勿論映画を観るのも忘れてはいません。韓国や香港やハワイは多くの方が訪れて知れ渡っているので、今まで旅行紹介や観光案内で作文するつもりはなかったのですが、韓国は距離的にも近く、最近のヨン様ブーム等の韓流が顕著。流石に幸はヨン様のロケ地巡りはしていませんが、韓国ブームに影響されて、幸の感じた韓国を幸なりに初めて紹介します。

韓国の目次】
■01 韓国料理
■02 韓国の温泉
■03 韓国観光(1)プヨ(扶餘)コンジュ(公州)スウォン(水原)
■04 韓国観光(2)雨のソウル昌徳宮宗廟南山韓屋村仁寺洞梨泰院
■05 韓国観光(3)ソウルでの再会

■01 韓国料理
 今回の韓国滞在で一番楽しみにしていたのが、韓国料理を食べることかな。日本から一番近い外国である韓国のお料理は、欧米旅行でたまに頂く「なんじゃこりゃー!(チョナン・カンのCMっぽく)」っていうお味ではなく、日本人にもしっくりくる(と思う)。私の関心を、私にとって近くて遠い国だった韓国に向かわせたのも、その料理だ。それは、先日、中欧へ行く時に利用した大韓航空(KE)の機内食で出たビビンパ。最近食べた機内食では一番美味しかった。往きも帰りも出たので、嬉しかった。特に帰りのビビンパは、東洋の味にホッとしたものだ。韓国滞在中は、韓国料理を食べられるなんて幸せだなぁ。何を隠そう、焼肉は私の大好きな料理。しっかり焼くより、生っぽい感じを残して食べるのが好きなので、「食べるのがハヤイ!」といつも家族や友人にブーイングを受けるほど。本場の味を食べられるなんて、ウキウキだ。

≪一日目の韓国料理≫
夕食 プルコギ
 タレに漬けた薄切りのお肉をネギなどと共に焼いた焼肉。そのお肉をサニーレタスのような野菜に包んで食す。
(感想)
 日本で食べる焼肉とは、別物だけど、美味しかった。韓国では食事に、バンチャン(キムチ、コンナムル<もやしの和え物>等のおかず)はつき物だそうで、いくらバンチャンを食べてもどんどん無料で継ぎ足してくれるのだ。本場バンチャンに感激!
 
韓国 01

≪二日目の韓国料理≫
朝食 ビュッフェ
 一般的なホテルの朝食ビュッフェと同じだけど、お粥があるのが、やっぱり東洋の国。
(感想)
 家の朝食は、いつも和食なので、やっぱりご飯に手が出てしまう。私は食べなかったけど、隣のテーブルの日本人の方が、スイカが日本より甘くておいしいとおっしゃっていた。見た感じ色が薄くて不味そうだったので食べなかったのだが、食べればよかったかな。
韓国 02
昼食 サムゲタン(参鶏湯)
 ひな鶏の中に、にんにく、高麗人参、もち米、松の実、ナツメなどを詰めて、スープで煮込んだ料理。夏バテ対策に日本では土用の丑にうなぎを食べるように、韓国ではサムゲタンを食べるそうだ。ナツメは他の食材に含まれている悪いものを吸収する役割があるそうで、この料理では食べてはいけないと、ガイドさんが教えてくれた。右のサムゲタンのチキンは丸一羽で一人前ですよ。私は残さず完璧に頂いた。マシッソヨ〜!
(感想)
 一番楽しみにしていたのがコレ!
韓国 03
 鳥インフルエンザが流行していた時期にニュースでサムゲタンのことを知って以来、ずっと食べてみたいと思っていたのだ!これは今まで食べる機会を逃していたので、初体験!嬉しい。高麗人参のお蔭で漢方っぽい味がして、体にいい感じ。
夕食 ヘムルチョンゴル(海鮮鍋)
 カニ、エビ、イカ、貝などが入った海鮮鍋。私が食べたのには、韓国のお餅やお豆腐なんかも入っていた。味はキムチ鍋の海の幸ヴァージョンみたいな感じだった。
(感想)
 お汁をご飯にかけると最高に美味しかった。韓国では、日本のように御椀を持って食べるのは無作法なことらしく、金属のお茶碗を食卓に置いたまま食べた。カルチャーショック!
韓国 04

≪三日目の韓国料理≫
朝食 ビュッフェ
 ホテルが変わったので、昨日のとはちょっと内容が違う。でもやっぱりお粥があった。ソウルのホテルなので、レストランのお客にはビジネスマン風の男性が多かった。
(感想)
 アジアのホテルの朝食は、大好き!(日本と香港と韓国のバイキング食事が一番私に合っている。)三日目ともなると、“アンニョンハセヨ〜”と、韓国語で給仕の人に挨拶するのも慣れてきたかな。
 
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昼食 石焼ビビンパ
 ガイドさんが、石焼ビビンパが陰陽五行説に基づいて作られていることを教えてくれた。陰陽五行説には「五味五色」という考えがある。「五味」は、甘い・辛い・苦い・酸っぱい・塩辛いの五つの味。「五色」は、黄色(中央)、青(東)、白(西)、赤(南)、黒(北)の五つの色。確かに石焼ビビンパには、中央に黄色の卵があり、ほうれん草の青、もやしの白、人参の赤、海苔の黒などと、色んな味のものがご飯の上に載っている。
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(感想)
 陰陽五行説に感動しながら、韓国のスプーンで五色の食材をグリグリにかき混ぜた。石焼のお蔭でできるご飯のおこげがまた格別。しかし、ここの食堂の石焼ビビンパはちょっと手抜きな感じがした。
夕食 カルビ
 下味をつけたヤンニョム(薬念:調味料・香辛料・薬味の総称)カルビを、店員さんがジョキジョキとハサミで切って焼いてくれる。もちろん骨付き。焼きあがったら、味噌などをつけてサンチュという菜っ葉に包んで食べる。
(感想)
 イヨッ、待ってました!“チャゲ&飛鳥”が来店したというお店で、美味しかった!でも私の席を担当した店員さんの態度が少し悪かったので、100点満点はあげられないかな。
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≪四日目の韓国料理≫
朝食 チョンボッチュッ(アワビ粥
 アワビが入ったお粥。(そのまんま!)卵も載っている。お粥の種類には他に、ボソッグルジュッ(牡蠣とキノコ粥)、野菜粥、エビ粥、鶏粥などもあるそうだ。
(感想)
 高級食材のアワビをお粥に入れるなんて、とても贅沢だと思っていたら、アワビが小さかったので、まぁそれなりだった。(大きいアワビのお店もあるんだろうけど。)やさしい味で、朝にピッタリ。また食べたい。
 
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 韓国料理が美味しいからと言って、いきなり食べ過ぎてはいけません。慣れない量の唐辛子で、お腹をこわしてしまう日本人が結構いるそうだ。かく言う私も…。
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■02 韓国の温泉
 韓国旅行の一日目は、ユソン(儒城)温泉でお泊り。夜遅くにホテルに到着したのでもう温泉は閉まっていて入れなかった。それで朝一番(5時半です!)にホテルの地下一階にある温泉へ行ってみた。
 日本ではほとんど温泉へ行ったことがないのだが、せっかく韓国の温泉地に来たのだから、こんな機会はめったにないと思い、意を決して温泉に向かう。ホテルの温泉だから、見た目は銭湯みたい。タオルを二枚貸してくれた。洗い用と、拭き用かな?薬草の入った温泉、泡風呂、石風呂など、水風呂以外は全部試してみた。せかせかと恥ずかしそうにそれぞれの温泉に入る女の子は、他のお客には奇妙だっただろう。お蔭で疲れを取るというよりは、疲れを増してしまったが、楽しい経験だった。
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ホテルのだから銭湯みたい。

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日本の温泉街みたいかな?
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ウォンの感覚に慣れないと。
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■03 韓国観光(1)プヨ(扶餘)、コンジュ(公州)、スウォン(水原)
 韓国滞在の 2 日目は、韓国の真ん中左辺りにあるテジョン(大田)のユソン(儒城)温泉から、東へ進み、チュンチョンナムド(忠清南道)にある嘗ての百済の都プヨ(扶餘)とコンジュ(公州)、それから北上して、キョンギド(京畿道)にある李朝時代の城郭が残るスウォン(水原)を訪ねた。

◇プヨ(扶餘) Buyeo ◇
ジョンニムサジ(定林寺址)
 プヨ(扶餘)は、 4 世紀から 7 世紀に朝鮮半島に存在した国、百済の最後の都。プヨ(扶餘)のジョンニムサ(定林寺)は、コンジュ(公州)から遷都が行われた 6 世紀に建立され、百済が滅びるまで栄えたお寺だ。しかし、百済滅亡時に町の建造物が破壊されたので、ジョンニムサジ(定林寺址)から嘗ての栄華を窺い知るのは難しい。南大門をくぐって中に入ると、中門の址、四角い小さな池、 1400 年以上ポツリと立ち続けている五層の石塔、金堂の址、講堂と、ジョンニムサジ(定林寺址)内を一望できる。高校生の時に日本史で寺院の伽藍配置について学んだが、ここのは大阪の四天王寺式と同じだ。日本は韓国から沢山のものを学んできたんだなぁと実感した。

 百済は 660 年に唐と新羅の連合軍に攻められて滅亡した。ジョンニムサジ(定林寺址)の石塔には、百済を攻め滅ぼした唐の将軍によって「大唐平百済国碑銘」が刻まれているそうだ。何が書かれているのか漢字を見てみようと思ったが、石塔は風化されていて全然分からなかった。仏舎利を納める塔は、石の文化の韓国では石造り、木の文化の日本では木造だとガイドさんが話をしていた。流れている思想は同じなんだけど、表現方法に違いがあったりする日韓両国。共通点・相違点の発見が、韓国旅行の楽しさの一つであるような気がした。

 ジョンニムサジ(定林寺址)の講堂の中には、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)の石仏が安置されている。唐・新羅との戦いの折に、頭部を切り落とされたらしい毘盧遮那仏には、不憫に思った近隣の人々によって、素朴なお顔の仏頭が設置されている。しかも、以前は外に置かれていたそうで、人々の気遣いで帽子も被っているが、オリジナルだと思われるボディ部分も、かなり風化されている。

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伽藍配置の話に、高校の日本史を思い出した。

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素朴な石仏。
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均整のとれた石塔。

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今日は天気がいい。
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◇プヨ(扶餘) Buyeo ◇
プソサンソン(扶蘇山城)
 のどかなハイキング・コースのようなプソサン(扶蘇山)では、ジョギングをしている女の人もいて、なかなか清々しいところ。私は旅行先や滞在先ではウォーキング(「ローマの休日(タダのローマの休日)」)やハイキング(「フィレンツェでピクニック」)などを計画して、できるだけ歩くようにしている。自分の目線と速度で観たいためとダイエットのため(滞在先でついつい食べ過ぎてしまうの)だ。このプソサンソン(扶蘇山城)の木漏れ日の中、緩やかな傾斜の遊歩道を歩くのは、気持ちがいい。プヨ(扶餘)の鎮山であるプソサン(扶蘇山)の天然の山城であるプソサンソン(扶蘇山城)は、百済の王宮があったと伝えられている。ガイドさんに導かれ、パノゥオルル(半月楼)へ向かう。その途中、現存する嘗ての土塁の上を歩いて行った。パノゥオルル(半月楼)からプヨ(扶餘)の町を一望した後は、ペックァジョン(百花亭)へ。

 日本人観光客でごった返していた(?実際は韓国人旅行者も沢山いたのだが、日本人と韓国人の区別がつかない)ペックァジョン(百花亭)は、ペンマガン(白馬江)/クンガン(錦江)を臨む絶壁、ナクファガン(落花岩)にある。ナクファガン(落花岩)の名前は、歴史の悲劇に由来している。唐・新羅の連合軍が百済に攻め入った時、百済宮の女官たちが辱めを受けるのを恐れて、この断崖に身を投じた。その様がまるで花びらが落ちるようだったらしい。その様子を描いた絵が、コランサ(皐蘭寺)というお寺の後ろに描かれており、ここには、ナクファガン(落花岩)の悲劇を含めた、このお寺にまつわる歴史が描かれている。

 コランサ(皐蘭寺)の横の土産物屋のオジサンが尺八のような笛を吹いていた。風流だなぁと思っていたら、ヘビ出現。日本人観光客の間でちょっぴり騒ぎに。笛を吹くとヘビが寄ってくるというが、本当だったんだぁ。コランサ(皐蘭寺)の名前の由来は、お寺の裏に湧き出ているという皐蘭薬水でしか育たないらしい皐蘭草にあるそうだ。百済の王宮で飲まれていたという湧き水、皐蘭薬水を飲めば若返るらしく、一応私も手を洗っていおいた。手がすべすべになるといいんだけど。

 プソサンソン(扶蘇山城)からの帰途は、ペンマガン(白馬江)/クンガン(錦江)の遊覧船に乗った。切符は韓国語で自分で買う。“ピョー・ハンチャン・チュセヨ(切符一枚下さい)”このくらいの韓国語なら幸でもできる。2500ウォン(約250円)だった。ペンマガン(白馬江)/クンガン(錦江)とは、日本では「白村江(はくすきのえ)の戦い< 663年、白村江での唐・新羅軍と日本・百済軍との戦い。百済を救援した日本軍は敗れ、百済は滅亡、日本は朝鮮進出を断念。新羅が朝鮮統一に一歩を進めた。『大辞林』>」で知られる白村江のこと。「熟田津(にぎたづ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」<額田王>と、百済再興のために海を渡った太古の人々に思いを馳せながら、ゆったりと船に揺られた。
 遊覧船や小船や定期船でのどかに川を行くのは大好きだ。フランス・パリのセーヌ川バトビュス、イギリス・ロンドン「リバー・ボートでテムズ川下り」、オーストラリア・パースのスワン川定期船(「ロットネスト島」)、香港・香港島から九龍半島へのスターフェリー、びしょ濡れになった京都・保津峡下り、そしてこの韓国・プヨ(扶餘)のペンマガン(白馬江)/クンガン(錦江)の遊覧船。どれも趣があっていい思い出だ。
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“半月楼”という寺は、韓国の政治家が書いたそう。

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日本人で混雑していた。

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木漏れ日が気持ちイイ。

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若返るといいなぁ。

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遊覧船に乗るのは、楽しい。
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この上を歩いた!

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ここから飛び降りるのは、コワいな。

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この写真の右側が落花岩のストーリーだ。

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ケースの中に皐蘭草が入っている。

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空に虹が見えた。写真にもうっすら…見えるかな?
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◇コンジュ(公州) Gongju ◇
ムリョンワンヌン(武寧王陵)
 横穴式石室<埋葬施設の一。遺骸を安置する玄室を割り石・切り石などで築き、これに通じる羨道(せんどう)を前面に設ける。入口が開閉でき、追葬が容易。『大辞林』>が多い、百済の王様のお墓は盗掘されやすいので、 1971 年に宋山里古墳群でムリョンワンヌン(武寧王陵)が発見されるまでは、当時を今に伝える遺跡が余りなかったらしい。奇跡的に盗掘を免れたムリョンワンヌン(武寧王陵)は、貴重なので、レプリカが展示されている宋山里古墳群模型館が作られている。黒っぽいレンガで作られたお墓のレプリカや、煌びやかな装飾品のレプリカ、当時のお墓作りの模型などが展示され、なかなか見ごたえがある。韓国の小学生も、社会見学に来ていた。

 百済第 25 代目の王である武寧王は、日本にも縁のある王様。武寧王の時より、五経博士<五経に精通し教授した学者。前漢の武帝の時に置かれた。日本書紀に、継体・欽明朝に百済より来日したという記録がある。『大辞林』>が日本に招かれるようになったし( 513 年)、彼の息子である聖明王は日本に仏教を伝えた( 538 年又は 552 年)。ムリョンワンヌン(武寧王陵)には、和歌山の高野杉で作られたものもあるらしく、交通が不便だった時代にどのようにしてそんなものを運んだのか、謎に包まれているそうだ。
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これから武寧王陵へ向かいます。

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昔の職人さんは頑張りました。
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中へ入ります。

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ここ宋山里古墳群には子供がいっぱいいた。
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◇ スウォン(水原)Suwon ◇
スウォンファソン(水原華城)
 プヨ(扶餘)、コンジュ(公州)と巡ってきて、もうかなりお疲れモード。世界遺産に登録されている広大な美しい城郭を見ても、これからここを歩いて一周するのだろうかと、しんどそうにしか思えない。スウォンファソン(水原華城)を一周するには 3〜4 時間はかかるそうで、今から考えるともったいないけど、ほんの一部を見るだけの観光となった。

 李氏朝鮮第 22 代目の王・正祖は即位すると、自分が幼い頃に米びつの中で非業の死を遂げた父・荘宗のお墓を、スウォン(水原)の郊外に移した。それで、父の名誉を回復するためにスウォン(水原)へ都を移すことにし、まず、城郭の建設に乗り出した。ヨーロッパの建築技術を取り入れた壮麗な城郭は 1796 年に完成したが、数年後に正祖王が亡くなったため、遷都は行われなかった。朝鮮戦争( 1950-1953 年)の被害に遭ったそうだが、再建された現在、スウォンファソン(水原華城)を一望すると、城郭の中は、普通に車が通る町になっていて、偉大な遺跡と人々の生活が混濁している。アジアだなぁと思った。
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スゴーイ!

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韓国の城門建築では一般的らしい。
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韓国の名所旧跡は、なぜか階段が高い。

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それぞれの門には作った人たちの名前が刻まれている。

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■04 韓国観光(2)雨のソウル
 海外旅行で初めて雨に降られた。ソウルも大阪と同じように梅雨らしいが、最近はちっとも雨が降っていなかったそうだ。なのに雨…。2001年6月から続いていた幸の旅行の晴れ記録が破られたことは悔しいけど、しっとりと雨にぬれたお蔭で暑さを感じなくてすんだ。暑さといえば、幸は暑いのは好きでないので雨のほうがまし。イタリア・フィレンツェ(「猛暑 ヨーロッパ異常気象」)、西オーストラリア・パース(「パース旅行 パースは暑かった!」)のような異常気象は二度と経験したくない。

チャンドックン(昌徳宮)
 シトシトと雨が降りしきる中、まず、訪れたのは、世界遺産に登録されている古宮、チャンドックン(昌徳宮)。ソウルの古宮には、チャンドックン(昌徳宮)の他に、キョンボックン(景福宮)、チャンギョングン(昌慶宮)、キョンヒグン(慶熙宮)、トクスグン(徳寿宮)がある。チャンドックン(昌徳宮)を見学するには、所要時間 1 時間 20 分のガイドツアーに参加しなければならない。ガイドツアーには韓国語・英語・中国語・日本語があり、 3 月〜 10 月の夏節期は、日本語ガイドは 9:30、10:30、12:30、14:30、16:30 からそれぞれ始まる。(ただし、変更があるかもしれないのでご自分でお確かめ下さい。)

 チャンドックン(昌徳宮)の日本語ガイドさんは、紫色のチョゴリ<上衣>とグレーのチマ<スカート>を着込んだ、上品な初老の女性で、この離宮に住まう妖精のような方。白い帽子が浮世離れした雰囲気をさらに際立たせている。雨に映える新緑の中、そんな彼女の後をついて歩いていると、遠い昔にタイムスリップをしたような気になる。チャンドックン(昌徳宮)の正門、トンファムン(敦化門)をくぐって、韓国最初の石橋である錦川橋を渡ると、そこはもう別世界だ。

 1405 年に造営されたチャンドックン(昌徳宮)は、正宮であるキョンボックン(景福宮)の離宮だが、キョンボックン(景福宮)より長い間、李氏朝鮮の王の御所だった。キョンボックン(景福宮)には行っていないので如何ほどか分からないけど、チャンドックン(昌徳宮)はそれは王様がずっと住みたくなるのが理解できるような美しさだ。私は、豊かな自然を擁するチャンドックン(昌徳宮)の静かな佇(たたず)まいが、すっかり気に入った。

 豊臣秀吉の朝鮮出兵<1592年(文禄1)4月の釜山浦上陸をもって開始された豊臣政権による朝鮮侵略戦争。日本軍は緒戦(戦争のはじめの段階)で朝鮮正規軍を破ったが、朝鮮民衆の義兵闘争や明の救援軍の反撃にあい、翌年、明との間に停戦協定が締結された。しかし、それは日明両国間の和平条件の齟齬(そご)のために破れ、97年(慶長2)再開された戦闘は、翌年8月の秀吉の死に至るまで続いた。この侵略は朝鮮の国土・民衆に甚大な被害を与えたのみならず、過酷な軍役・徴発によって豊臣政権の基盤もまた動揺する結果となった。朝鮮側では壬辰(じんしん)・丁酉(ていゆう)の倭乱と呼んでいる。文禄慶長の役。『大辞林』>で、焼失したチャンドックン(昌徳宮)だが、 1610 年に再建された。韓国では、豊臣秀吉のお蔭で、青瓦の殿閣は、このチャンドックン(昌徳宮)にある政務を行った御殿、ソンジョンジョン(宣政殿)にしか残っていない。チョンワデ(青瓦台)と呼ばれる韓国の大統領官邸が青緑色の屋根を持っているのは、この青瓦のソンジョンジョン(宣政殿)に由来しているのかなぁ?

 美しいチャンドックン(昌徳宮)を壊した日本人もいれば、ここにお住まいになった日本出身者もいる。李朝最後の皇太子、イ・ウン(李垠)の妃となられた、イ・パンジャ(李方子<り・まさこ>)( 1901-1989 )だ。イ・パンジャは、旧姓を梨本宮方子とおっしゃる、昭和天皇のお妃候補にもなられた日本の宮家のお嬢さん。その彼女が 1989 年に亡くなるまで、対馬に嫁した李朝最後の王女であるトケオンジュ(徳恵翁主)と生活したのが、チャンドックン(昌徳宮)のナクソンジェ(楽善斎)だ。流転の王妃の終の棲家は、木目を生かした何となく庶民的な雰囲気で、心休まる感じがした。

 チャンドックン(昌徳宮)からの帰り、トンファムン(敦化門)ではワングンスムンジャンキョデシッ(王宮守門将交代式)が行われていた。衛兵の交代式はイギリス・ロンドンはバッキンガム宮殿とチェコ・プラハはプラハ城(「プラハ」)のものを見学したことがあるが、この静かな佇まいの美しいチャンドックン(昌徳宮)では色とりどりの民族衣装を身に付けた守門将が並んでいて(私たちが入場する時間帯には衛兵は見えなかったように思うが)、チャンドックン(昌徳宮)のガイドツアーの最後に花を添えてくれた。ワングンスムンジャンキョデシッ(王宮守門将交代式)は期待していなかったので、何か得したような気がした。
 
韓国 34
トンファムン。

韓国 36
雨の中、趣がある。

韓国 38
西遊記の登場人物らしい。

韓国 40
くぐると長生きするらしい。

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朱塗りじゃないので、落ち着いた素朴な感じ。

韓国 44
中からは見てはいけないみたい。
韓国 35
キレイな衣装です。

韓国 37
左右に並んでいるのが品階石。

韓国 39
すごく美しかった。

韓国 41
ゴミ箱にも意匠がこらされている。

韓国 43
カメの甲羅模様は、長生きを意味する。

韓国 45
昔はこんな感じだったんだぁ。
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チョンミョ(宗廟)
 李朝時代歴代の王と王妃らの位牌が祀られているチョンミョ(宗廟)は、韓国ソウル旅行情報ガイド「ソウルナビ」のHPでは“古宮”扱いだが、「VisitSeoul.net - ソウル文化&観光旅行」のHPでは“遺跡地”のカテゴリーに入っている。ここチョンミョ(宗廟)では、毎年五月に、王族の末裔達による大々的な法事が行われるそうだ。その祭礼が執り行われるチョンミョ・チョンジョン(宗廟正殿)を見学する。チョンジョン(正殿)の石畳の中心に敷かれた魂が通る道を踏んでしまって、ガイドさんに注意された。注意を喚起するものが表示されていないので、気をつけよう。
韓国 46
真ん中の黒っぽい道に魂が通るそうだ。
韓国 47
魂の往来のため、門には隙間がある。
韓国 48
カメラを向ける私を嫌がって逃げるリス。
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ナムサン・ハノク・マウル(南山韓屋村)
 韓国の伝統家屋を見学。
韓国 49
韓国語でソウルとは首都という
普通名詞の意味もある。

韓国 51
オンドルは床暖房。
韓国 50
大股歩きの練習に使われたそう。

韓国 52
日本とは微妙に違う。
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インサドン(仁寺洞)
 伝統工芸品店などのお土産物屋さんが立ち並ぶ、韓国らしいところだ。ちょっとだけ歩いてみた。
韓国 53
インサドン。

韓国 55
何を買いにいらしたのかな?
韓国 54
いつかは日本の女子高生みたいになるんだろうか?

韓国 56
ホットとは仁寺洞名物(?)のお菓子、
ホットケーキみたい。
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イテウォン(梨泰院)
 在韓米軍の人たちが多い、インターナショナルな通り。店への呼び込みのために日本人は腕を引っ張られたりすることがありコワいと聞くので、簡単に写真を数枚撮り、通りを歩くのをやめた。団体の中ならいいのだが、一人でカメラを持ってシャッターを押していると余計に危ないと思い直ぐに待ち合わせの場所に行った。
韓国 57
イテウォン。
韓国 58
夕食はこの通りで頂きましたが。
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■05 韓国観光(3)ソウルでの再会
韓国 61
仁川国際空港のロッテ免税店では、
ヨン様が優しい微笑で迎えてくれた。
韓国 62
ソウルのロッテワールド免税店でも、
ヨン様が優しい微笑で迎えてくれた。
 今回、韓国を訪れたのは、韓流ブームのせいではない。(ロッテワールド免税店では、ヨン様<裴勇俊 ペ・ヨンジュン>のポストカードをもらったけど。)前回の中欧旅行(ウィーンプラハ等)の往きの飛行機の中で出会った、素敵なソウル在住の女性に再び会うためだ。独身で年齢不詳のキレイなその方は、韓国の大学の先生。そのような名誉ある職にありながら、気さくに親切に飛行機の中で韓国語を教えてくださり、お蔭で周りの韓国のおばさん達や、フライト・アテンダントの方たちともちょっぴりコミュニケーションできた。美人で知的で親切なその女性に、再び会いたいこともあり、私は韓国旅行へと繰り出したのだ。

 彼女は、ヒュンダイ(現代)のスポーツカーで私の泊まるホテルに現れた。それから、韓国のリッチな若者の人気スポットである、ハイアット・ホテルに連れて行ってくださった。ハイアットの中は、まるで『 ロスト・イン・トランスレーション (2003) LOST IN TRANSLATION 』。ソウルの町が一望できるカフェには西洋人がちらほら、柔らかい灯りが包むロビーの天井は高く、フィリピンからの出稼ぎシンガーが歌を歌っている。『 ロスト・イン・トランスレーション 』は、韓国ロケでもOKだったかも???

韓国 59
天井が高い。

韓国 60
この男の子、困ったちゃんだけど、可愛かった。

 彼女はグラスホッパーというカクテル、私はキャラメル・カップというアイスクリームを頼んだ。値段の張るアイスクリームだっただけに、非常に美味しく、卑しくも夢中になって食べた。とても元気になった。ご馳走様デス!有難うございました。映画『 ロスト・イン・トランスレーション 』では、異国でのアイデンティティの喪失を年齢差のある同郷人とのほのかな恋心で埋めようとしたけど、私の場合、その対象はアイスクリームなのかも!なんちゃって…。元気を頂き、楽しい再会でした。また、お会いできる日を心待ちにしています。
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Text by Sati
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