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 シャイな幸の独り言
ポンペイ
ポンペイの遺跡を訪ねて
2004年02月18日水曜日 「シャイな幸の独り言」トップへ
 ポンペイの庶民の家、ポンペイの富豪の邸宅、ポンペイの教会、ポンペイの公園、ポンペイの役所、ポンペイの会議場、ポンペイの道路、ポンペイの共同墓地、ポンペイの神殿、ポンペイの娼婦の館、ポンペイの商店、ポンペイの浴場、ポンペイの馬車の轍(わだち)の後など。ポンペイの町の公共建物やポンペイの人々の暮らしの跡など、ポンペイの全てを見てやるぞ!と意気揚々世界遺産・ポンペイ遺跡にやって来ました!
 ※ここをクリックすると幸編集の「ポンペイ遺跡のスライドショー」が観れます。

 ポンペイ Pompei (伊)/ Pompeii (英)は、紀元 79 年 8 月 24 日にヴェスヴィオ火山 Il Monte Vesuvio / Mt. Vesuvius の大噴火で一瞬にして崩壊した古代都市。その古代遺跡を 2004 年 2 月 11 日に訪ねました。ポンペイは、現時点では日本未公開の映画『 トーキング・ピクチャー (仮題) (2003) A TALKING PICTURE 』の中で出てくるらしい。
 さて今日の予定は、午前中ポンペイ遺跡を見学した後、午後にナポリ Napoli / Naples へと向かう一日観光です。朝、ローマ Roma / Rome のホテルのテレビで観た天気予報では、雨の降る確率がかなり高く、ちょっとブルーな気分。ところが、ガイドさん曰く、イタリアの天気予報はあまり当たらない!幸運なことに、ポンペイ遺跡見学の時は、雨が一滴も降りませんでした。ワーイ!
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ポンペイ遺跡の前の路上の土産物屋さん

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ポンペイ遺跡の入り口前の出店

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ポンペイ遺跡の入り口

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ポンペイ遺跡
入場して間もない気団を上って右手の景色
えつ?こんなの?と思ったのも束の間・・・

 ポンペイの遺跡の前で、幸の乗った観光バスは停車しました。私は、ポンペイとナポリ観光は団体ツアーに参加しました。

 ポンペイの遺跡の入り口前には、売店が数店並んでいます。その寂れた雰囲気が何とも南イタリアです。イタリアの男性は女性に声をかける特質を持っているとか、イタリアにはスリが多いとかよく耳にします。特に南イタリアではその傾向がヒドイと聞き、今回のナポリ&ポンペイ・ツアーは、安全を考え、日本人の団体旅行に入りました。とはいえ、私は普通程度の魅力も持ち合わせていないのか、イタリア人男性に声をかけられた経験なんて皆無なのですが…。魅力はなくても、日本人だからお金を持っていると思われて、怖い目に遭って、金品を盗まれることもあるかもしれない。イタリア在住の魅力的で親切な女性のお教え通り、カバンはしっかり体の前でキープです。

 ポンペイの遺跡入り口の前で集合して、さあ!入場です!ワックワク、ドッキドキ!ウレシイ!

 ポンペイの町の起源はとても古く、およそ紀元前 8 世紀に遡ります。日本では縄文時代です。イタリア先住民族の一種族であるオスク族がポンペイを築いたそうです。イタリア半島の交通の要衝にあり、商業都市として栄えたポンペイは、ギリシャの都市国家等、隣国の諸民族に支配されました。

 ポンペイは、ローマの植民地であった紀元 62 年に地震が起き、ポンペイの町は多大な損害を受けました。しかし、ポンペイは復興し、嘗ての活気を取り戻します。ところが紀元 79 年 8 月 24 日の正午ごろ、二度目の大惨事が起こってしまいました。

 『 ポンペイ最後の日 (1935) THE LAST DAYS OF POMPEII 』等、火山の噴火で消滅した悲劇の町ポンペイを描いた同名の映画がいくつか存在しています。私は観たことがありませんが、ガイドさんが教えて下さったところによると、映画では高速で流走する火砕流がポンペイの町を襲うらしいです。ところが、実際にはポンペイ消滅の原因は火砕流ではないそうです。

 ポンペイの町は火山灰に埋もれ、多くの人々は火山から発せられる有毒ガスによって亡くなりました。火砕流が流れ込んだのは、 79 年にポンペイと同じにベスビオ火山の噴火で消滅したエルコラーノ Ercolano / Herculaneum の町だそうです。約2万人のポンペイの人口は、商人や奴隷などで占められていましたが、エルコラーノは貴族の保養地でした。
 
 ポンペイ遺跡のガイドさんは、日本の早稲田大学で学んだというイタリア人女性のシルヴァーナさん。ハスキーな彼女の声を聞きながら、古代の石畳を歩き、マリーナ門 Porta Marina をくぐります。今はシーズンなのか、ポンペイの遺跡の中は、日本人の団体旅行者だらけでした。

 ポンペイの宗教・政治・経済の中心地であったフォロ Foro で、誰が飼っているのか、2匹の犬がすやすやと眠っていました。ここから、はっきりと見えるヴェスヴィオ火山が美しいです。ジュピターの神殿 Tempio di Giove の横の Granai del Foro (フォロの公衆トイレ跡)に発掘品である壺等が納められています。

 そこに展示されている石膏でできた犠牲者(犬)の像は、ちょっと怖かった。人のも怖かった。それらの像は、硬い火山礫(れき)の中にできた生物体が腐った後の空間に、石膏を流し込んで型を取ったものだそうです。いくら本物の死体ではないと言っても、「毒ガスで苦しんでいるのがわかります。」なんて語られると、ゾゾっとしました。

 次は、フォロの浴場 Terme del Foro へ向かいます。途中まで犬が一匹ついて来ました。大切な遺跡にオシッコをかけていたけど、いいのかなぁ?ローマのお風呂と言えば、イギリスのバース Bath, Britain にある”ローマン・バス The Roman Bath ”にも行きましたが、また雰囲気が違います。

 男性用、女性用の浴場がありますが、私は男性用しか見ていません。シルヴァーナさんによると、冷水浴場があるのが、男性用だそうです。女性は体を冷やしてはいけないことを、昔の人も知っていたのでしょうか?床暖房になっていたり、露が落ちないようになっている天井など、とても機能的に作られている浴場は、ホント凄いです。

 熱浴室には、選挙のキャンペーンのために寄贈された大きな水盤がありました。すでに選挙が行われていたとは、ビックリです。水盤に寄贈者の名前とその金額が示されていると聞いて、流石イタリア人の先祖だと思いました。ポンペイの町は任期5年の二人の指導者によって治められ、最高議会は、特別な手柄によって選ばれた 100 人のポンペイ市民によって構成されていたそうです。

 浴場を出た向かいには、酒場の跡があります。当時の人々はここで賭博もした模様。サイコロに鉛を入れて、イカサマもしたそうです。
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真ん中がジュピターの神殿、左の建物がフォロの公衆トイレ

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フォロにいた犬。他にもいる。

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ポンペイの町で最も古い公共建造物

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フォロの浴場にある温浴室の天井
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Vis Consolare 車輪の跡が石畳の通りに残っています

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ポンペイの赤が美しい壁画
入信者の若い女性が恐れ怯えているシーン

 ポンペイの町の当時のパン屋さんや、娼館の跡も見ました。そして、エルコラーノ門 Porta di Ercolano 、お墓が立ち並ぶ Via delle Tombe を通って、秘儀荘 Villa dei Misteri へ行きました。古代美術の最も重要な建物の一つとなっている秘儀荘には、背景の”ポンペイの赤 rosso pompeiano ”が美しい壁画があります。

 ディオニュソス(ギリシャ神話の酒と豊穣の神。ブドウの栽培を教えたという。本来トラキア、マケドニアの、集団的狂乱と陶酔を伴う秘儀における神であったが、ギリシャに伝播し主に女性の間で熱狂的な崇拝を受ける。オルフェウス秘儀との接触により、冥界とのつながりをもつに至り、ヘレニズム期以降彼自身の秘教が大流行した。ギリシャ演劇は、ディオニュソス神の祭儀から発達した。別名バッコス(Bakkhos)。英語名バッカス。「大辞林」)の秘伝が、若い女性の入信者に伝授される過程が描かれています。

 ディオニュソスの信者になるには、秘密の儀式(秘儀)が行われました。それを授けられる女性の、戸惑いや不安、そして喜びが等身大のサイズで活き活きと表現されています。快楽主義のディオニュソス信仰は、ローマ元老院が禁止したにも拘らず、イタリア全土に広まったそうです。この壁画は、秘儀荘の女主人の依頼で描かれました。
 ポンペイの秘儀荘を出ると、もうポンペイ遺跡の外。ポンペイ遺跡の7分の1も見ていないけど、もう遺跡見学は終わりです。ちょうどその出口にはお土産屋さんがありました。待ってましたとばかりに店の主人が外に立っています。すると、個人で買うと 10 ユーロ(1ユーロ=約 140 円で 1400 円)のポンペイのガイドブックが、団体ツアーだと 6 ユーロ( 840 円)になると、日本人のガイドさんからのご説明。早速買いました。日本人観光客が多いのか、店のオジサンは、お釣りなどの金額を日本語で言うことができます。

 ポンペイ遺跡の日本語版とイタリア語版のガイドブックを買って、さあ、これから楽しみの昼食です。いつもそうですが、一般的にヨーロッパのホテルの朝食は、コンチネンタルなので、主にパンとカプチーノだけ。私がよく泊まるフィレンツェのホテル・ジリオでは季節の果物がふんだんに出て、シリアルやヨーグルトなどで美味しく頂きますが、ポンペイの日はずい分お腹がすきました。

 ポンペイの昼食は、ポンペイ遺跡のすぐ近くのリストランテで予約を取ってくれていました。お店の名前は「RISTORANTE TIBERIUS リストランテ・ティベリウス」です。ポンペイの秘儀荘すぐの出口を出て歩いて5分ほどのヴィッラ・デイ・ミステリ通り7番地(Via Villa dei Misteri, 7)にあります。

 店の外装は何かエキゾティック。ポンペイの赤を基調に作られています。やはりポンペイの町を意識して建ててあるのでしょうか。結構広くて一階だけで200人ぐらい収容できそうな大きな広間で天井も随分高かったです。

 流しのオジサンがギター片手にカンツォーネを歌ってくれます。何故か店員の男性も給仕しながら歌います。「帰れ、ソレントへ」や「フニクリ・フニクラ」など色々な曲をリクエストしてもらって歌ってくれます。因みに幸がリクエストした曲は、一ヶ月前に3本立て続けに観て感動した「ゴッド・ファーザー」。♪Parla piu piano e nessuno sentira 〜 Insieme a te, io restero. Amore mio, Sempre cosi 〜♪(スペルは怪しい)」と私も一緒に口ずさんで歌いました。ホント!楽しい雰囲気です。ワインが少し回ったのかも知れません。弾(はず)んで5ユーロをチップしました。

 ポンペイのリストランテ「ティベリウス」のイカと海老のから揚げとスパゲティは美味しかったのですが、日本人団体客用に量が少ないのが残念!それにデザートの”みかん”に、休火山が活火山になるのを感じました。これは一つだけ食べただけ。日本の紀州ミカンの方がずっと美味しい。悪口言って残してスミマセン。

 さあ、ポンペイ遺跡訪問はもう御仕舞い。後ろ髪を引かれながらも予定をこなしていかねばなりません。バスに乗り込んで、次の予定地ナポリへと出発!その途中、高速道路真横にあるカメオ CAMMEO の工房に立ち寄りました。「GIOVANNI APA ジョヴァンニ・アパ」という名前の、江戸時代 1848年から営業しているお店でした。

 ところで「カメオ」の語源は、ネットの「コンサイス カタカナ語辞典」で調べると、<カメオ [cameo<イ cammeo<アラビア (花壇)] [1] めのう,こはくなどの宝石や貝の縞目を利用した浮き彫り.指輪,ブローチなどに用いる.〈明〉★これを陰刻にしたものが,インタリヨ.>とあります。元々カメオはギリシア語の「手作り」のことだそうです。ラテン語のcammaeusが語源で、イタリア語でcammeo、フランス語でcamée、英語ではcameo、ドイツ語ではkameen、とよばれます。陰刻のインタリヨは、イタリア語で「Intaglio」と書きます。動詞「tagliare in」から来ていて英語の「in curve 内に彫ること」というような感じでしょうか。

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ポンペイ遺跡見学の後、昼食を食べたリストランテ

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海老とイカのフライを給仕する陽気なカメリエリ

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幸が食べたメニュー、空腹なのでこれでは少し物足りない

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カメオの職人さん

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カメオ工房ジョヴァンニ・アパにて
少し怖そうな中年のシニョーラ
幸のへんてこなイタリア語で打ち解けた?のか、
後で分ったのだが、ガイドさん曰く
他のお客より随分、値引きをしてくれたそうだ。
一緒に写真まで撮ることになった。

 あっ!そうそう、映画で言う「カメオ」出演(cameo role)では、カメオ出演だけでも贅沢でビックリの『 オースティン・パワーズ ゴールドメンバー (2002) AUSTIN POWERS IN GOLDMEMBER 』、ブラッド・ピット Brad Pitt カメオ出演の『 フル・フロンタル (2002) FULL FRONTAL 』、NYヤンキースの本物の選手も登場し他にもカメオ出演大勢の『 N.Y式ハッピー・セラピー (2003) ANGER MANAGEMENT 』、ジャッキー・チェン(成龍)が貫禄のカメオ出演の『 ツインズ・エフェクト (2003) 千機變 (原題) /THE TWINS EFFECT (英題) 』、マーティン・スコセッシ監督がカメオ出演している『 ギャング・オブ・ニューヨーク (2001) GANGS OF NEW YORK 』、そしてファニー・アルダン(『 エリザベス (1998) ELIZABETH 』『 星降る夜のリストランテ (2000) LA CENA 』等に出演)やアンドレ・デュソリエ(『 ヴィドック (2001) VIDOCQ 』等に出演)といったフランスの有名俳優がカメオ出演する『 オーギュスタンの恋々風塵 (1999) AUGUSTIN ROI DU KUNG-FU (原題) / AUGUSTIN KING OF KUNG FU (米題) 』など、「カメオ」で連想します。

 カメオの歴史はとても古い。一般市民にも広がったのは1〜2世紀頃だといわれています。カメオは、アウグストゥス大帝の庇護の下に大いに栄えました。この時代を代表する作品は著名な彫師ディオスコリデス作になる「アウグストゥスの貴石」が有名です。23x19cmの四角いサードニックス瑪瑙(めのう)に彫られたこのカメオは、アウグストゥス大帝の養子だったティベリウスの凱旋風景が描れています。先ほどのリストランテは、この「ティベリウス」の名に因んでいます。

 私は、前々からシェルカメオの産地イタリアのローマかナポリで記念に一つ買いたいと思っていました。でも高価なものなので、買えそうにもないと思っていたけど、 5000 円くらいから買えるものがあると聞き、勇んで入店。銀の上に金メッキしてある可愛いオレッキーノ orecchino (イアリング)がありました。これだ!でも値切らなくっちゃ!ドッキドキ!下手なイタリア語でね。ドッキドキ!もう、緊張して口が渇きそうになってきます。それに係員さんは少し怖そうな中年のシニョーラです。持参していた水をグイッと一飲み!

 エエイッ!”Senta, Signora! Potrebbe farmi un po' di sconto? (センタ、シニョーラ!ポトレッベ・ファールミ・ウン・ポ・ディ・スコント?あのう、すみません。少し負けて頂けませんか)”といきなり、口からこの言葉が出てきました。店員のシニョーラは、少しビックリしたようなお顔で、あなたイタリア語どこで学んだの?と訪ねられました。無視して、”Vorrei comprare questo.(ヴォッレイ・コンプラーレ・クエスト。これを買いたいのですが。)”そして又畳み掛けて先ほどの「負けて」の台詞。ナントカの一つ覚えです。シニョーラはニコッと笑って、色々と私に話しかけてきます。どこから来たとか?日本のどこだとか?そして、「ポトレッベ・ファールミ・ウン・ポ・ディスコント?」のような表現は今のイタリア人は使わないと言って微笑みます。他の男性の店員たち3人も集まってきて私になんだかんだと言います。もう、ホントにイタリア人はお喋りです。そして打ち解けた?結果、二割近く負けてもらいました。ヤッター!です。序(ついで)に安物ですが、銀の台座の金メッキ指輪も買っちゃいました。これも2割以上負けてくれました。結構似合うんです。それが‥*^.^*。いい思い出になりました。何でも言ってみるものです。ウレシイです。
 気持ちよくまたバスに乗り込んで、いざナポリへ!

 ナポリ Napoli と言えば「スリには気をつけて...」ではなくて、映画関係ではナポリ生まれのガブリエレ・サルヴァトレス監督の『 ぼくは怖くない (2003) IO NON HO PAURA (原題) / I'M NOT SCARED (英題) 』があります。この映画の製作には、『 リプリーズ・ゲーム (原題) (2002) RIPLEY'S GAME 』等のマルコ・キメンツやリカルド・トッツィ(『 ジェイン・エア (1996) JANE EYRE 』等)が参加していました。また、当初のイタリアのナポリ Naples, Italy から、メキシコシティ Mexico Cityへと舞台を変更した『 マン・オン・ファイアー (原題) (2004) MAN ON FIRE 』が思い浮かびます。

 ナポリへ向かうバスの中で、先ほど買ったポンペイの本を開いて見ました。しかし、ほんとによくもまあこんなスゴイ遺跡があるものです。ローマのフォロ・ロマーノも凄いけど、ポンペイの遺跡の中を歩いていると、日本の弥生時代にできたものがこんなにしっかりと残されていることに驚かされます。そしてその残されたポンペイの町が考古学者に語りかけるのです。ポンペイの文化、ポンペイの政治、ポンペイの経済などなど。
 残酷にも、ポンペイやエルコラーノの人々の未来は、ベスビオ火山によって奪われたことになります。ポンペイやエルコラーノの人々にとって、ベスビオ火山の噴火は悲劇です。しかし、火山灰や火砕流のお蔭で、保存状態の良い遺跡ができあがり、後世の人々にとっては、古代ローマの人々の活き活きとした暮らしを知ることができる幸運となりました。ここにも人の幸せは人の不幸の上に成り立っているのでしょうか。何か無常を感じます。そしてまた偉大な人類の生活の営みの偉大さ=歴史の偉大さも感じます。

 ポンペイの町よ、ありがとう!感謝・黙祷・合掌...。

Text by Sati
coda21「映画の森てんこ森」幸田幸。
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