|表紙|目次|読む映画試写会|レヴュー|観たい度映画|予告編|エッセイ|日誌|試写会情報|リンク集| | 映画人 |解説・レヴュー一覧表 |映画ゲーム |思い出映画|ブロードバンド(B)版|旅行の森てんこ森| |
|
シャイな幸の独り言 | |
世界遺産バースの町は綺麗だった!! | |
2004年01月17日土曜日 | |
バース Bath は、「入浴; 湯ぶね (bathtub);
浴室; (pl.) 浴湯, プール, 湯治場; 溶液(器)(EXCEED英和辞典)」という意味の英単語
bath の語源となった世界遺産の町。 バースは、1987 年に世界遺産に登録された。幸は、2004 年の年初め旅行となったイギリス旅行でちょっと立ち寄った。エイヴォン川 River Avon が流れるイギリス南西部の町バースは、バース・ストーンで作られたハチミツ色の街並みが美しく、イタリアの町をイギリス的にしたようで、一目で気に入った。観光のメインであるザ・グレイト・バス(The Great Bath)の湯気を顔に扇(あお)ぎ寄せ、「あぁ。バースに来たよ〜!」と感動!しかし、この日はバースの後、ストーンヘンジ Stonehenge も行く予定で、時間に制限があった為、方々巡る事ができなかった。とても残念。次に訪れた時は、この素敵なバースの町を、ゆっくり、じっくり探訪したい。うん、今年中にもう一回。必ず来るぞ!... |
|
後方に見えるのは、バース・アビー ザ・グレイト・バス ローマン・バスの真横にそびえるバース大聖堂 Bath Abbey |
バースの町を作ったと言われる伝説のイギリスの王ブラダッド
BLADUD の物語は面白い。この伝説は、 1136
年にジェフリー・オブ・モンマス Geoffrey of
Monmouth が「英国の王の歴史 History of the
Kings of Britain 」という本で初めて書き表した。 ケルトの時代。11 年間ギリシャのアテネ Athens, Greek で過ごしたブラダッドは、ライ病患者となって故郷イギリスに戻ってきた。病の為に隔離されたブラダッドは、変装して父王の宮廷から逃げ出した。ブラダッドは Swainswick という場所までやって来て、そこで豚飼いとして働くことに。 ある寒い日、ブラダッドはぬかるみの中で転げまわる豚たちを見た。なんとその泥は温かかった。ぬかるみに浴する豚たちの垢(あか)や疥癬(かいせん)がキレイさっぱりなくなっていく。もしかしたら自分にも効くかもしれないと思ったブラダッドは、その水に浸かってみた。十分に入浴し、ブラダッドのライ病は治った。 自分の主人に身分を明かしたブラダッドは、父王の宮廷へと戻り、王位継承者の地位を再び得た。父の死で王となると、他の人々の病も治るようにと、ブラダッドは温泉の出た辺りにバース Bath の町を築いた。 というのが、バース発祥の伝説。また、アテネで教育を受けたブラダッドが紀元前 863 年にイギリスの9番目の王となり、リンカンシアのスタムフォード Stamford ,Lincolnshire に大学を作ったり、降霊術の為にバースに温泉を作ったりしたという伝説もある。 バースにブラダッドは知恵と技芸の女神ミネルヴァ Minerva (ローマ神話の女神。ギリシャ神話では、アテネの守護神、 アテナ Athena に相当)を祀る寺院 Aquae Sulis を建てた。翼を作って、空を飛べるようになったが、墜落して首の骨を折って死んでしまった。彼の後を継いだのは、、息子のリヤ王 King Lear だそうだ。 |
バースの町の温泉がある辺りには、少なくとも紀元前
8000 年頃に人々が居住していたという考古学的証拠があるらしい。新石器時代・青銅器時代
Neolithic and Bronze Ages であったその当時は、イギリスはまだイギリスではなく、ユーラシア大陸の一部に過ぎなかった。紀元前
751 年から西暦 42 年までの鉄器時代 Iron Age
には、ケルト語を話す人々が暮らしていた。おそらく上記のブラダッドの神話は、ケルトの口述伝承に源を発しているのだろう。 バースの温泉文化を花開かせたのは、 43 年からイギリスに侵入してきたローマ人。ローマ人は、 Aquae Sulis という宗教的な温泉保養地を建設した。それが現在もバースの町に残っている遺跡、ローマン・バス The Roman Baths だ。彼らは温泉の周りに貯水槽や一連の精巧な浴槽、以前からこの地でも信仰されていた女神ミネルヴァを祀る寺院を建てた。しかし、ローマ人がイギリスから去ると、これらの温泉施設は荒廃した。 ローマン・バスの中を日本語の音声ガイドを聞きながら歩いていくと、The Great Bath 上の歩廊の彫刻にSPQR(旅行の森てんこ森「ローマ」参照)の文字を発見。イギリスも嘗てはローマ帝国の一部で、ローマ帝国って広かったんだな〜と実感。上には 1499 年に建てられたバース・アビー Bath Abbey 、下には緑色の古代ローマの大浴場が見え、ここの眺めは最高! ローマ人の後、イギリスにやって来たサクソン人やノルマン人も、病気の治療の為にバースの温泉の水を利用した。中世期になると、病院が設立される。 1574 年、エリザベス一世 Elizabeth I が訪問し、王族が不妊治療などでバースに足を運ぶようになった。また、 18 世紀の初めにアン王女がこの地を訪ねると、貴族たちもそれに倣うようになり、バースは高級リゾート地として栄えるようになる。 |
|
バース・ストーンで作られた建物が並ぶ |
ロイヤル・クレッセント |
ロイヤル・クレッセントで見つけたリス カワイイ |
エイヴォン川に架かるパルトニー橋 |
上流階級の人々が古代ローマ人のように温泉で憩うようになった
18 世紀、ローマの建築からエッセンスを得た建物が出現し、バースはイギリスで最も洗練されたスパに。ローマの建築に関心を持ち、また、バースがローマ帝国縁の町だと知るジョン・ウッド
John Wood 親子によって、美しいジョージア王朝の建築物が建設されたのだ。父ジョン・ウッド(
1704-1754 ))が手掛けたのは、クイーン・スクエアー
Queen Square やコロッセオを模したという住宅のサーカス
the Circus など。息子ジョン・ウッド( 1728-1782
)は、三日月のような曲線が美しいロイヤル・クレッセント
the Royal Crescent やバースの社交場であったアセンブリー・ルーム
Assembly Rooms などを設計し、父の死後にはサーカスの完成に尽力した。 バースを愛した有名人の中には、『 いつか晴れた日に (1995) SENSE AND SENSIBILITY 』や『 Emma エマ (1996) EMMA 』の原作者、ジェーン・オースティン Jane Austen ( 1775-1817 )がいる。 1801 年から 1806 年まで彼女が暮らしたバースには、ジェーン・オースティン・センター Jane Austen Centre がある。 「北のフィレンツェ Firenze 」とも呼ばれるバースには、フィレンツェのヴェッキオ橋 Ponte Vecchio を真似て作られたパルトニー橋 Pulteney Bridge がエイヴォン川に架かっている。昔のイギリスの貴族たちはバースに来て、異国イタリアを疑似体験したつもりになったのだろうか。鉛色の空の下で暮らすことの多いイギリス人は、明るい太陽の国イタリアに憧れるのかなぁ。『 眺めのいい部屋 (1986) A ROOM WITH A VIEW 』もそんなストーリーだもんね。一方で、私は今回のイギリス旅行で多くのイタリア人観光客を見た。(ロンドン London のバッキンガム宮殿 Buckingham Palace 前では、ここはイタリアかと思うほど、イタリア語が飛び交っていた。)逆にイタリア人はイギリスに憧れているのかなぁ? |
|
これからストーンヘンジを見るぞ! |
世界の七不思議、ストーンヘンジ |
古代ローマとジョージア王朝の雰囲気を感じた後に向かったのは、原始時代の遺跡である世界遺産のストーンヘンジ。だだっ広い草原に大きな石の建造物‥。ここでも日本語の音声ガイドを耳に当て、巨石群の周りを回る。世界の七不思議のひとつということで、スゴイの一言。
46 億年の地球の歴史を1年に置き換えてみると、人類が誕生したのは、
12 月 31 日の午後 4 時 23 分、文明が始まったのは午後
11 時 59 分だそう。(参考 http://www.hamajima.co.jp/rekishi/shiryo-katsuyo/01.pdf
)そう考えると、全てを七不思議に感じる一日だった。・・・「ストーンヘンジ」に続く To be continued. |
|
Text by Sati |
coda21「映画の森てんこ森」幸田幸。 coda_sati@hotmail.com |
||||||||
「映画の森てんこ森」へ | 「旅行の森てんこ森」へ | |||||||
新作映画情報「読む映画試写会」へ
|
幸のイタリア各都市情報へ 136x70 |
|||||||
本サイトの作文、データ及び画像などのコンテンツの無断転用はお控え下さい。 貴サイトへの御掲載についてはメールにてお知らせ頂ければ幸いです。 |
||||||||
© 2004 Sachi CODA at Eigano-Mori Tenko-Mori, CODA21. All Rights Reserved |