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 シャイな幸の独り言
2003年11月20日、秋の北海道大学を訪れました!
2003年12月01日月曜日 「シャイな幸の独り言」トップへ
 ハリウッドが初めて日本の武士道精神をテーマに描いた映画、トム・クルーズの『 ラスト サムライ (2003) THE LAST SAMURAI 』が話題となっていますが、明治時代に"武士道"を世界に紹介した日本人がいます。

ラッシュ時の地下鉄さっぽろ駅


JR札幌駅構内の観光マップで確認


北海道大学南門の赤レンガの門柱


やっと見つけた精華亭
 現在の 5000 円札に印刷されている人物、新渡戸稲造( 1862-1933 )です。( 2004 年度から 5000 円札は樋口一葉に。)日本を世界に知らせるために英語で書かれた彼の名著『 Bushido: The Soul of Japan (武士道:日本の魂)』は、明治33年( 1900 年)に初版が出版されました。以後、多数の言語に翻訳され、現在でも読み継がれています。

 北海道大学 Hokkaido University の前身である札幌農学校 Sapporo Agriculture College は新渡戸稲造の出身大学です。実質的な日本最初の大学である札幌農学校の卒業生には、彼の他にも、キリスト教無教会主義の創始者である内村鑑三( 1861-1930 )や日本の植物病理学の基礎を築いた植物学者宮部金吾( 1860-1951 )、白樺派の作家有島武郎( 1878-1923 )等がいます。北海道大学となってからの卒業生には、日本初の宇宙飛行士である毛利衛さん( 1948- )等が有名です。
 札幌の観光名所の一つとなっている歴史ある大学を是非見ておかなければならないと思い、旅行の最終日に北海道大学巡りの予定を押し込みました。午後には千歳空港に到着していなければなりません。何となく焦る気持ちで、地下鉄で札幌駅に向かいます。

 北海道大学に行く前に、精華亭という開拓使の貴賓接待所を巡るように札幌観光協会のガイドブックは勧めています。それでまずそこへ。ん…おかしい。見当たらない。地図では北海道大学南門の前にあるように見えるのになぁ。登校中の北大生らしき人に尋ねてみる事にしました。ガイドブックに載っている有名なところだからきっとすぐに分かるはず…。その土地で生活している人々は、観光地に興味など無いものです。可愛らしい女の子の北大生(?)は精華亭の存在を知りませんでした。刻々と時間は過ぎていき、どんどん焦ってきます。

 北海道大学を目前にして見ないで帰ることになったらどうしようと思いながら、もうちょっと詳しい地図を出して道をたどりました。
 あった!あった!やっと見つけた!木造の可愛らしい瀟洒(しょうしゃ)な家です。明治 13 年( 1880 年)の建設当時は北大構内から広がる札幌初の西洋式公園「偕楽園」の中にあったそうですが、今は狭い敷地の中に閉じ込められているような感じです。周辺地域も当時のままに保存されていたら、素晴らしい景観だったにちがいないでしょうが、もっと道に迷って辿り着くことができずに熊に食べられてしまったかもしれません。
 
 じっと精華亭を眺めていると、幸の頭の中で、次第に雪が積もっていき、精華亭の前の日本庭園が真っ白になっています。やはり雪の札幌。雪の精華亭のイメージを想像し、画像がどんどん広がって行きます。そこに、蹲い<「つくばい」茶室の縁先にある石の手水鉢(ちょうずばち)>の竹の水差しの枯れた音がトン!...余韻が粉雪の表面に流れます。すると、サクサク、ツツッー。竹垣を挟んで、黄色のトラックスーツと白無垢の着物。互いが対峙して牽制しあって、スキを探りながらすり足で小走る。そこには、日本刀を交えるユマ・サーマンのブライドとルーシー・リューのオーレン・イシイとが死闘を繰り返しています。アッ、いけない。『 キル・ビル (2003) KILL BILL: VOLUME 1 』の最後の殺伐としたシーンに繋がってしまいました。それにしても精華亭はとて雰囲気の持ったスタイリッシュな建物です。大いに気に入りました。


北大の学生会館であるクラーク会館


昭和23年に再建されたクラーク像
 北海道大学にやっと入れました。構内は広いですが、クラーク博士のイラストが描かれた緑色のオシャレな立て札が、その建物が何であるかを示してくれているので、観光客に分かりやすいようになっています。さて、札幌観光協会のガイドブックでは次に見るのはクラーク像です。北海道大学の初代教頭であり、農学や化学、英語も教えたというクラーク博士William S. Clark ( 1826-1886 )は、訪日前はマサチューセッツ農科大学 Massachusetts Agriculture College の学長でした。博士は日本側の熱心な要請により、明治 9 年( 1876年) 7 月に札幌農学校に赴任したのです。たった 8ヶ月と短い滞在期間でありましたが、博士は日本の植物相を調査し、緑陰樹の新種をアメリカに紹介しました。また、知識や技術を習得する以前に人間として成長することを重んじた、キリスト教精神に溢れる博士の教育方針は、上述のような後の農学校の生徒たちにも影響を与えました。

 北海道大学のクラーク像は胸像で、全身像の羊ヶ丘展望台のクラーク像とはまた趣の違ったものです。その台座には " BOYS BE AMBITIOUS (少年よ、大志を抱け。)"の言葉が刻まれています。

北大を代表する建築物である農学部


フランス・ルネサンス様式の古河記念講堂


エルム(春楡)の巨木

この有名な言葉は、帰国するクラーク博士を見送る学生たちへの別れの言葉だったそうですが、本当に博士が言ったという証拠はないそうです。" Boys, be ambitious! "の他にも " Be gentleman! (紳士たれ。)"という博士の言葉も有名です。博士が学校側の用意していた校則を拒否し、「紳士たれ。」という一つの校則だけで十分としたというエピソードが残っています。

 北海道大学のクラーク像の辺りから右手の木々の向こうに農学部の建物が見えます。古い重厚な建物がとてもアカデミックです。また、像のすぐ近くには、北海道初のフランス・ルネサンス様式の建築物である古河記念講堂があります。なぜ古河かと言いますと、古河財閥の政府への献金でできたものだからです。明治 42 年( 1909 年)に建てられた緑色のマンサード屋根の白い洋館の前に立っていると、自分も明治時代の大志を持った学生だったらという気になります。しかし、講堂の窓ガラスは薄く、一重であるため、冬には内部が氷点下になることもあるそうで、軟弱な私には大志は抱けそうもないと思いました。

 北海道大学総合博物館へと構内を中央を走る通路を歩きます。左手にエルムの森があります。映画『 エルフ (原題) (2003) ELF 』の小妖精が出てもおかしくない気がします。エルム<elm>とは春楡(はるにれ)というニレ科の落葉高木です。この地に札幌農学校が移転される以前からそびえている樹齢百年くらいの木もあるそうです。晴れた青空の下、自然が一杯の構内では、ひんやりとした空気がとても快いです。博物館も時代を感じさせるとても立派な建築物です。館内に展示されている大型恐竜化石「ニッポノサウルス(日本竜)」と大型哺乳類化石「デスモスサウルス」は、一見の価値があるそうなのですが、時間が無いので建物を外から写真を撮って、次のポプラ並木へと急ぎます。

北海道大学総合博物館


構内にはオシャレな道路標識
 北大のポプラ並木は、昭和 45 年( 1970 年)から残念なことに通り抜けることができません。ポプラの寿命は 60〜70 年だそうで、明治時代に植えられたここのポプラはもう寿命の限界がきているのです。落木などの危険があることから、ポプラ並木の入り口にはチェーンがかかっています。ポプラ並木内には入れませんが、その隣にある花木園から間近に並木の様子を見ることができます。偶々北大を訪れていた札幌市在住の上品な奥様が、花木園の紅葉(もみじ)が素晴らしいことを教えて下さったこともあり、札幌観光協会のモデルルートにはありませんでしたが訪れることにしました。

 北大に平成 8 年( 1996 年)に整備された花木園には、新渡戸稲造博士顕彰碑が立っています。大正 8 年( 1919 年)から国際連盟事務次長を 7 年も務め上げ、日米開戦を危惧して亡くなる前年の昭和 7 年( 1932 年)に渡米し、 100 回以上も講演を行った新渡戸稲造氏。胸像の台座に刻まれている"I wish to be a bridge across the Pacific.(我、太平洋の橋とならん。)"という彼の有名な言葉にジーン…。感激を胸にフカフカの苔の小道を歩いていくと、真っ赤に色付いた、美しい一本の紅葉(モミジ)の木が見えてきました。それはもう、絵にも描けない美しさです!!!写真にさえもその美しさは収まりきれません。教えていただいて本当にヨカッタです。時間も忘れてしばし眺めてしまいました。<<クリック→花木園の紅葉を 640×480 ピクセルのスライドショーで観れます>>


通り抜けできない
ポプラ並木


キレイな紅葉を教えてくださって
有難うございます

可愛いカモがたくさん泳いでいる

北海道大学をあとにします


イチョウの葉が散ったイチョウ並木


地下鉄南北線北12条駅で帰路

 あっ!もうこんな時間だ。北大第二農場までは行けません。残念ですが、札幌観光協会モデルルートの「北大エリア」の半分コースで帰らなければ。でも、これで十分満足です。(『徒然草』第 52 段の仁和寺の法師みたいかもしれないけど。)

 地下鉄南北線北 12 条駅から真駒内方面行きの地下鉄に乗って、中島公園で降りて、束の間の「北大巡り」ジャーニーが終わります。そして後は札幌パークホテル前からバスで千歳空港へ直行です。今回の北海道訪問の全行程は「北大巡り」終了の時点で完遂です。振り返れば、11月18日(火)と19日(水)のお昼まで札幌観光、19日午後に小樽散策、そして20(木)の朝から北海道大学巡り。もっともっとゆっくりとあちこち周りたいのに、あっという間に楽しい時は過ぎ去って行きます。

 私は後ろ髪を引かれながらも、帰路、地下鉄に乗るため、イチョウ並木を歩き、北 13 条門へと向かいます。
 明治時代のアカデミックな雰囲気が残る北海道大学と違って、外側の風景は、文明開化の明治維新以来西洋化を推し進めた結果の日本です。私自身もトム・クルーズの映画『 ラスト サムライ 』に出てくるような日本人とは、すっかり異質な日本人になってしまいました。しかし、今でも日本の文明はどこの世界の文明にも属さない独自のものです。それでいいと思います。海外に出ると、いつも日本の良さを実感します。日本人は、個人差はあるにせよ、全般的に見て、親切で、勤勉で、細かなことに気配りがあって、礼儀正しい国民だと思います。

 明治時代が終わってから約 90年。時代の流れの速い現代では、あと 30 年もすれば、また今とは全然違う日本になっているかもしれません。私が今感じている日本人の美徳は、やがてポプラ並木のポプラのように、既に寿命の限界で枯れ朽ちていくのでしょうか。

Text by Sati
coda21「映画の森てんこ森」幸田幸。
coda_sati@hotmail.com
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