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 シャイな幸の独り言
明治維新
映画「ラスト・サムライ」を観る前に
2003年08月03日日曜日

 映画『 ラスト・サムライ (2003) THE LAST SAMURAI 』の記事は、「幸の映画三昧(テキスト対応版)」ページの目次から、<幸の「2003年観たい度」映画リスト>や<2003年12月公開映画情報>から、進めるようにしています。これを書いている時点では当然観ていませんので、公式サイトからTRAILER(予告編)やSTORY(あらすじ)や登場人物紹介など観て、映画の大まかな全体像を掴みます。


http://lastsamurai.warnerbros.com/home.php
 今回の『 ラスト・サムライ (2003) THE LAST SAMURAI 』で幸が一番興味を持ったのは、誰が一体、「ラスト・サムライ」、最後のサムライ(侍)なのかと言うことです。ポスターで見るとトム・クルーズが日本刀を振りかざしています。やはり、最後のサムライはトム・クルーズなのでしょうか?幸はトム・クルーズはハンサムでカッコいいなと思っていますが、もし、そうなら余り嬉しくありません。だって、日本人の伝統の侍の魂まで、アメリカに持って行かれたということになるのでは?なんて幸が勝手に思い込んでしまうからです。

 この伝統の侍の魂は、所謂"武士道"です。この"武士道"を明治時代に紹介した日本人がいます。現在の 5000 円札に印刷されている人物、新渡戸稲造( 1862-1933 )です。( 2004 年度から 5000 円札は樋口一葉に。)日本を世界に知らせるために英語で書かれた彼の名著『 Bushido: The Soul of Japan (武士道:日本の魂)』は、明治33年( 1900 年)に初版が出版されました。以後、多数の言語に翻訳され、現在でも読み継がれています。当然『 ラスト サムライ 』のトム・クルーズや製作スタッフは読んでいるはずです。日本人固有の道徳観念や美徳は、長年(700年弱続いた)封建時代の武士の哲学が土台になっていると思います。

 まあ、それはそれとして、IMDbのデータを見ると、この映画の時代設定は1870年代後半とあります。1877(明治10)年の西南戦争(田原坂の戦い)を指しているのでしょうか?この時代は、日本に侍がいた最後の時代ではないかと思います。明治初期は、明治維新三大改革が推進され、明治新政府の手によって欧米諸国を意識した中央集権国家が作られていく時代です。明治維新三大改革とは、「(1)版籍奉還:土地・人民を朝廷に返還、 (2)廃藩置県:藩→県、(3)地租改正:地価の3%の地租を現金で納めさせる」です。


(c) Warner Bros.
http://lastsamurai.warnerbros.com/home.php
以上の2枚のスチールは、
Warner Bros.から引用しています
 この時代の侍は、階級的制度である「士農工商」の身分から落ちぶれ、数々の特権はもとより、給料(幕藩体制では「扶持=ふち」という)もなくなり、一部のお金持ちの武家以外は、苦しい生活を強いられていました。彼ら侍は、いわゆる職業軍人または雇用兵であるので戦闘に関わることしか学んでこなかったのです。侍にとって、今まで、蔑んできた商人のように、新体制化でのビジネスや金勘定などできる由もありません。下剋上のごとく、下級武士の殆どが参画した明治維新で出来上がった世の中は、彼らにとって全く馴染めない世の中だったわけです。生きにくい明治の世の中でできることと言えば、不満の対象である新政府に対して、自らの旗を掲げて徒党を組み、各地で反乱を起こすのが関の山だったのでしょう。その典型で最大のものが日本最後の内乱、「西南戦争」であり、西南戦争が終わって西郷隆盛が鹿児島・城山で自刃すること自体が、滅び行く武士・サムライの象徴でもあり、新生日本誕生のプロセスでの儀式だったのかもしれないと幸は思っています。

 映画『 ラスト・サムライ (2003) THE LAST SAMURAI 』のサムライ勝元はどこの藩士でそのような士族の反乱を企てたのか、映画を観ていないので分りませんが、彼らが時代に翻弄され、自分たちが信じてきた価値(武士道)を全うするしかないサムライの不器用さと潔さを、映画で描いているなら、そのサムライ達の生き様=死に様に拍手を送らずにいられません。

★もっと詳しく映画「ラスト・サムライ」の時代背景と明治維新を勉強してみます。

 1867年10月、15代将軍徳川慶喜が、土佐・安芸の両藩の大政奉還の建白を受け入れ上奏したことで、事実上江戸幕府が崩壊しました。1867年12月、薩長の武力討幕派が計画していた王政復古の大号令が発表されました。これには、摂関・幕府の廃絶、三職の設置、諸事神武創業の昔への復帰などが謳われています。翌1868年3月、五箇条の御誓文が発布され、新明治政府の基本方針が示されました。明治新政府は、五榜の掲示、政体書公布、東京遷都、版籍奉還、廃藩置県、七官の制などによって、明治天皇を中心とする中央集権国家のしくみを整備し、四民平等の政策で士農工商の古い身分制度を廃止しました。また、富国強兵・殖産興業を国策のスローガンとして、徴兵制による近代的な西洋式の軍隊を誕生させ、法令を整備して近代産業の育成をはかり、地租改正によって国の財政の基礎を確立しました。

 こうした政府の矢継ぎ早の一方的な改革に対して、新政府への不満や反発がおこり、日本全国で農民一揆や士族の反乱など相次ぎます。政府は、五か条の御誓文で、世論に従って政治を行うと宣言しましたが、実際には、薩摩藩や長州藩など、一部の藩の出身者によって政治が動かされました。徴兵令や、帯刀を禁止した法律によって士族の特権が奪われました。秩禄処分によって俸禄は廃止され、収入源を断たれた士族たちは、為す術(なすすべ)もなく、縦(よ)しんば不慣れな商売に手を出しても失敗する者も少なくなく、とりわけ下級士族の生活は苦しくなりました。そのために、維新に加わった元藩の士族たちの間に、新政府への不満が広がっていくことになったのです。

 1873(明治6)年、征韓論をめぐる政府内部の争いで西郷隆盛・板垣退助たちが政府を去った後、九州や中国地方では次々と士族の反乱が起こりました。佐賀の乱(1874年、征韓党などが江藤新平らを中心に攘夷征韓を主張して乱を起こした。大久保利通らの政府軍によって鎮圧される。) 神風連の乱(1876年、熊本の不平士族の反乱。敬新党を組織し、廃刀令発布に憤激して挙兵。熊本鎮台を襲ったが鎮圧された。) 、秋月の乱(1876年、福岡県旧秋月藩の士族の反乱。神風連の乱に呼応して挙兵したが鎮圧された。)、萩の乱(1876年、山口県萩の士族反乱。前原一誠らが神風連の乱・秋月の乱に呼応して挙兵したが鎮圧された。)、そして、1877年には,ついに西郷隆盛が鹿児島の士族におされて兵を挙げましたが,徴兵制による政府の軍隊に鎮められました。これを西南戦争‐田原坂の戦いといいます。この後、武力による士族の武力による反乱はなくなり、言論をもって政府に対抗しようとする運動へと変わっていきました。

 また、当時の民衆に対しては、明治新政府は、1872(明治5)年学制の発布、1873(明治6)年 地租改正条例、同年徴兵令の実施と、新政策が打ち出されますが、初めから、民衆の生活の実状とはかけ離れたものでした。小学校教育では、授業料や学校の建設・維持費などの金銭的負担が住民にとって重くのしかかり、徴兵令による兵役の義務は結果的に一家の働き手を減らすことになり、人々の暮らしは、「ええじゃないか」の新しい希望に反して、旧体制下と同じように貧窮しました。そのため、各地で学制反対一揆や徴兵令反対一揆が起こりました。特に地租については、多くの農民にとって、江戸時代と変わらない重い負担だったので、1876年頃、全国各地で地租改正反対一揆が相次ぎました。政府は、激しくなった士族の反乱と農民一揆が結びつくのを惧(おそ)れ、1877年、地租軽減(地租をそれまでの地価の3%から2.5%に引き下げ)を行いました。当時の人々は、このことを、「竹やりで,どんとつき出す2分5厘」と、高校の日本史の授業で、先生から聞いたことがあります。

 この成果を伴った民衆の運動が、民衆にはっきりとした自覚が無くとも、自由で民権的な要求活動に繋がっていくことになったと幸は思っています。日本人の民主主義の芽生えと原点がこの時代に見出せるのではないでしょうか。ちなみに新政府に抵抗する民衆の運動としては、1871年旧主留任要求、1873年徴兵令反対一揆、1874年信濃川疎通問題、1874年わっぱ騒動では雑税の廃止を要求、1876年地租改正反対一揆、そして1877年砺波(となみ)騒動で税の減免を要求、などがあります。

 1877(明治10)年の西南戦争の平定が政府の徴兵軍によってなされたことで、明治維新は一応完成されます。明治維新がいつから始まりどの時点で終了したかという点については、色々学説があるらしいのですが、封建制度が崩れ、資本主義発展の基礎が築かれ、文明開化の動きが高まる中で、明治維新は近代日本への出発点となります。

★以下は、明治維新を理解するための歴史年表です。
右の列「その他の出来事」は、左列の「年月」の「月」の行とは対応していません。

年月 主な出来事 その他の出来事
1867 (慶応3) ※この欄は、起こった月は省略、順不同
5月 兵庫開港勅許 鹿児島紡績所操業開始
9月 薩長芸藩、倒幕を約す 「ええじゃないか」の運動
10月 山内豊信、幕府に大政奉還を建白
倒幕の密勅
米宣教師ヘボン「和英語林集成」を完成する
15代将軍、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府が滅ぶ 北ドイツ連邦なる
米、アラスカを購入
11月 坂本龍馬、中岡慎太郎が暗殺される マルクス「資本論」第1巻出版
12月 王政復古の大号令
小御所会議(慶喜に納地辞官令)
1868 (明治元年) ※この欄は、起こった月は省略、順不同
1月 鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)始まる 浦上信徒事件、各国領事キリスト教徒弾圧に抗議
徳川慶喜追討令 太政官札発行
王政復古を各国公使に布告 商法大意を布達
2月 慶喜謝罪 「宮さん宮さん」の俗謡流行
3月 五箇条の御誓文・五榜の掲示 神仏分離令 廃仏毀釈運動起こる
4月 江戸開城 福沢諭吉、英学塾を芝に移転し、慶応義塾と改称
閏4月 政体書公布 「中外新聞」(柳川春三)
5月 彰義隊を上野に討伐 「江湖新聞」(福地源一郎)
7月 江戸を東京と改称 ロシア、ボハラ=ハン国を保護国とする
9月 年号を明治と改元(一世一元の制)
会津藩降伏
1869 (明治2年) ※この欄は、起こった月は省略、順不同
1月 薩長土肥四藩主、版籍奉還上奏 参与横井小楠刺殺
3月 公議所開院 関所撤廃
東京遷都 造幣局設置
5月 榎本武揚ら、箱館で降伏(戊辰戦争終了) 東京為替会社開業
開拓使設置
6月 版籍奉還を許し、諸侯を知藩事に任ず 全国に農民一揆(世直し騒動)続発
7月 官制の改革(2官6省を置く) 昌平坂学問所を大学校とする
8月 蝦夷地を北海道と改称 スエズ運河開通
1870 (明治3年) ※この欄は、起こった月は省略、順不同
9月 平民に苗字を許す 庶民の帯刀禁止
10月 兵制を統一(海軍はイギリス式、陸軍はフランス式と布告) 大教宣布の詔(神道の国教化)
横浜毎日新聞創刊
閏10月 工部省設置 普仏戦争(〜71年)
フランス第三共和制宣言
イタリアの統一が完成
12月 新律綱領制定 イギリス、インド統治法
1871 (明治4年) ※この欄は、起こった月は省略、順不同
藩閥政府の形成 新貨条例公布(金本位・円単位・十進法)
1月 薩・長・土より親兵を募集 散髪・脱刀許可
4月 戸籍法公布 東京・大阪間郵便実施
7月 廃藩置県(3府72県とし府知事・県令を置く) 文部省設置
仮名垣魯文「安愚楽鍋」
太政官制を改め、正院・左院・右院を置く 熊本洋学校設立
津田梅子米国留学
日清修好条規調印 ドイツ帝国成立
10月 岩倉具視らを欧米に派遣 パリ=コミューン
1872 (明治5年) ※この欄は、起こった月は省略、順不同
2月 戸籍法の施行 身分族称を皇族・華族・士族。平民とする
田畑永代売買の解禁 国立銀行条例公布
兵部省を廃止し、陸海軍省を設置 富岡製糸場設立
10月 伝馬・助郷を廃止 福沢諭吉「学問のすゝめ」
人身売買の禁 学制頒布
11月 徴兵告諭 新橋・横浜間の鉄道開通
12月 従来の暦は太陰暦で表示、これより太陽暦採用(12月3日が6月1日)
スペンサー「社会学研究」
1873 (明治6年) ※この欄は、起こった月は省略、順不同
1月 徴兵令公布 仇討ちを厳禁
6月 改定律例公布 紀元節制定
集議院廃止 地租改正条例公布
9月 岩倉具視ら帰国 第一国立銀行開業
10月 征韓論が敗れ、西郷・板垣・後藤・江藤・副島ら下野(明治6年の政変) キリスト教禁制の高札撤廃
森有礼ら明六社を結成
11月 内務省設置 法学者ボアソナード来日
12月 家禄・賞典禄還納の制(家禄奉還) 独・墺・露 三帝同盟
1874 (明治7年) ※この欄は、起こった月は省略、順不同
1月 東京警視庁設置 北海道屯田兵制度創立
愛国党結成・民撰議員設立の建白書提出 電信条例制定
株式取引所条例
2月 佐賀の乱 東京女子師範学校設立
4月 西郷従道ら台湾出兵 「明六雑誌」刊
「朝野新聞」「読売新聞」創刊
板垣退助・片岡健吉ら立志社結成 スタンレー アフリカ横断
1875 (明治8年) ※この欄は、起こった月は省略、順不同
2月 大阪会議・板垣ら愛国社創立 平民に必ず苗字
4月 元老院・大審院設置 三菱郵船会社設立
立憲政体樹立の詔 東京気象台開設
5月 樺太・千島交換条約 福沢諭吉「文明論之概略」
6月 地方官会議を開く 新島襄、同志社英学校創立
讒謗律・新聞紙条例を公布 フランス、第三共和国憲法制定
9月 江華島事件起こる イギリス、スエズ運河の株式買収
1876 (明治9年) ※この欄は、起こった月は省略、順不同
The Last Samurai の時代設定がこの辺りか? 地租改正反対一揆激化(茨城・三重など)
2月 日韓修好条規(江華条約締結) 廃刀令
8月 金禄公債証書発行条例(秩禄処分) 三井銀行設立(最初の私立銀行)
国立銀行条例改正(正貨兌換義務廃止)
10月 小笠原領有 「大阪日報」創刊
神風連の乱・秋月の乱・萩の乱 札幌農学校設立
工部省に工部美術学校開設
1877 (明治10年) ※この欄は、起こった月は省略、順不同
地租軽減(2.5%) 貨幣の価値が低落し、物価が約2倍になる
2月 西南戦争(西郷隆盛、鹿児島で反乱、熊本包囲) コレラ流行
東京大学開設
5月 木戸孝允死す 佐野常民ら博愛社(後の赤十字社)創立
6月 立志社建白 田口卯吉「日本開化小史」
モース、大森貝塚発掘
万国郵便連合条約加入 インド帝国成立
9月 城山陥り、西郷隆盛自刃する 露土戦争
1878 (明治11年) ※この欄は、起こった月は省略、順不同
4月 板垣が愛国社再興 大久保利通、東京紀尾井坂で暗殺
7月 郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則の三新法制定 東京株式取引所開設
竹橋騒動(近衛兵の乱)
寺島宗則外務卿、米と関税改定約書調印(英の反対で失効) 米、フェノロサ来日
東京に駒場農学校開設
ラグーザ「清原玉女」完成
12月 参謀本部設置(統帥権独立の発端) ベルリン会議
1879 (明治12年) ※この欄は、起こった月は省略、順不同
3月 東京府会開く(府県会の初め) 安田銀行設立、大阪手形交換所開業
4月 琉球藩を廃止し、沖縄県を設置(琉球処分) 大阪朝日新聞創刊
植木枝盛「民権自由論」
8月 米大統領グラント来日 教育令制定
東京法学社(後の法政大学)設立
11月 愛国社、第3回大会 エジソン電灯発明
独墺同盟成立
1880 (明治13年)以下省略
以上の年表資料は「とうほう・ビジュアル歴史」(東京法令出版株式会社)、
「総合資料日本史」(浜島書店)、「日本史用語集」(山川出版社)から引用し、
幸なりに編集してあります。入力の際の誤字脱字はご容赦下さい。
Text by Sati
coda21「映画の森てんこ森」幸田幸。
coda_sati@hotmail.com
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