ロアルド・ダール
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ロアルド・ダール
ロアルド・ダール
2005年9月13日火曜日 「シャイな幸の独り言」トップへ
【 ロアルド・ダール 】
 映画『 チャーリーとチョコレート工場 (2005) CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY 』の原作者ロアルド・ダール Roald Dahl ( 1916-1990 )について、以下の目次で整理して調べてみた。

■ロアルド・ダールの「チョコレート工場の秘密」の表紙
■ロアルド・ダールの代表作品
■ロアルド・ダールの写真
■ロアルド・ダールの映画
■ロアルド・ダールの生まれ
■ロアルド・ダールの学生時代
■ロアルド・ダールの体験
■ロアルド・ダールの作家人生
■ロアルド・ダールのハリウッド進出
■ロアルド・ダールの結婚
■ロアルド・ダールの児童文学
■ロアルド・ダールの離婚
■ロアルド・ダールの成功と悲劇

 映画『 チャーリーとチョコレート工場 (2005) CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY 』は、ティム・バートン監督がジョニー・デップを起用してロアルド・ダール Roald Dahl の作品「チョコレート工場の秘密 CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY 」を映画化したものだ。ティム・バートン監督にとっては、ロアルド・ダール Roald Dahl の作品を手がけるのは、「おばけ桃の冒険 JAMES AND THE GIANT PEACH 」(評論社 訳:田村隆一)を映画化した『 ジャイアント・ピーチ (1996) JAMES AND THE GIANT PEACH 』についで二度目。『 ジャイアント・ピーチ 』では、『 ナイトメアー・ビフォア・クリスマス (1993) THE NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS 』のような人形劇でダールの世界を表現したが、映画『 チャーリーとチョコレート工場 』は、ジョニー・デップ、ヘレナ・ボナム=カーター、フレディ・ハイモア、クリストファー・リーなどが出演する実写である。ロアルド・ダールの原作「チョコレート工場の秘密」と映画『 チャーリーとチョコレート工場 』の違いは、映画ではジョニー・デップ扮するウィリー・ワンカさんの生い立ちが描かれているということである。

 私はロアルド・ダールのこの本「チョコレート工場の秘密」が大好きデス!子供のときに母に読書感想文用の本として買ってもらった時は、なんでこんなに可愛くない絵の本を買ってきたのかとぐずったのですが、読んでみるとスゴイ楽しい。一気にウィリー・ワンカさんのチョコレート工場の世界に引き込まれた。読み終わった後は、チョコレートがすごく食べたくなる。今では、子供のときに“にくそい(大阪弁で可愛くないの意)”と思っていたジョセフ・シンデルマン Joseph Schindelman の挿絵にも愛着がある。


ロアルド・ダールの「チョコレート工場の秘密」の表紙
チョコレート工場の秘密
ロアルド・ダール/作 田村隆一/訳
出版社: 評論社 単行本(1972/09)


【ロアルド・ダールの代表作品】

*チョコレート工場の秘密
*父さんギツネバンザイ
*おばけ桃の冒険
*ガラスのエレベーター宇宙にとびだす
*いじわる夫婦が消えちゃった!
*魔法のゆび
*ぼくらは世界一の名コンビ!
*オ・ヤサシ巨人BFG
*魔女がいっぱい
*こちらゆかいな窓ふき会社
*ぼくのつくった魔法のくすり
*マチルダはちいさな大天才
*ヘンリー・シュガーのわくわくする話
*恋のまじない ヨンサメカ
*一年中ワクワクしてた
*ねぶそくの牧師さん
*へそまがり昔ばなし
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ロアルド・ダールの写真
『 ロアルド・ダール 』
Library Centreより引用
【ロアルド・ダールの映画】

*チャーリーとチョコレート工場(2005) 原作
*マチルダ(1996) 原作
*ジャイアント・ピーチ(1996)  Anime 原作
*ジム・ヘンソンのウィッチズ<未>(1989) 原作
*ダニー/ぼくらは世界一の名コンビ!(1989) 原作
*ロアルド・ダール劇場/予期せぬ出来事<TV>(1979〜1988) 原作/出演
*夢のチョコレート工場<未>(1971) 原作
*チキ・チキ・バン・バン(1968) 脚本
*007は二度死ぬ(1967) 脚本
*36時間(1964) 原作

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【ロアルド・ダールの生まれ】  原作者ロアルド・ダール Roald Dahl は、1916 年 9 月 13 日(乙女座)にイギリスはウェールズのランダフ Llandaff, Wales, Britain で、ノルウェー人の父ハラルト Harald と彼の二人目の妻ソフィー Sofie との間に生まれた。ロアルドが3歳の時に父と姉が亡くなり、母ソフィーは義理の子供たち2人と、4人の自分の子供たちを育てた。亡くなった父ハラルトは膨大に日記を書き残し、母ソフィーはノルウェーの神話などの物語を話すのが上手だった。ロアルドは両親に大きく影響を受けて成長したようだ。
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【ロアルド・ダールの学生時代】  ロアルド・ダールの学校での生活は楽しくなかったみたい。7歳から9歳まで通ったランダフ・カシードラル・スクール Llandaff Cathedral School 時代は、友達と一緒にお菓子屋さんのショーウィンドウをじっと眺め、9歳から家元を離れて通ったセント・ピーターズ私立小学校 St.Peters prep school 時代は、激しいホームシックのせいで週に一度母親に手紙を書いた。(この習慣は大人になってからも母親が亡くなるまで続いたそうだ。)イングランド中部の州ダービーシャー Derbyshire にあるパブリック・スクール(イギリス英語では私立学校)であるレプトン校 Repton では、スポーツに優れていたが、国語の先生にはできない生徒だと思われていたようだ。しかし、レプトン校にはメリットがあった。イギリスではチョコレートの代名詞とも言われるキャドバリー Cadbury のチョコレート工場が学校の近くにあり、学生は新製品のチョコレートを試食することができたのだ。何だか「チョコレート工場の秘密 CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY 」の片鱗が子供時代に見られるなぁ。
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【ロアルド・ダールの体験】  ロアルド・ダールは、18 歳になると、大学へは行かず、パブリック・スクール探検隊のニューファンドランド Newfoundland (カナダ Canada 東方の大きな島)への遠征に参加した。かなりの冒険家な様で、その後、シェル石油に入社し、タンザニアのダルエスサラーム Dar es Salaam, Tanzania でセールスマンとして働く。 1939 年、23 歳のときに第二次世界大戦が勃発し、ロアルドはナイロビ Nairobi にある英国空軍 Royal Air Force に入隊。背が2mもあったロアルドだが、パイロットとなる。彼の自伝「単独飛行 Going Solo 」で書き著されているように、ドイツの自動拳銃ルーガー Luger に頭を狙われ、中間地帯に不時着するという大事故や、パイロット仲間が次々と亡くなっていった過酷なギリシャ戦線 the Battle of Athens も体験する。
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【ロアルド・ダールの作家人生】  傷病兵として退役させられたロアルド・ダールは家に戻るが、 1942 年に大使館つき空軍武官として渡ったアメリカのワシントン Washington で、偶然作家として新しい道に進むことになる。イギリスの戦争努力を公表するためにアメリカにいたC・S・フォレスター C.S. Forester ( 1899-1966 )が、 1728 年創刊の歴史ある雑誌サタデー・イヴニング・ポスト The Saturday Evening Post に記事を書くため、ロアルドに戦争についての意見を書いてくれるよう頼んだ。C・S・フォレスターは、グレゴリー・ペック Gregory Peck (『 ローマの休日 (1953) ROMAN HOLIDAY 』等)主演の映画『 艦長ホレーショ (1951) CAPTAIN HORATIO HORNBLOWER 』やハンフリー・ボガート Humphrey Bogart (『 カサブランカ (1942) CASABLANCA 』等)主演の『 アフリカの女王 (1951) THE AFRICAN QUEEN 』の原作者として知られる作家だ。フォレスターはロアルドの才能に驚き、一語も変えることなく記事にし、ポスト誌からの 900 ドル(当時のドルの価値が分からないので、円換算はしません。)の小切手をロアルドに送った。その年の8月、匿名のその記事は” Shot Down Over Libya ”という題名で世に出た。
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【ロアルド・ダールのハリウッド進出】  ロアルド・ダールはディズニー Disney に招かれハリウッド Hollywood へ。そこで彼は初めて子供向けのストーリーである「グレムリン The Gremlins 」を書く。英国空軍の伝説による、飛行機のエンジンに故障を起こさせるイタズラな幽霊についての物語だ。映画化はされなかったが、本が出版されて、当時のファースト・レディであるエレノア・ルーズヴェルト Eleanor Roosevelt ( 1884-1962 )の目に留まり、ロアルドはホワイト・ハウスに招かれるようになったそうだ。ジョー・ダンテ Joe Dante 監督(『 ルーニー・テューンズ:バック・イン・アクション (2003) LOONEY TUNES: BACK IN ACTION 』等)のSF映画『 グレムリン (1984) GREMLINS 』のヒントにもなっているらしい。
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【ロアルド・ダールの結婚】  ロアルド・ダールは父と同じように2度結婚をする。一度目は、ハリウッド女優のパトリシア・ニール Patricia Neal ( 1926- )と。ロナルド・レーガン Ronald Reagan 元大統領と共演した映画『 恋の乱戦 (1948) JOHN LOVES MARY 』でデビューした彼女は、『 摩天楼 (1949) THE FOUNTAINHEAD 』で共演した大スター、ゲイリー・クーパー Gary Cooper と不倫関係に。3年間関係を続けるが、周囲の非難のために破局。ロアルドは 1953 年に傷心の彼女と結婚。2人はイギリスとアメリカで離れて暮らすことが多かったらしいが、5人も子供を儲けた。パトリシアは結婚後もポール・ニューマン Paul Newman (『 ロード・トゥ・パーディション (2002) ROAD TO PERDITION 』等)と共演した『 ハッド (1962) HUD 』でアカデミー主演女優賞を獲得するなど、女優として活躍する。
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【ロアルド・ダールの児童文学】  短編作家として活躍していたロアルド・ダールが児童文学に興味を持ったのは、眠りにつく子供たちにお話を聞かせているときだった。ダール家の子供部屋から、まず「おばけ桃の冒険 JAMES AND THE GIANT PEACH 」( 1961 )が、次に「チョコレート工場の秘密 CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY 」( 1964 )といった名作が誕生する。「チョコレート工場の秘密」には続編「ガラスのエレベーター宇宙に飛びだす CHARLIE AND THE GREAT GLASS ELEVATOR 」( 1972 )もある。また、ロアルドは『 007は二度死ぬ (1967) YOU ONLY LIVE TWICE 』や『 チキ・チキ・バン・バン (1968) CHITTY CHITTY BANG BANG 』といった映画の脚本も手がけた。
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【ロアルド・ダールの離婚】  ロアルド・ダールの結婚生活は、すれ違いの生活が多かったからだろうか、それとも、パトリシアの心にゲイリー・クーパーの影がくすぶってからだろうか(彼女は自伝の中でクーパーを”マイ・ラヴ”と呼んでいるそう)、ロアルドは別の女性を愛するようになった。 1983 年にパトリシアと離婚をすると、ロアルドは同郷の女性フェリシティー・”リッシー”・クロスランド Felicity "Liccy"Crosland と結婚する。高齢になってからの結婚だからだろうか、2人の間に子供はいない。
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【ロアルド・ダールの成功と悲劇】  ロアルド・ダールは作家として成功を得るが、人生とは皮肉なもので、家族に悲劇が起こる。パトリシアとの間の長女オリヴィア Olivia が7歳の時に脳炎で亡くなり、4ヶ月だった息子テオ Theo が交通事故で脳に障害を負った。 39 歳にして妊娠したパトリシアが3つの発作に襲われた時は、ロアルドが家事をし、その懸命な努力の結果、パトリシアは無事に出産し、女優業に復帰することができた。また、ロアルドが死ぬ数ヶ月前には、義理の娘が脳腫瘍で亡くなっている。そういった家族の不幸のせいだろうか、彼は生涯を通して人々を助けるために時間とお金を費やしたそうだ。彼の死後は、妻のフェリシティーによってロアルド・ダール基金が設立され、ロアルドが関わったり、苦しんだりした3つの分野−読み書き・神経学・血液内科学−において補助金を提供している。
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参考資料:「映画の森てんこ森」映画タイトル集
       http://www.coda21.net/eiga_titles/index.htm
      IMDb
      allcinema ONLINE
      Nostalgia.com
      CinemaClock.com
      Library Centre(Roald Dahl の画像)
       http://www.gibnet.gi/~shms/library_centre/library_centre.htm
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Text by Sati
coda21「映画の森てんこ森」幸田幸。
coda_sati@hotmail.com
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