ローマの休日 | |
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映画の森てんこ森■映画レヴュー | |
ローマの休日 (1953) | |
ROMAN HOLIDAY | |
映画『 ローマの休日 (1953) ROMAN HOLIDAY
』をレヴュー紹介します。 映画『 ローマの休日 ROMAN HOLIDAY 』を以下に目次別に紹介する。 ■映画『 ローマの休日 ROMAN HOLIDAY 』の解説及びポスター、予告編 ネタばれをお好みでない方はこの解説をご覧下さい。 ■映画『 ローマの休日 ROMAN HOLIDAY 』の映画データ ■映画『 ローマの休日 ROMAN HOLIDAY 』のトリビア ■映画『 ローマの休日 ROMAN HOLIDAY 』のスタッフとキャスト ■映画『 ローマの休日 ROMAN HOLIDAY 』の<もっと詳しく> <もっと詳しく>は映画『 ローマの休日 』の「テキストによる映画の再現」レヴュー(あらすじとネタばれ)です。※ご注意:映画『 ローマの休日 (1953) ROMAN HOLIDAY 』の内容やネタばれがお好みでない方は読まないで下さい。 ■映画『 ローマの休日 ROMAN HOLIDAY 』の結末 ■映画『 ローマの休日 ROMAN HOLIDAY 』の主演オードリー・ヘプバーン ■映画『 ローマの休日 ROMAN HOLIDAY 』の更新記録 >>「映画解説・レヴュータイトル一覧表」へ(画面の切り替え) |
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幸の鑑賞評価: 8つ星 | |
■映画『 ローマの休日 (1953) ROMAN HOLIDAY 』の解説及びポスター、予告編 | |
ローマの休日 |
■映画『 ローマの休日 ROMAN HOLIDAY 』の解説 映画『 ローマの休日 (1953) ROMAN HOLIDAY 』は、ハリウッドの最も優れた監督ウィリアム・ワイラーが、ローマで全ロケを行った、楽しくうっとりさせるような切ないロマンス・コメディ映画の名作。『 ローマの休日 』は、ベルギー生まれのイギリス女優だったオードリー・ヘプバーンのアメリカデビュー作品。彼女はこの『 ローマの休日 』で 1953 年第 26 回アカデミー主演女優賞を獲得する。映画『 ローマの休日 』は、映画ファンでなくても誰もが知っている永遠の妖精オードリーのベスト・ムーヴィーだ。 さて、『 ローマの休日 』のストーリーは...多忙な公務に嫌気がさしたローマを親善訪問中の、ヨーロッパの小国の王女アン(オードリー・ヘプバーン)は、こっそり大使館を抜け出す。そしてアメリカ人新聞記者(グレゴリー・ペック)と知り合うが…。 伝えられているところによれば、『 ローマの休日 』自体、イギリスのマーガレット王女の本当のイタリアでのローマの休日?冒険が基になっているらしい。ハリウッドの赤狩りの犠牲者ダルトン・トランボが、実はイアン・マクラレン・ハンターの名で脚本を担当しており、彼の死後 1993 年にオスカーが授与された。 >>映画『 ローマの休日 』のようにロマンチックじゃないけど、 2004 年幸の「タダのローマの休日」もご興味があれば、ご覧になって下さい。 |
●スチルはnostalgia.com、予告編はcinemaclock.comより許諾をえて使用しています。 Filmography links and data courtesy of The Internet Movie Database & Nostalgia.com. Filmography links and data courtesy of CinemaClock Canada Inc. |
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■映画『 ローマの休日 (1953) ROMAN HOLIDAY 』の映画データ | |
上映時間 118分 製作国 アメリカ 公開情報 PAR 初公開年月 1954/04 ジャンル ロマンス/コメディ 《公開時コピー》最高に美しい…全世界の恋人オードリー・ヘップバーンの代表作! 《米国コピーTagline》 |
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■映画『 ローマの休日 (1953) ROMAN HOLIDAY 』のトリビア | |
銀幕の大スター、永遠の恋人、オードリー・ヘプバーン Audrey Hepburn の出演映画リストアップ。 【オードリー・ヘプバーン出演映画】 『 初恋 (1951) SECRET PEOPLE 』 『 オードリー・ヘップバーンのモンテカルロへ行こう (1951) NOUS IRON A MONTE CARLO (原題) /WE WILL ALL GO TO MONTE CARLO (英題) 』 『 ローマの休日 (1953) ROMAN HOLIDAY 』 『 麗しのサブリナ (1954) SABRINA 』 『 戦争と平和 (1956) WAR AND PEACE 』 『 昼下りの情事 (1957) LOVE IN THE AFTERNOON 』 『 パリの恋人 (1957) FUNNY FACE 』 『 許されざる者 (1959) THE UNFORGIVEN 』 『 緑の館 (1959) GREEN MANSIONS 』 『 尼僧物語 (1959) THE NUN'S STORY 』 『 ティファニーで朝食を (1961) BREAKFAST AT TIFFANY'S 』 『 噂の二人 (1961) THE CHILDREN'S HOUR / THE LOUDEST WHISPER 』 『 パリで一緒に (1963) PARIS - WHEN IT SIZZLES 』 『 シャレード (1963) CHARADE 』 『 マイ・フェア・レディ (1964) MY FAIR LADY 』 『 おしゃれ泥棒 (1966) HOW TO STEAL A MILLION 』 『 暗くなるまで待って (1967) WAIT UNTIL DARK 』 『 いつも2人で (1967) TWO FOR THE ROAD 』 『 ロビンとマリアン (1976) ROBIN AND MARIAN 』 『 華麗なる相続人 (1979) BLOODLINE 』 『 ニューヨークの恋人たち (1981) THEY ALL LAUGHED 』 『 おしゃれ泥棒2<TVM> (1986) LOVE AMONG THIEVES 』 『 オールウェイズ (1989) ALWAYS 』 以上。 |
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【『 ローマの休日 』のスタッフとキャスト】 | |
監督: ウィリアム・ワイラー William Wyler
製作: ウィリアム・ワイラー William Wyler 原作: イアン・マクレラン・ハンター Ian McLellan Hunter 脚本: イアン・マクレラン・ハンター Ian McLellan Hunter ジョン・ダイトン John Dighton 撮影: フランク・F・プラナー Frank F. Planer アンリ・アルカン Henri Alekan 音楽: ジョルジュ・オーリック Georges Auric 出演: オードリー・ヘプバーン Audrey Hepburn アン王女 グレゴリー・ペック Gregory Peck ジョー・ブラッドレー エディ・アルバート Eddie Albert アーヴィング テュリオ・カルミナティ Tullio Carminati 将軍 パオロ・カルソーニ Paolo Carlini 美容師 ハートリー・パワー Hartley Power ブラッドレーの上司 ▲TOPへ |
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ストーリー展開の前知識やネタばれがお好みでない方は、読まないで下さい。 |
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■映画『 ローマの休日 (1953) ROMAN HOLIDAY 』の「テキストによる映画の再現」レヴュー 【ローマの休日 第01段落】 ヨーロッパのとある国の美しき王位継承者であるアン王女(オードリー・ヘプバーン)は、ヨーロッパ各国を巡る親善旅行中だ。ローマに辿り着いたときには、多忙な公務に疲れ果て、神経衰弱気味だ。医者は王女に鎮静剤を飲ませ、大使館に翌日の予定を全てキャンセルするように勧める。 【ローマの休日 第02段落】 鎮静剤はまだ効いていないので、王女は自分の自由な時間をちょっぴり楽しもうと思い、こっそりと大使館を抜け出す。アメリカ人新聞記者ジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)は、薬でぼうっとしているアン王女とたまたまスペイン広場でばったり出会う。ベンチでぐったりしている育ちのよさそうな若い女の子をこのまま放っておくことも出来ず、彼は彼女を自分のアパートへ連れて行って寝かせてあげる。 【ローマの休日 第03段落】 ジョーが自分の部屋で眠っている女の子が王女であると知ったのは、新聞社に出勤した翌日のことだ。王女のスクープを報道すれば儲かると見込んだジョーは、彼女の居場所を秘密にしておくことにする。王女には彼女の素性を知っているとは知らせずに、ジョーは自分の新しい企画のために秘密の取材をし始める。 【ローマの休日 第04段落】 王女がいなくなってしまって大使館が騒然としている時に、目覚めたアン王女はもう数時間自分の時間を楽しもうと考えている。ジョーは美しい永遠の都ローマの案内役にすすんでなる。自分の記事に合う写真が必要だと考えたジョーは、カメラマンのアーヴィング・ラドヴィッチ(エディ・アルバート)に秘密を明かし、王女のローマ観光を隠しカメラで撮影させる。 【ローマの休日 第05段落】 王女は何の疑いを持つこともなく、ジョーと一緒の自由な時間を楽しんでいる。川辺の遊覧船でのダンスを楽しむ王女のもとに、大使館が王女捜索のために国から飛行機で呼び寄せた秘密探偵がやって来る。ジョーは王女を逃がそうとして、探偵たちとやり合う。 ・・・ ▲TOPへ ◆ここからは、結末まで書いていますので、ストーリー全体が分ります。御注意下さい。 ATTN: This review reveals the movie content. Please don't say that I didn't say ! 【ローマの休日 第06段落】 ジョーとアン王女は、川に跳び込んで探偵達の追跡から逃れる。二人はお互いに深く愛し合っていることに気付きキスを交わすが、結ばれない運命なのはわかっている。ジョーはアンを大使館まで送り、彼女にやさしく別れを告げる。そして自分の書いた記事を破り捨てる。 【ローマの休日 第07段落】 数日後、王女が開いた記者会見にやって来たジョーとアーヴィング。アーヴィングは自分が撮った全ての王女の写真をそっと王女に渡す。見詰め合うジョーとアン王女は、無言の別れを告げるのだ。 ▲TOPへ ■映画『 ローマの休日 (1953) ROMAN HOLIDAY 』の主演オードリー・ヘプバーン 【ローマの休日 後記 第01段落】 なんと言ってもオードリー・ヘプバーンが美しい!ストーリーはいたって単純にもかかわらず、観た後に感激せずにいられないのは、「ミニヴァー夫人」( 1942 )「我等の人生の最良の年」( 1946 )「ベン・ハー」( 1959 )で3度のアカデミー監督賞に輝いた名匠ウィリアム・ワイラーの演出力と、やはりオードリーの瑞々しい清潔感あふれる上品な美しさのせいだろう。回を重ねるごとに、感動が増す。自由を満喫するために髪を短くしたアン王女の髪型は、<オードリーカット>として当時世界中で大変流行したそうだ。 【ローマの休日 後記 第02段落】 ローマの美しい名勝にも大きな興味をそそられる。ジェラートを食べるスペイン広場や、後ろを向いてコインを投げるトレヴィの泉、謁見式を行ったブランカチオ宮殿。その他、祈りの壁、カフェ・グレコ、コロシアムなどなど。サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の真実の口で、アン王女がドキドキしながら海神トリトンの口に手を入れるシーンは本当にキュート! 【ローマの休日 後記 第03段落】 オードリー・ヘプバーンは 1929 年5月4日、ベルギーのブリュッセルで生まれた。イギリス人の裕福な銀行家であった父に似た、本当に青い目をした少女だった。彼女の母親はオランダの男爵夫人だ。両親の離婚後、オードリーは母親と一緒に私立の女学校のあるロンドンへ行った。後に、母親がオランダに戻った時、オードリーはそこの学校に通った。オランダのアーネムで母親と休暇を過ごしていた時に、ヒトラーの軍隊が街を侵略した。ナチスの支配の間、彼女が辛い時代を過ごしたのはここである。オードリーは憂鬱と栄養不良に苦しんだ。 【ローマの休日 後記 第04段落】 解放運動の後、オードリーは奨学金でロンドンのバレースクールに通い、モデルも始めた。彼女はとても優美なモデルで、映画プロデューサーから声がかかるまで、ふさわしい職業についているかのように思えた。あるプロデューサーにたまにモデルの仕事を依頼されるようになり、 1948 年に「 Nederlands in 7 lessen 」というヨーロッパ映画で、クレジットなしのKLMスチュワーデスの端役を務める契約をした。それから 1951 年には「 Young Wives' Tale 」という映画で、イヴ・レスターというセリフのある役を得る。 【ローマの休日 後記 第05段落】 役のセリフが多くなかったので、彼女は運試しにアメリカへと向かった。オードリーは 1953 年に「ローマの休日」の主役を演じ、アメリカですぐに日の目を浴びるようになった。この映画は、彼女自身がアカデミー主演女優賞に輝くなど、素晴らしい成功を収めた。これで彼女は大変な人気者になり、最高の役により多く就くことができるようになった。当時のセクシーな人気女優達のようではなく、妖精のようであったこと、そして上流階級の出であったことが、彼女の人気の理由に挙げられるだろう。 【ローマの休日 後記 第06段落】 「ローマの休日」に次いで、同じような素晴らしい演技がなされていった。 1957 年の「パリの恋人」、1954年にアカデミー主演女優賞にノミネートされた「麗しのサブリナ」、これも大好評を得た 1957 年の「昼下がりの情事」。 1959 年には、「尼僧物語」の役でまた主演女優賞候補に。そして 1961 年の輝かしい映画、「ティファニーで朝食を」でホリー・ゴライトリーを演じ、女優としてのキャリアの頂点に登りつめる。この作品でも主演女優賞候補に挙げられた。オードリー主演の最も輝かしい映画の一つである、 1964 年の「マイ・フェア・レディ」。共演者の故レックス・ハリソンは自身の気に入っている主演女優を尋ねられた時、ためらうことなく「マイ・フェア・レディのオードリー・ヘプバーン」と答えた。 1967 年の「暗くなるまで待って」でも主演女優賞ノミネート。 【ローマの休日 後記 第07段落】 しかし、俳優メル・ファーラーとの離婚後、60 年代の終わりまでに、オードリーはトップ女優からの引退を決意する。その後、アンドレア・ドッチ医師と再婚。時々銀幕に登場することもあった。ショーン・コネリーと共演した 1976 年の「ロビンとマリアン」がその一つだ。 1988 年、ラテンアメリカやアフリカの子供たちを助けるため、ユニセフの親善大使となる。彼女は 1993 年までその仕事を続けた。彼女はピープル誌で、世界の最も美しい人 50 人に選ばれた。彼女の最後の映画は、 1989 年の「オールウェイズ」である。 【ローマの休日 後記 第08段落】 オードリー・ヘプバーンは 1993 年1月 20 日にスイスで亡くなった。直腸がんだった。彼女は全部で 31 の高い品質を誇る映画に携わった。エンパイア誌の「永遠の映画スタートップ 100 」に彼女の名前が選ばれているように、そのエレガンスとスタイルは映画史にいつまでも残り続けるであろう。 以上。 <もっと詳しく>からスペースを含まず3258文字/文責:幸田幸 参考資料:「映画の森てんこ森」映画タイトル集 http://www.coda21.net/eiga_titles/index.htm IMDb allcinema ONLINE Nostalgia.com CinemaClock.com 「ローマの休日」パンフレット |
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■映画『 ローマの休日 (1953) ROMAN HOLIDAY 』の更新記録 2002/08/24新規: ファイル作成 2004/07/07更新: ◆テキストとリンク一部およびファイル書式 2005/03/17更新: ◆一部テキスト追記と書式変更 |
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幸田 幸 coda_sati@hotmail.com |
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