稲むらの火
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 稲むらの火@映画の森てんこ森
稲むらの火
稲むらの火
2005年1月28日金曜日 「シャイな幸の独り言」トップへ
目次
■津波・Tsunami
■濱口梧陵
■濱口梧陵の年譜と時代背景
■稲むらの火
■濱口梧陵の史蹟巡り(写真集)

 先日来防災の名著として注目を浴びた「稲むらの火」を紹介する。

 「稲むらの火」の物語では、安政元年安政地震(1854年11月4日安政の東海地震、11月5日安政の南海地震)の際、紀州有田郡広村(現在は広川町)で起こった津波から村人を救った“五兵衛"という名の主役の老人は濱口梧陵(本名は濱口儀兵衛)である。
 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、この話を、1897年にボストンとロンドンの出版社から同時に出した著書「仏の畠の落穂」(Gleanings in Buddha-Fields)の「生ける神」(A Living God)と題する章の後半で述べている。その40年後に、濱口梧陵と同郷の小学校教員・中井常蔵が日本の学校で用いられるよう書き直し、昭和12年(1937年)、初等科国語(小学国語読本)として採択されたという。

 因みに、「稲むらの火」の原典の碑が、広川町役場「稲むらの火」広場「稲むらの火」小学国語読本碑としても閲覧できる。また平成15年10月から「稲むらの火祭り」も開催されている。昨年が2回目の2004年は安政の大地震から150周年に当たった。お会いした「稲むらの火祭り」実行委員長の広八幡神社佐々木公平宮司(S.20生)は「濱口梧陵さんの遺徳に感謝し、防災意識を高めて、災害国日本が歴史の中で学んできた事柄を活かすべきだ。広川町の「稲むらの火祭り」を災害文化の平成の語り部として、日本だけでなく世界にも情報を発信していきたい。」と仰っていたのが印象的だ。

※以下は「稲むらの火」の全文です。広川町教育委員会からいただいた「稲むらの火」の原典複写本と「稲むらの火 webサイト inamuranohi.jp」掲載の「稲むらの火」を参考にし、「稲むらの火」の原典通り、縦書きで作成しました。また、「稲むらの火」の全文を現代仮名遣いに入力し直してありますが、誤植などあればお許しください。


稲むらの火 01

【稲むらの火現代仮名遣い】
稲むらの火
 「これはただ事ではない」とつぶやきながら、五兵衛は家から出て来た。今の地震は、別に烈しいというほどのものではなかった。しかし、長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。
 五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では豊年を祝う宵祭りの支度に心を取られて、さっきの地震には一向に気が付かないもののようである。
 村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸いつけられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、みるみる海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れて来た。
 「大変だ。津波がやってくるに違いない」と、五兵衛

「稲むらの火」 p.1-p.2 ▲TOPへ
稲むらの火 02

【稲むらの火現代仮名遣い】
は思った。このままにしておいたら、四百の命が、村もろとも一のみにやられてしまう。もう一刻も猶予はできない。
 「よし。」と叫んで、家に駆け込んだ五兵衛は、大きな松明を持って飛び出して来た。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んであった。
 「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ。」と、五兵衛は、いきなりその稲むらのひとつに火を移した。風にあおられて、火の手がぱっと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。こうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなって来た。稲むらの火は天をこがした。山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。
 「火事だ。庄屋さんの家だ。」
「稲むらの火」 p.3-p.4 ▲TOPへ
稲むらの火 03

【稲むらの火現代仮名遣い】
と、村の若い者は、急いで山手へ駆け出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追うように駆け出した。
 高台から見下ろしている五兵衛の目には、それが蟻の歩みのように、もどかしく思われた。やっと二十人程の若者が、かけ上がって来た。彼等は、すぐ火を消しにかかろうとする。五兵衛は大声で言った。
 「うっちゃっておけ。-大変だ。村中の人に来てもらうんだ。」
 村中の人は、おいおい集まってきた。五兵衛は、後から後から上がってくる老幼男女を一人一人数えた。集まってきた人々は、もえている稲むらと五兵衛の顔とを、代わる代わる見比べた。その時、五兵衛は力いっぱいの声で叫んだ。
 「見ろ。やって来たぞ。」
 たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指さす方向を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は見る見る太くなった。広くなった。非常な速さで押し寄せて来た。
 「津波だ。」
「稲むらの火」 p.5-p.6 ▲TOPへ
稲むらの火 04

【稲むらの火現代仮名遣い】
と、誰かが叫んだ。海水が、絶壁のように目の前に迫ったかと思うと、山がのしかかって来たような重さと、百雷の一時に落ちたようなとどろきとをもって、陸にぶつかった。人々は、我を忘れて後ろへ飛びのいた。雲のように山手へ突進してきた水煙の外は何物も見えなかった。人々は、自分などの村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。二度三度、村の上を海は進み又退いた。高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は波にえぐりとられてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。稲むらの火は、風にあおられて又もえ上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。初めて我にかえった村人は、この火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。
「稲むらの火」 p.7-p.8 ▲TOPへ

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参考資料:「映画の森てんこ森」映画タイトル集
       http://www.coda21.net/eiga_titles/index.htm
      IMDb
      allcinema ONLINE
      Nostalgia.com
      CinemaClock.com
      NHKの「その時歴史は動いた」
       http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_syokai.html#02
      ヤマサの歴史【ヤマサ醤油】
       http://www.yamasa.com/history/sevens.html
      稲むらの火 webサイト
       http://www.inamuranohi.jp/
      和歌山県有田郡広川町
       http://www.town.hirogawa.wakayama.jp/
Text by Sati
coda21「映画の森てんこ森」幸田幸。
coda_sati@hotmail.com
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