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 シャイな幸の独り言
マトリックス リローデッド
映画「マトリックス リローデッド」の哲学的(?)考察
2004年01月25日日曜日 「シャイな幸の独り言」トップへ
 やっとのことで、映画『 マトリックス リローデッド (2003) THE MATRIX RELOADED 』を書き上げた。\(*^o^)/ 今までで一番長い、空白を含まず34899字(400字詰め原稿用紙 88 枚)のレヴュー大作だ。そして、新設した未公開映画の邦題コーナーの「マトリックス・リローデッド」も更新した。第一作目『 マトリックス (1999) THE MATRIX 』も然り、「マトリックス リローデッド」のレヴューも約6ヶ月たって完成した。ヴィデオやDVDで確認しなければ、映画館で感じた「何で?」「あれ?」「どうなってんの?」のシーンが多すぎて、自信を持って書けないし、書いても納得がいかないからだ。そもそも数学的・コンピュータ的「マトリックス」そのものの世界は難解で、「マトリックス」が「マトリックス」である所以だろうか。いや「マトリックス」は明解で、映画「マトリックス」が「マトリックス」をして「マトリックス」たらしめているのか?・・・何言っているのか自分でも解らない...(^_^;) 兎に角「マトリックス」の薀蓄を調べだしたらキリが無い。でも調べていくうちに、幸が知らなかった様々なことが解って面白い。「知ることが目的」だというキーメーカーの台詞にハマってしまう。

THE MATRIX RELOADED
マトリックス リローデッド 01
画像は(c)Cinemaclock.com より
マトリックス リローデッド
 映画『 マトリックス リローデッド (2003) THE MATRIX RELOADED 』は、『 マトリックス (1999) THE MATRIX 』に続き、『 マトリックス レボリューションズ (2003) THE MATRIX REVOLUTIONS 』で完結する。「マトリックス・リローデッド」での「To be concluded」には、参った。流石、超オタク(幸は「オタク」である事は素晴らしいと思っている)のラリー&アンディ・ウォシャウスキー兄弟だけある。観客を喜ばせれば自分も喜べるという確固たる哲学があるのかも知れない。それとも自分のやりたいことを徹底的にやれば、自然と観客が満足するという信念があるのかも...。

 映画「マトリックス」シリーズには宗教的要素が色濃い。キリスト教・ヒンドゥー教・仏教などの宗教や哲学の分野にまで踏み込まなければならない。トリニティとか復活とか救世主とかザイオンとか、映画『マトリックス』にはキリスト教的世界観も展開されている。トリニティすなわち三位一体 the Trinity とは、“父と子と聖霊”という3つの神の存在の仕方のことで、父は創造主たる神、子はイエス・キリスト、聖霊は人々を神と結びつけるものだそう。それらの本質は全て同じであり、唯一神だけがこの3つを持つ実体であるという考え方だ。映画の中では父がモーフィアス(ギリシャ神話の夢の神モルフェウス Morpheus が彼の名の語源だそうで、因みにモルフェウスはモルヒネの語源でもある)、イエスがネオ、トリニティが聖霊ということなのだろう。ネオは度々救世主という意味で“ The One ”である。ネオ Neo という名前は one のアナグラム(文字かえ遊び)である。このような、アナグラムは「不思議の国のアリス」の著者ルイス・キャロルが得意としたことだ。

 映画「マトリックス リローデッド」の集会のシーンで、モーフィアスは壇上に立ち、声高に迫り来るザイオンの危機について真実を話し、人々を鼓舞した。モーフィアスの言葉に感動し、盛り上がる多様な人種の人々は、ダンスをし始める。ザイオン( Zion シオン)は、イスラエル建国の象徴のような言葉。このシーンにクレームが付いた。<エジプトの映画検閲に関する委員会は、「マトリックス リローデッド」の上映禁止を決めた。一部のイスラム系新聞が、この映画はシオニズム(ユダヤ人の民族運動)に傾倒しているとして批判、上映禁止を求めるキャンペーンを展開した(カイロ 2003 年 06 月 10 日AP=共同/京都新聞:2003.06.11)>と記事。ザイオンを守ろうと意気揚々と民衆を盛り上げるシーンには、アラブ諸国の人々が受け入れがたい気持ちを抱くのだろう。宗教への関わりが殆どない幸にとっては、理解の次元が違うのだろう。

 宗教上では、ザイオン Zion というのはシオンとも読み、キリスト教文学や賛美歌において、天国の都だとかキリスト教の信仰と兄弟愛に溢れた地上の楽園といった意味でよく用いられている言葉だ。元々は、古代エルサレムにある二つの丘の最東端に位置し、ダヴィデが王国の首都を築いた場所。旧約聖書では、ザイオンという名が概してエルサレムを指す言葉として頻繁に使われており、詩的で予言的な名称なのだそうだ。シオンの丘は神であるヤハウェが住み、救済を行った場所でもある。その名はユダヤ人の故郷を意味するようになり、また、彼らの民族主義のシンボル的な言葉となった。つまり、ザイオン=シオンとは神に約束された楽園を指し、また、エルサレムやエレツ・イスラエル(イスラエルの地)のことを指す。この楽園にユダヤ人の教えに基づいた国家を再建する運動のことをシオニズム Zionism といい、日本語では領土主義などと訳されている。因みにイスラエルとは「勝利者」という意味だそうだ。

 また、映画「マトリックス」シリーズは、哲学思想が多大に盛り込まれているようで、ニーチェやショーペンハウアー、ドイツ哲学繋がりでカント、ヘーゲル、マルクス、ハイデガー、それにデカルトやキルケゴールなんかが盛り込まれていたりするらしい。幅広すぎる。哲学なんて難しすぎて手に負えないけど、私なりのマトリックス哲学考察を超簡単に行なってみる。ハッキリ言って、哲学者が書いた本なんて読んだことも無いけど、ヨースタイン・ゴルデル氏の『 ソフィーの世界 (1999) SOPHIE'S WORLD 』とポール・ストラザーン氏の「 90 分でわかる」シリーズを斜め読みして幅狭く挑戦!哲学にお詳しい方には、「えー、ウソだろ〜!」と思われちゃうでしょうが、まぁ、ご愛嬌ということで‥。馬鹿げた幸の勝手な考察に突っ込まないで下さいね。俄仕込み(にわかじこみ)の浅知恵と、ご容赦下さい。えへへ(恥ずかし笑い)。

 映画「マトリックス」シリーズを理解するには、ニーチェやショーペンハウエルについても少しは知っておくべきかなと思われる。ウォシャウスキー兄弟はコンピュータのマトリックス世界に詳しければ、その延長上に当然哲学(『 ソフィーの世界 (1999) SOPHIE'S WORLD 』参照)がある。

 例えば、ニーチェをネット辞書で検索すると、<ニーチェ [Friedrich Wilhelm Nietzsche] ( 1844-1900 ) ドイツの哲学者。初め古典文献学者として出発、R =ワーグナー・ショーペンハウアーの影響を受けつつ、ギリシャ文化を範とする芸術的哲学を説いた。のちに「神は死んだ」としてヨーロッパ文明・キリスト教への批判を深め、永劫回帰・力への意志の世界においてニヒリズムを克服、「超人」として生きることを主張した。著「悲劇の誕生」「反時代的考察」「ツァラツストラはかく語りき」など。>三省堂の大辞林(国語辞典)とある。

 <アーサー・ショーペンハウエル Arthur Schopenhauer ( 1788-1860 )ドイツの哲学者。厭世哲学の大御所といわれ、人生は最悪の世界だとして、そこからの解脱は芸術的静観と仏教的涅槃によるべきだと考えた。「人間は孤独でいる限り彼自身であり得る。」「人間の生は苦悩と退屈の間の往復である。」など分りやすい。プラトンとカントを研究し、ゲーテとも交流があった。ワーグナー、ニーチェ、トーマス・マンらに影響を与えた。ショーペンハウエルは 30 歳の時に「意志と表象としての世界」を著し、楽天的なヘーゲル哲学の全盛期に、ペシミズムの思想を説いた。やがてヘーゲル主義が衰退し、ニヒリズムが人々の間にも蔓延し始めた頃、ショーペンアウエルは一躍時の人となった。ショーペンハウエルはマスコミからも注目され、映画『 タクシー・ドライバー(1976)TAXI DRIVER 』の最後のほうのシーンでの主人公トラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)のように、自分が掲載された新聞記事の切抜きを自分の部屋に貼っていたとどこかで読んだ。>

 前作『 マトリックス (1999) THE MATRIX 』が定立(テーゼ)、本作『マトリックス・リローデッド』が反定立(アンチテーゼ)、次の『 マトリックス レボリューションズ (2003) THE MATRIX REVOLUTIONS 』が総合(ジンテーゼ)という風な具合に、マトリックス・シリーズは、ヘーゲル Georg Wilhelm Friedrich Hegel ( 1770-1831 :ドイツ観念論を代表する哲学者。自己を否定・外化した上でその否定をさらに否定して自己に還帰する絶対者の自己展開の過程(弁証法)を構想。論理・自然・精神の三部門からなる体系により近代市民社会の疎外的現実を思弁的に克服しようとした。全体性・普遍性を重視するその傾向は理性の狡智の思想などに現れ、反発も招いたが、青年期の著作には実存主義を先取りする着想もある。著「精神現象学」「論理学」「エンチュクロペディー」ほか。)の弁証法的にストーリーが展開していっている。

 だから『マトリックス・リローデッド』で、『マトリックス』で描かれたネオの救世主としての役割が別物になってしまったけど、次の『マトリックス・レボリューションズ』では、前の2作の要素を取り入れ、再び救世主が肯定的な存在として描かれるかなぁと思うのだけど。

 また、映画『マトリックス・リローデッド』は哲学思想の発展も示しているような気がする。まず、アーキテクトによると、マトリックスの歴史は長い。その歴史にも世界精神(ヘーゲルの歴史哲学で、世界史において、特殊的有限的なもの〔民族精神〕を媒介として自己を段階的に実現してゆく超越的な精神。)がつらぬいている。なぜなら、マトリックスの個々のプログラムたちは、自分を意識する状態へと突き進んでいき、より大きな自己意識、つまり、マトリックス全体の意識に向かって邁進していったから。しかし、ヘーゲル的に理性的なものだけが生き延びると考えたマトリックスのプログラムだが、そうはならなかった。

 ヘーゲル哲学に反発・影響を受けて生まれてきた哲学には、キルケゴール、ニーチェ、マルクス等の哲学がある。キルケゴール( 1813-1855 :デンマークの思想家。ヘーゲルの思弁的体系や教会的キリスト教を鋭く批判し、主体性こそ真理だとして真のキリスト者・単独者への道を追求。現代の実存哲学や弁証法神学に大きな影響を与えた。著「不安の概念」「あれかこれか」「死に至る病い」など。キェルケゴール。)にとっては、一人一人の人間には、世界精神などという代物より、主観的な事柄のほうがはるかに重要だった。本当に重要な真理は個人的なものなのだ。マトリックスのプログラムに反発し、人類愛ではなく、トリニティへの愛を取ったネオは、実存主義的だといえるだろう。

 スミスの場合、マトリックスの支配から自由になり、ニーチェの言う「神は死んだ」状態。そうなると自分自身の行動に責任を持たなければならなくなり、また、際限のない自由を享受するために自分自身で自分の価値を作り出していかなければならない。このような状況でスミスが目指すものといったら、やっぱりニーチェの言う「超人」(ちょうじん:ニーチェ哲学の中心概念。人間を超克されるべき中間者と考え、その超克の極限に立てられる概念。権力意志により積極的に生を肯定し、キリスト教にかわり善悪の彼岸にあって民衆に命令を下す。その具体像はツァラツストラとされる。)‥?

 次作は『マトリックス・レボリューションズ』。レボリューション=革命っていうのだから、マルクス( 1818-1883 :ドイツの経済学者・哲学者・革命家。エンゲルスとともに科学的社会主義の創始者。ヘーゲルの観念的弁証法、フォイエルバッハの人間主義的唯物論を批判して弁証法的唯物論を形成。これを基礎にフランス社会主義思想の影響の下で古典派経済学を批判的に摂取、資本主義から社会主義へと至る歴史発展の法則を明らかにするマルクス主義を創唱。また、終生革命家として国際共産主義運動に尽力した。主著「資本論」)でしょう。まだ観ていないから分らないけど、題名から察するに、マトリックスからの搾取に怒る下部構造の人間たちが、上部構造の機械たちに対して階級闘争を起こすのだろう。今までも起こしているつもりだったけど、実際はマトリックスのシステムに支配された闘争だった訳だからね。でも、歴史的に鑑みて、マルクス主義は人間には合っていないみたいだから、闘争に勝利したところで一体どうなるの?また、ハーマン評議員が言っていたように、人間は機械に繋がれた存在になってしまっている。もし、機械たちに勝てたとして、次にどんな社会が待ち受けているのだろうか。

 人の行動は因果で帰結するのか。人は目的なしで生きられないのか。人は己の欲望の為に自由になれないのか。人は自由を得たとき自由からの逃亡が始まるのか。その自由は既にプログラムされたものなのか。個人は幸福を得るためには連帯すべきなのか。愛はあらゆる物を超越するのか。愛の絆には目的があるのか、等など。映画「マトリックス リローデッド」を観て、色々な訳の分らないことを考え、不条理哲学に陥る幸でした・・・。
以上。

※参考資料;大辞林(国語辞典)
      EXCEED英和辞典
      IMDb
      ソフィーの世界
      90分でわかるニーチェ
      90分でわかるキルケゴール
      Infoplease
Text by Sati
coda21「映画の森てんこ森」幸田幸。
coda_sati@hotmail.com
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