永遠のハバナ
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 永遠のハバナ@映画の森てんこ森
永遠のハバナ タイトル
永遠のハバナ
2005年3月1日火曜日 「シャイな幸の独り言」トップへ
 先日『 永遠のハバナ (2003) SUITE HABANA 』の配給元アクション・インクから、映画『 永遠のハバナ (2003) SUITE HABANA 』を鑑賞させていただいた。

 『 永遠のハバナ 』、う〜む。奥深い映画だ。
 この映画『 永遠のハバナ 』を観て、言葉を意識的に排除したシーンのカット毎に、今ままで観た色々な映画が被(かぶ)さる。『 ロゼッタ (1999) ROSETTA 』『 8 Mile (2002) 8 MILE 』『 マゴニア (2001) MAGONIA 』『 コニー&カーラ (2004) CONNIE AND CARLA 』『 やさしい嘘 (2003) DEPUIS QU'OTAR EST PARTI (原題) / SINCE OTAR LEFT (英題) 』などなど。ストーリー的には関連性はない。でもなぜかわたし的な頭の中で繋がる。

 『 永遠のハバナ 』から、現実の重さ、生きていることの大切さ、単調な日常の営みの中で流れていく時間のいとおしさ、生きている(生かされている?)実感とを感じざるをえない。
 忙しさの中に自分を見失っているとき、恋や友情に悩んだとき、夢に破れたとき、大切な人と別れたとき、『 永遠のハバナ 』でふと遠いハバナの人々の生活を見てみるのもいいかも・・・。

 自転車に乗って、風は流れる
 今日をこぎ、昨日のように、明日をこぐ
 侘(ウラブレタ)街の雑踏の顔、かお、顔
 昼と夜を水浴びで結ぶ
 時は思い思いの心に流れる

 便利さと豊かさは何をもたらすの
 希望と変革は誰のもの
 夢は見るもの、振り返るのもの
 そのままで、このままが、
 モノトーンの中に幸せは存在する

 生きていく中で経験しうるあらゆるタイミングを包括して、あー、こんな風に人は生きているのだ・・・生きれるのだ・・・

 以下に『 永遠のハバナ 』の読む映画試写会を書きます。

永遠のハバナ 01永遠のハバナ 02
Courtesy of (c)Action Inc.
『 永遠のハバナ 』日本語公式サイト
【永遠のハバナ 第01段落】  ハバナの朝から始まる。朝日が雲の間におぼろげに顔を見せ始める。すると街は眠りから覚めてハバナの住人達の一日が始まる。その一日は、タイトル「永遠のハバナ」の通り毎日繰り返されるものだ。

【永遠のハバナ 第02段落】  ジョン・レノン John Lennon のブロンズ像は四六時中、市民達に護られている。6時間交替くらいで、どう見ても一般市民の有志の男女が一人ずつ、ブロンズ像の真ん前で一人用の椅子に座ってじ〜っと監視しているのだ。日の出、昼前、夕方、深夜、の交替みたい。カンカン照りの時も風雨の激しい時も、一途に見守られている。

【永遠のハバナ 第03段落】  ちょっと手が不自由な男の子フランシスキーノの家では祖母が朝食を用意し、孫に食べさせ、小学校まで手を繋いで歩いて送る。そのころ祖父は起きてきて独りで朝食のテーブルに。学校では女教師が少年を戸口で迎えて算数の授業。1から20まで数える練習。ここでは声が聞こえる。でも、後は殆ど全員が無言だ。ご飯を作るのも食べるのもテレビを見るのも職場で同僚と仕事をするのも、みんなダンマリ。

【永遠のハバナ 第04段落】  自転車が多い。車はまだ限れらた人達しか持っていないようだ。ある男性はヒールの15センチくらいある上底の女性用の黒サンダルを自転車で片手に掴んでどこかへ持っていく。鉄道の工夫は仕事場に自転車で乗りつけ、同僚とレールの修復をしている。工場では監督が生産ラインの過程のチェックをしている。実家らしき家のモルタル修理をしている若者もいる。勤務医もいる。暗い顔をしてカバンに物をつめている髭の男もいる。

【永遠のハバナ 第05段落】  そうしている間に昼時。街を歩く女性はラテンの国らしく、ヒップを見事に動かして歩き、男性の目はそれに釘づけ。午後になると登場人物十人のそれぞれがどんな人か徐々に分かってくる。髭の男性は、カバン一つでアメリカに出国していった。行き先はマイアミ。家族を呼び寄せるのを夢に、別天地で成功を夢見てした苦渋の決断らしい。

【永遠のハバナ 第06段落】  午後、フランシスキーノの家に父親がやって来た。離れて暮らして家族を養えるように働いているようだ。だから孫は祖父母に預けていたのだ。フランシスキーノは父親が久しぶりに来ると抱きついて大いに甘える。父親は若くはなくやつれているが、そんな息子を心から可愛がる。ハバナの街では家では男性は上半身みんな裸だ。暑いのだなぁ。あるのは薄汚れた扇風機。冷蔵庫も物凄く古い。フランシスキーノを水浴びさせる父親。石鹸で体も髪も洗うのだけど、シャワーだと思ったら、水を桶で汲んでかけるだけ。この家だけかなと思ったら、夕方になって仕事から帰宅した誰もがそうやって石鹸で洗って水を浴びるのだ。

【永遠のハバナ 第07段落】  水浴び(入浴とは言えない…)が夕方までの仕事の時間と夜の個人的な時間との境目になる。みんな別人のように夜の生活を始める。医師はピエロの格好をして子供達を喜ばして人格を変えている。朝、自転車で黒のヒールのサンダルを預けていった男性は靴を受け取りに行って、銀のラメのドレスに身を包み眩いお化粧と赤い付け爪をして女装愛好者になって歌い踊っている。家の修理をしていた若い男性は爽やかなポロシャツに着替えてヒッチハイクをしている。なかなか目的地が合う車がつかまらない。やっとヒッチハイクできて、お礼のお金をちゃんと渡して下車したところはこれまでのハバナの街の荒んだ家々とは異なって立派な建物だ。何だろう。そこはバレエの舞台だった。かれは薄化粧に白タイツという出で立ちでステージで踊っている。フランシスキーノの家では食事の後片付けの済んだ祖母はテーブルのすぐ脇で油絵を描いている。どんな人にも夜のプライベートな生活があるのだ。

【永遠のハバナ 第08段落】  変わらないのはじっとテレビを見続ける97歳の老女。それに、街角でピーナッツ売りをして毎日の糧にしているアルマンダという初老の女性。市場で生の落花生をまとめて買って、家に帰ると鍋で煎(い)り、白紙を一枚一枚クルクルっと細長い円錐状に丸めて、一袋ずつ煎ったピーナッツを詰めていく。それを翌日、街で売る。それの繰り返し。全然笑い顔のないアルマンダ。生活苦だけの毎日。

【永遠のハバナ 第09段落】  チェ・ゲバラ Che Guevara の写真は映る。「革命」という意味のスペイン語「REVOLUCION」の字が何度か映される。カストロ Castro は一度も出てこない。ジョン・レノンのブロンズ像は最後もまた映される。観て一番感じたのはキューバの貧しさだ。そんな貧しい中にも家庭愛がある、なんて生易しい描き方ではなかった。どうにかしなければ、という事を表したかったとも考えられる。十人の登場人物は小学生から高齢のおばあちゃんまで。日々を精一杯暮らしているのだが明るい未来は来そうもない。カストロによる社会主義のままではこの貧しさから抜けられないという思いで、敢えてカストロを画面に登場させていないのだろうか。

【永遠のハバナ 第10段落】  台詞がない。学校の授業と窓からの大声とテレビの古き良き時代の懐かしのメロディくらい。あとは、本当に皆、無言。黄色が基調となるハバナの町並みは建物は崩れかけ壁は汚れ町全体が荒廃している。波しぶきが真っ白で青色の美しい海、公園のジョン・レノンのブロンズ像、きれいなのはそれくらい。こういう街の中で人々は悠久の暮らしをしていくのだ。

 この映画『 永遠のハバナ 』は、文明人というか、豊かな資本主義国で生きる欧米人というか、いや私たち平和で物に満ち足りた日本人を、自己の再認識と新たな勇気に導く佳作と捉えてもいいかも・・・

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i『 永遠のハバナ (2003) SUITE HABANA 』の公式サイトの紹介文・・・
 『 永遠のハバナ (2003) SUITE HABANA 』の公式サイトの解説を引用させていただくと、
 「生きる人々の現実と夢−これが、ハバナ」
 夜が明け、モロ要塞にある灯台のあかりが消える。新市街の公園にあるジョン・レノンのブロンズ像を見守る市民が交代し、人々が、街が目を覚ます。コーヒーのわく音、自転車のきしみ、鳥のさえずりから静かに1日が始まる。政治家でもミュージシャンでもなく、ドル紙幣とも縁のない普通の人々の1日。
無名の12人の登場人物を通して、これまで決して映像には現れなかった人々の生活が見えてくる。観光客からは見えない現実の中で、日常の小さなことを大切にしながら淡々と生きる人たちの姿は、ハバナで30万人の人々を魅了した。

 「これこそ私たちの現実!」
 楽しく笑って歌って踊る姿だけがクローズアップされがちなキューバの人々にとっては、初めて映し出された自分たちの生きる姿だった。ハバナではほとんど宣伝されなかったにも関わらず、口コミで伝わり、劇場は毎回、立ち見が出るまで満員になった。ハバナと人々を愛してやまないフェルナンド・ペレス監督は、ハバナと共に人生とは何かを感じてほしいと、ドキュメンタリーでありながら、フィクションと同じように撮影し、セリフやインタビュー、ナレーションを一切排除した。最後に登場人物の簡単なプロフィールと夢が少し出てくるだけで、それ以外の説明は全くない。

 「言葉より映像の方が、ウソをつかない」から・・・。
 映像、街の音と音楽だけで紡がれる「永遠のハバナ」は、タイトルの通り、人々と街が織りなす一遍の組曲である。派手なドラマも演出もない。ただ、観終わったあと、静かに心に響く声に耳を傾けてみてほしい。

 ■『 永遠のハバナ 』日本語公式サイト
 ■『 永遠のハバナ 』オリジナル予告編
   http://www.action-inc.co.jp/suitehabana/trailer/narrowband.html
 ■『 永遠のハバナ 』の受賞
  ・2003年 サン・セバスチャン映画祭 公式オープニング上映作品/SIGNIS賞
  ・2003年 新ラテンアメリカ映画祭 最優秀作品賞/最優秀監督賞/最優秀楽曲賞/最優秀音楽賞/FIPRESCI賞
  ・2004年 カルタヘナ国際映画祭 最優秀監督賞

 ■『 永遠のハバナ 』の日本公開
  2005年3月12日より渋谷ユーロスペースにて公開。もっと詳しく・・・


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参考資料:「映画の森てんこ森」映画タイトル集
       http://www.coda21.net/eiga_titles/index.htm
      IMDb
      allcinema ONLINE
      Nostalgia.com
      CinemaClock.com
      映画情報 http://www.allocine.fr
      永遠のハバナ公式サイト
       http://www.action-inc.co.jp/suitehabana/
Text 編集 by Sati
coda21「映画の森てんこ森」幸田幸。
coda_sati@hotmail.com
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