シャイな幸の独り言 | |
デ・パルマ監督について | |
2003年05月13日火曜日 | |
昨日(2003年05月12日)、日本公開日も邦題も未定のブライアン・デ・パルマ監督の『
Femme Fatale (2002) 』のレヴューを作文しようと思って allcinemaONLINE
でチェックしましたがデータがありません。それで海外のサイトを色々チェックしていく内にデ・パルマ監督のことが結構貶されているので、気になって勉強しました。偉大な監督を弁護するなど大層な事は考えてもいませんし、大したことは書けませんが、彼の映画は、幸はレヴューしていませんが、結構観ています。そしてヒッチコック映画は幸には古典のようになっているし、何本か観たことがあるので、これを書きました。 色々勉強不足なところがありますが、アップしてみます。名前は失礼ですが呼び捨てにさせて頂いています。下の画像はIMDbから引用しています。 |
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ブライアン・デ・パルマ監督 |
ブライアン・デ・パルマBrian De Palma 監督は、1940年9月11日、アメリカ合衆国ニュー・ジャージー州ニューアークNewark,
New Jersey で外科医の息子として生まれた。本名はブライアン・ラッセル・デ・パルマBrian
Russell De Palma。「ヒッチコックの再来」「現代サスペンス映画の第一人者」「映像の魔術師」と評価される大監督として有名。 <Photo by Jeff Vespa - (c) WireImage.com - Image courtesy WireImage.com> |
ブライアン・デ・パルマは、コロンビア大学に入学し医学を学ぶが、アルフレッド・ヒッチコックAlfred
Hitchcock監督のサスペンス映画『めまい (1958)
VERTIGO 』を見て、映画に没頭するようになった。在学中から16ミリを撮り何本か短編映画を作った。その中の1本が認められ奨学金を得て修士課程に進み『
御婚礼/ザ・ウェディング・パーティー(1969年)The
Wedding Party 』で監督デビューするが、すぐには公開されず、1968年の『
マーダー・ア・ラ・モッド(原題) (1968年) Murder
a la Mod 』が実質上のデビュー作となる。卒業後はドキュメンタリー映画を何本か演出、68年にデ・ニーロらと作った『
ロバート・デ・ニーロの ブルーマンハッタン/BLUE MANHATTAN
II・黄昏のニューヨーク』が翌年のベルリン映画祭で銀熊賞を受賞した。これまで7つの独立系プロダクション会社を経て、73年の『
悪魔のシスター(1973年)Sisters 』が話題になり、76年の『
キャリー(1976年)Carrie 』の大ヒットでスター監督の仲間入りを果たす。 低予算でいい映画を作るという新進監督として求められるに充分な実力を発揮し、ヒッチコックを意識した演出やストーリー展開が、デ・パルマ監督の特徴となった。彼の『 殺しのドレス(1980年)Dressed to Kill 』はヒッチコックの『 サイコ (1960) PSYCHO 』へのオマージュ的作品と言われている。彼が“hitchcochian”(「ヒッチコキアン」=「ヒッチコックまがいの」「ヒッチコック真似師」という意味か)と呼ばれた所以はこの辺りにある。確かに彼の初期の作品にはヒッチコック作品の模倣、流用が多数あると思う。面白いことに、彼のもっとも有名な映画手法上でののぞき趣味や性倒錯者の好みは、彼の少年時代の両親の離婚が下地になっている。彼の母が父の不実を咎めるのを見て、それを証明するために録音機を持って自分で父親を付けて行ったというエピソードがあるらしい。 のちに彼は「ヒッチコキアン」から脱皮するため、ストップ・モーション、スロー・モーション、長回しなど、当時では新しい撮影テクニックを使って、血とエロスと暴力の世界を、巧みな色使いでスタイリッシュな映像を作っていった。そして映像の魔術師という得がたい評価も獲得した。しかし彼の傑作や代表作と見做されている作品の殆どは70年代に集中して、幸の生まれているかいないかの時代のものだ。IMDbのリストを調査してみると、以下にリストアップしてあるように、彼は短編長編35本の作品を手掛け、サスペンスだけに限らず、『 アンタッチャブル(1987年)The Untouchables 』、『 ミッション・インポッシブル(1996年)Mission Impossible 』などアクション大作も手掛け話題を提供してきたが、何とブルース・スプリングスティーンのミュージックビデオ(27)(34)の監督もしているとは知らなかった。彼はブルース・スプリングスティーンの友達かファンなのだろうか。 印 は、IMDbの映画データに。『ミッション・トゥ・マーズ(2000年)Mission to Mars』、と『Femme Fatale(2002)』は幸のレヴューにリンクしています。 (01)Icarus (1960) (02)660124: The Story of an IBM Card (1961) (03)Wotan's Wake(1962年) (04)Jennifer (1964) (05)Bridge That Gap (1965) (06)Show Me a Strong Town and I'll Show You a Strong Bank (1966年) (07)The Responsive Eye (1966年) (08)ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATTAN II・黄昏のニューヨーク(V) グリーティングス(衛星)青春のマンハッタン(DVD題)(1968年)Greetings (09)Murder a la Mod (1968年) (10)御婚礼/ザ・ウェディング・パーティー(1969年)The Wedding Party (11)Dionysus (1969年) (12)ロバート・デ・ニーロの ブルーマンハッタン/BLUE MANHATTAN I・哀愁の摩天楼(V)(1970年)Hi,Mom!/Confession of a Peeping John/Blue Manhattan (13)Get to Know Your Rabbit (1972年) (14)悪魔のシスター(1973年)Sisters (15)ファントム・オブ・パラダイス(1974年)Phantom of the Paradise (16)キャリー(1976年)Carrie (17)愛のメモリー(1976年)Obsession (18)フューリー(1978年)The Fury (19)悪夢のファミリー(1979年)Home Movies/The Maestro (20)殺しのドレス(1980年)Dressed to Kill (21)ミッドナイトクロス(1981年)Blow Out (22)スカーフェイス(1983年)Scarface (23)ボディ・ダブル(1984年)Body Double (24)Wise Guys (1986年) (25)アンタッチャブル(1987年)The Untouchables (26)カジュアリティーズ(1989年)Casualties of War (27)Bruce Springsteen: Video Anthology 1978-1988 (1989) (V) (clip "Dancing in the Dark") (28)虚栄のかがり火(1990年)The Bonfire of Vanities (29)レイジング・ケイン(1992年)Raising Cain (30)カリートの道(1993年)Carlito's Way (31)ミッション・インポッシブル(1996年)Mission Impossible (32)スネーク・アイズ(1998年)Snake Eyes (33)ミッション・トゥ・マーズ(2000年)Mission to Mars (34)Bruce Springsteen: The Complete Video Anthology 1978-2000 (2001) (V) (35)Femme Fatale(2002) ※データは、IMDb と allcinemaONLINE で調査し、幸が編集しました。 デ・パルマ監督=「ヒッチコックの再来」「現代サスペンス映画の第一人者」という評価など受け入れられないアンチパルマ派からの酷評を翻す程の秀作が、最近のデ・パルマ監督には無いという話を聞くとすこし寂しい。しかし彼の新作『 Femme Fatale(2002) 』は結構期待されていた。「Femme Fatale」は2002年5月25日、カンヌ国際映画祭で、ワールド・プレミアとして公式上映され、特別招待作品の最後を飾ったようだ。主演女優のレベッカ・ローミン=ステイモスやアントニオ・バンデラスも奥さんのメラニー・グリフィスと一緒に顔を出したらしい。 アメリカでは、「Femme Fatale」の仏題のままで2002年11月8日に公開。しかし、全米での興行成績があまりふるわず、公開2週目で早くもベストテンから姿を消してしまったようだ。因みに、この映画の製作国はフランスで、日本では2003年の夏公開予定となっているが、正確な公開日は未定。(「Femme Fataleファム・ファタール」は、「femme:女、fatale:致命的な、運命的な」で「運命の女」と和訳できるが、リチャード・ギアとダイアン・レインの『 運命の女(2002)UNFAITHFUL 』ではない。) 彼の映像スタイルとテクニックは世界の誰もが認めている。世界のファンは、彼に更に映像の新境地を開拓してもらいたいと願っているのかも知れない。これは彼が優秀であるが故に背負わなければならない宿命とすれば、それはとても難しくて厳しいことだ。彼もそのことに悩んでいるのかも知れない。実際に、「Femme Fatale」については、どこかで見たような使い古しだとか、ストーリーラインがしっかりしていないとか、過去の映像技術に拘っているとか、ミスキャストだとか、最後のシーンの繰り返しは陳腐で無駄だとか、海外では言いたい放題の酷評も聞こえてくる中、この「Femme Fatale」(アメリカでのレヴューでは“FF”と省略)は日本でヒットすれば良いと思うが、もしヒットしないことがあるとすれば、この映画では脚本もデ・パルマ監督が担当していることに原因があるかもしれない。 ブライアン・デ・パルマ監督には、幸のような素人が失礼なことを言って恐縮だが、雇われ監督としての作品は消化作品で、過去の当たった手法やテクニックを流用して力を温存するというか、目一杯の力で作ったのではないのかもしれない。しかし、彼が原作や脚本を書いた作品は、初期のものは観客を納得させ、彼の脚本家としての実力を世間にある程度評価させることができた思う。さらに、彼の作品で高い評価を得た作品は全て経験と実力のある有名な人が原作や脚本を受け持っていることは事実だ。 原作や脚本では、例えば『 キャリー(1976年)Carrie 』の原作はスティーヴン・キングStephen King、『愛のメモリー(1976年)Obsession 』の脚本はポール・シュレイダーPaul Schrader、『 スカーフェイス(1983年)Scarface 』の脚本はオリヴァー・ストーンOliver Stone、『 ミッション・インポッシブル(1996年)Mission Impossible 』の脚本はロバート・タウンRobert Towne、『 アンタッチャブル(1987年)The Untouchables 』の脚本はデヴィッド・マメットDavid Mametは欠かせない。そして音楽はバーナード・ハーマンBernard Herrmann、エンニオ・モリコーネEnnio Morriconeや坂本龍一Sakamoto Ryuichiも担当しているが、なんと言ってもデ・パルマ映画の音楽はピノ・ドナッジオPino Donaggioが代表格だ。彼らはデ・パルマ監督の映像テクニックを重視する監督としての能力を根本的なところで支えていたのだと思う。 どんな天才的な監督や巨匠と言われた人でもその周りには必ず信頼できる有能な人がいるものだ。彼に対する批評は彼に耳には聞こえていない筈は無いと思う。幸は彼の長編25本ばかりの映画は全部は観てはいないが、有名な映画は大概ヴィデオやDVDで観ている。勿論最新の「Femme Fatale」も幸は観てある。近いうちにレヴューしてアップするが、映画大好き何でもOKな幸には、幸なりに充分楽しめた。映像の魔術師・ブライアン・デ・パルマ監督には、これからも元気で、じっくりといい映画を作って楽しませて欲しいと願っている。 最後にIMDbで調べた余談だが、彼は3回結婚しているが何れも破局している。キャリー(1976年)出演のセクシー金髪アイドルのナンシー・アレン と1979年結婚、彼女を自分の映画の何本かに起用するも、1983年離婚。1991年ゲイル・アン・ハード Gale Anne Hurd と再婚し、長女ロリータ Lolitaをもうけるが離婚。1995年ダーネル・デ・パルマ Darnell De Palmaと3度目の結婚、次女パイパー・デ・パルマ Piper De Palmaをもうけるが1997年に離婚している。アメリカの映画関係者をIMDbで調べるたびに思うのだが、離婚している人が多いのには本当に驚く。 以上。 |
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Text by Sati Coda |
coda21「映画の森てんこ森」幸田幸。 | |||||||
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