おとなしいアメリカ人
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 シャイな幸の独り言
The Quiet American/おとなしいアメリカ人/静かなアメリカ人
映画「THE QUIET AMERICAN」の邦題は「静かなアメリカ人」?
2004年01月02日金曜日 「シャイな幸の独り言」トップへ
 映画『 ザ・クワイエット・アメリカン (原題) (2002) THE QUIET AMERICAN 』について少し感じたことを書く。年末に読者の方から、映画『 ザ・クワイエット・アメリカン (原題) (2002) THE QUIET AMERICAN 』の邦題についてメールを頂いたことが切っ掛けだ。

 私の解説は2003年06月04日の時点で以下のように書いた。< 1952 年、舞台はベトナムのサイゴン。アオザイに身を包むうら若きベトナム女性をめぐって三角関係に陥る英米の男性二人。一人はロンドン・タイムズ派遣員の初老の英国人トーマス・ファウラー(マイケル・ケイン)。もう一人は米国からの医療物資調査員とは表の顔で、実はCIAらしき、若きオルデン・パイル(ブレンダン・フレイザー)。
 グレアム・グリーン Graham Greene 原作の同題小説 (邦題「おとなしいアメリカ人」) の2回目の映画化。初回の映画化『 静かなアメリカ人 (1958) 』は内容を変更しているので、今回の映画の方が原作に忠実だそうだ。国の違う男女の三角関係だけでなく、フランス領の色の残るベトナム、共産党の攻勢と北・南の分裂、そこに介入してくるアメリカ合衆国。こうした歴史的背景を人間関係と並行して織り込んでストーリーは進む。ベトナム戦争で失敗し、同時多発テロを被り、イラク戦争に突入間近ということで、米国では封切りのタイミングが思慮された作品だ。『 ボーン・コレクター (1999) THE BONE COLLECTOR 』等のハリウッドのメジャー路線を行くフィリップ・ノイス監督だが、これはインディペンデント系の映画として陰ながら話題を集めている。 >
The Quiet American/おとなしいアメリカ人/静かなアメリカ人 image01
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 この映画『 ザ・クワイエット・アメリカン (原題) (2002) THE QUIET AMERICAN 』は、グレアム・グリーン Graham Greene 原作の書籍「The Quiet American(1955)」は、日本では「おとなしいアメリカ人」と邦題が付けられ、
田中西二郎訳 早川書房 1956
田中西二郎訳 早川書房(グレアム・グリーン選集12) 1960
田中西二郎訳 早川書房(グレアム・グリーン全集14) 1979
の翻訳本がある。
 映画では約45年前の邦題が「静かなアメリカ人」The Quiet American, 1958(米) 、監督・脚本:ジョセフ・L・マンキウィッツ、出演:オーディ・マーフィ Audie Murphy、マイケル・レッドグレーヴ Michael Redgrave である。
 現時点(2004年01月02日)で映画『 ザ・クワイエット・アメリカン (原題) (2002) THE QUIET AMERICAN 』の邦題については、私はどういうものなのか確認出来ていない。
 一作目の映画『 静かなアメリカ人 (1958) THE QUIET AMERICAN 』については、上映時間 120 分、 製作国はアメリカで、公開情報 松竹=UAで 1958年06月に公開というデータが allcinema さんから得られる。

 『 THE QUIET AMERICAN 』の書籍のタイトルが「おとなしいアメリカ人」で、映画が「静かなアメリカ人」というのはややこしいが、タイトルの商標権などの問題でそうなっているのだろうか?そうすると、今回の映画『 ザ・クワイエット・アメリカン (原題) (2002) THE QUIET AMERICAN 』は製作国がアメリカ・ドイツ・オーストラリアで、全米配給会社が Buena Vista International と Miramax Films なので、タイトルについてはどうなるか何とも言えない。

 まあ、タイトルのことはこのくらいにして、この映画の持っている意味について少し書く。
 アメリカでは、映画は得てして大衆扇動用のプロパガンダ・ツールとして利用しているというフシがある。歴史的にみても、ハリウッドがその役割を果たしていることは否めない。しかし、ハリウッドの知識人にも色々な人がいる。映画『 ターミネーター3 (2003) TERMINATOR 3: RISE OF THE MACHINES 』のアーノルド・シュワルツェネッガー Arnold Schwarzenegger がカリフォルニア州知事選をした時でも、賛成反対のそれぞれの立場をはっきりと表明した俳優たちも多い。今回のイラク戦争に対してもアメリカそのものに批判的であったり、戦争反対を訴えて、アメリカに警鐘を鳴らし続けている人も沢山いる。

 この映画『 ザ・クワイエット・アメリカン (原題) (2002) THE QUIET AMERICAN 』は、アメリカの善を他の国に性急に押し付けるところに、「チョット待ってよアメリカ君!少しおとなしくしていたら...。」というスタンスから出来上がっているのではないだろうか?

 アメリカは学校のクラスのボスでもあり世界の警察官でもあり続けなければならないと考えるアメリカ人に、疲れが出てきているのではないかと思う時がある。
 激動の20世紀は戦争で幕を開け、第一次世界大戦でアメリカ経済は急激に伸びた。ヨーロッパで戦火が広がっても淡々と武器を製造して売った。アメリカは戦争にタイミングよく参加することで国力を付けて、イギリス・フランスと共に世界の大国となっていった。第二次世界大戦でドイツ・イタリア・日本に勝利した後、敗戦国日本にはアメリカ人の理想とする絶対的価値観「自由」と「平等」を日本国憲法という形で「民主主義」思想の種を蒔いた。日本人はアメリカを親・教師・兄・先輩のように尊敬し慕い、勤勉に行儀正しく従い後について走った。アメリカは善意で日本の「民主主義」を完成させようとしたのかも知れない。その一方でアメリカは、アメリカ国内に世界に共産主義の心が蔓延するのを恐れた。ロシア・中国・北朝鮮・キューバ・ベトナムなどに目配りしながら、理想の自由主義・資本主義・民主主義を全うして国が豊かにならなければならなかった。こう考えるとアメリカ人は「静かにおとなしく」していられないよね。当時の東西の対立は「冷たい戦争」と呼ばれ、CIAが大いに活躍していた時代だ。

 長引くベトナム戦争とゲリラ戦に、豊かなアメリカは疲弊した。実質的に強いアメリカはベトナム撤兵で地に落ちた。そんな中、教え子日本が高度成長を遂げ、アメリカを抜いて経済大国になった。アメリカは既にベトナム相手に学習したはずだ。映画『 ザ・クワイエット・アメリカン (原題) (2002) THE QUIET AMERICAN 』のエンディングシーンは、新聞のヘッドラインが順に映し出されていく。「フランス軍はベトナムから撤退」「フランス・ベトナム間の葛藤は終結近し」「分断されたベトナムで共産党が北を支配」「共産党リーダーはベトナム統合へ戦争を宣言」「米国は南ベトナムへの軍事支援を増強」「米国は北ベトナムへ空爆開始」「地上班がベトナムで開始、 184,300 人の軍勢」「 498,000 人の米国軍隊が在ベトナム。ジョンソン大統領は共産主義者との戦いを補強」(以上、仏語及び英語の訳は幸田幸によります。) ラストは戦場で目を負傷して倒れている米兵の目のズームインで終幕する。

 アメリカは、世界平和を揺るがす大量破壊兵器捜索とイラク人の解放という大義名分からフセイン政権打倒のためイラク戦争を始めた。国連やフランス・ドイツ・中国・ロシアは異を唱え、世界の足並みが揃わなかった。石油の利権が見え隠れしているからだ。先の第二次世界大戦後の日本の処理について、アメリカの思惑はほぼ実現して予想以上に成功した。当時の敗戦日本人は口下手で自分の主義主張を全面的に出さない控えめな国民なので、アメリカ首脳陣はこの偉業を本音では驚いていたのではないかと、幸は思っている。

 アメリカは、日本進駐して日本を指導して現在のような豊かな国にできたことを成功例の一つで、このやり方が世界に通用すると勘違いしてはならない。もし当時の日本が今の日本なら、成功しなかったかも知れない。今の日本人は敗戦後の日本人より情報量が多く雄弁だからだ。それと同じようにイラクでも、TV放映される銃を所持したイラク人が「戦争や武器や兵隊は要らない、水や電気のインフラを整備してくれ!」と訴える。

 己の確信する善意または正義を持った国家の行動が、多くの人命を犠牲にするということは、時としてアメリカ自身も知らないのかもしれない。映画『 ザ・クワイエット・アメリカン (原題) (2002) THE QUIET AMERICAN 』では多分CIAの工作員であるパイル Pyle(ブレンダン・フレイザー Brendan Fraser)は、独り善がりのアメリカの象徴として描かれている。それはある時点でアメリカと利害が一致した第三勢力に「民主主義」の実行を遂行させる。そう、ちょうどアメリカにとってイランが目障りな時、サダム=フセインを援助したように。そして多くの悲劇が生まれてくる。不運にもパイル Pyle自身にも悲劇の結末が待っている。イギリス人ファウラー Fowler(マイケル・ケイン Michael Caine)の有名なコメント "I never knew a man who had better motives for all the trouble he caused."=”これほどの善意からこれほどの問題を引き起こす人間を、僕は知らない” というアメリカ人への描写は、言い当てている気がする。また、それを冷静に見つめるイギリス人の象徴は、イラン戦争においてはイギリスではないのが皮肉だ。

 21世紀になって4年目。未だに世界には戦争や紛争が続いている。大学生ならもう四回生で卒業だ。もうそろそろ大人になってドタバタ、ジタバタするのを止める年頃だろう。もし、グレアム・グリーン Graham Greene 氏が生存していらっしゃれば、現在のアメリカの行動に"Be quiet!" または "Boys, be quiet Americans!"と仰るのでしょうか?


【参考資料】
 グレアム・グリーン Henry Graham Greene
 1904年10月02日バーカムステッド(Berkhamsted, Hertfordshire, England, UK)生まれ。1929年『もう1人の自分』(The Man Within)で作家デビュー。代表作は『スタンブール特急』(1932) Rumour At NightfallStamboul Train (Orient Express)、『ブライトン・ロック』Brighton Rock (1938)、『権力と栄光』 The Power And the Glory (1940)、『ヒューマン・ファクター』 The Human Factor (1978)など。彼の作家としての作品は映画やTVでも数多く映画化されている(詳しくはこちら)。1991年04月03日スイスのコルソー・シュール・ヴェヴェイで死去。

※このページのトップのタイトルイメージは、以下のサイトより参照し、一部加工・編集しています。 http://www.bacfilms.com/site/quiet/#

Text by Sati
coda21「映画の森てんこ森」幸田幸。
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