ピンク・レディー@映画の森てんこ森

【恭子の動画映像ブログ】 2011年4月8日(金)公開予定
今日のB級グルメ&エコライフ・・・映像・画像・レシピ
※この欄のイラストは「NOM's FOODS iLLUSTRATED」さまより使用許諾を得ています。(c)映画の森てんこ森/F・恭子
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【ピンク・レディー】Pink Lady

■ピンク・レディーの略歴
映画の森てんこ森のピンク・レディー動画映像ピンク・レディーのシングル全22曲を1曲ずつ〔YouTube動画高画質で紹介〕
■ピンク・レディーのシングル全22曲メドレー〔YouTube動画高画質12:10〕
■ピンク・レディーの 「幻のサウスポー」秘話〔YouTube動画高画質10:06〕
■ピンク・レディ−の「サクセス・ストリ−」完全版〔YouTube高画質34:18〕
□ピンク・レディーの出会いとデビュー秘話
□ピンク・レディーの絶頂期
□ピンク・レディーのアメリカ進出、そしてデュエットの終焉
■ピンク・レディーの再結成
■ピンク・レディーの再結成後
■ピンク・レディーの3度目の再結成時
■ピンク・レディーの4度目の再結成時
映画の森てんこ森のピンク・レディー動画映像ピンク・レディー・メドレー(1970年代)〔YouTube動画高画質7:00〕
■ピンク・レディーのメドレー(1996)〔YouTube動画高画質9:29〕
■ピンク・レディーのメドレー(1999年12月暮れ)〔YouTube動画高画質10:53〕
■ピンク・レディーのメドレー(2004)〔YouTube動画高画質6:03〕
■ピンク・レディーのアルバム
■ピンク・レディーのDVD
■ピンク・レディーのDVD BOOK
■ピンク・レディーのテレビ作品
■ピンク・レディーのCM
■ピンク・レディーの映画


ピンク・レディー
ピンク・レディー画像

@映画の森てんこ森

▼クリックでYouTube動画見れます。
ピンク・レディー
Movie Courtesy of 5yamabiko
画像クリックでピンク・レディーの楽曲『OH!』YouTube動画へ


ピンク・レディー

 今日のタイトルは「ピンク・レディー」です。
 上の「ピンク・レディー」の画像をクリックすると、YouTube動画ピンク・レディー<2005年ピンク・レディー・メモリアル・コンサートの『OH!』とグランド・フィナーレ>が見れます。2011年現時点ではこのときのピンク・レディーは御年46歳!練習と鍛錬を積んだ歌と踊り・・・このピンク・レディーもメチャカッコイイです!

■ピンク・レディーの略歴
 ピンク・レディー(Pink Lady)は、1970年代後半に活躍したデュエットのアイドル。ミー(現:未唯mie、本名:根本美鶴代、1958年3月9日 - 、A型、静岡県静岡市葵区出身)とケイ(現:増田恵子、本名:桑木啓子(旧姓:増田)、1957年9月2日 - 、O型、静岡県静岡市葵区出身)の2人組。ピンク・レディーの多くの楽曲は阿久悠(作詞)・都倉俊一(作曲)のコンビが手がけた。※「ピンク・レディー - Wikipedia」引用

 ピンク・レディーの人気は、1977年〜1978年の約2年間が絶頂期だったと言える。デビュー・シングル「ペッパー警部」のスマッシュ・ヒットのあと、「S・O・S」でピンクレディー人気に火がついた。その後「カルメン'77」のヒットに続き、「渚のシンドバッド」で頂点を迎えた。さらに「ウォンテッド (指名手配)」も大ヒットとなり、続く「UFO」でポップ・アイドルとして初めて日本レコード大賞を受賞する。これは日本歌謡界における“革命”であった。そして「サウスポー」「モンスター」の2曲も大ヒット、オリコンでミリオンセラーを記録した。※「ピンク・レディー - Wikipedia」引用

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 以下はピンク・レディー(Pink Lady)のシングルのリストです。リンクはYouTube「ピンク・レディー」動画サイトで高画質な作品を紹介しています。中には若干画像傷んでいるものもあるようですが、どれも貴重なコンテンツばかりで、ここに各ユーザーさまに敬意と感謝いたします。以下のテキストは「ピンク・レディー - Wikipedia」引用して編集しています。

【ピンク・レディーのシングル】

ピンク・レディー シングル#01 『ペッパー警部』(1976/8/25)
 ピンク・レディーの1枚目のシングルである。ピンク・レディーは、シングル「ペッパー警部」でデビュー。ピンク・レディーのダンスで大胆に股を開く振り付けは土居甫(どい はじめ)が担当し、当初は下品とマスコミ関係者に不評であった。
 ※HDD1080ピンク・レディ『ペッパー警部』

ピンク・レディー シングル#02 『S・O・S』(1976/11/25)
 ピンク・レディーの2枚目のシングルである。ピンク・レディーにとって初のオリコン1位獲得作品である。売上枚数は約65万枚(オリコン)、120万枚(ビクター)。2010年には、井筒和幸監督の日本映画『ヒーローショー』のエンディングテーマに使用された。

ピンク・レディー シングル#03 『カルメン'77』(1977/3/10)
 ピンク・レディーの3枚目のシングルである。売上枚数は約66万枚(オリコン)、110万枚(ビクター)。この曲あたりからピンク・レディーならではの激しい振り付けが増えてゆき、さらなるインパクトがつけられた。

ピンク・レディー シングル#04 『渚のシンドバッド』(1977/6/10)
 ピンク・レディーの4枚目のシングルである。ピンク・レディー初のオリコンチャートにおけるミリオンヒット。計8週に渡り1位を獲得。145万枚の売上でデビュー曲以降3作連続でミリオンセラーを記録し、この後も「カメレオン・アーミー」まで、ピンク・レディーは、通算9作連続でミリオンセラーを記録した。

ピンク・レディー シングル#05 『ウォンテッド (指名手配)』(1977/9/5)
 ピンク・レディーの5枚目のシングルである。通常は単に「ウォンテッド」と呼ばれる。売り上げ枚数は約120万枚(オリコン)、165万枚(ビクター)。簡単な振り付けが子供たちの間に広まり、振り付けの真似がはやるきっかけとなる。オリコンチャートでは「渚のシンドバッド」から連続して1位を獲得し続け、この曲だけで12週連続1位を獲得。

ピンク・レディー シングル#06 『UFO』(1977/12/5)
 ピンク・レディーの6枚目のシングルである。ピンク・レディー最大のヒット曲(オリコン枚数、出荷枚数共に)。ピンク・レディーの代表曲のひとつとなった。売上枚数は約155万枚 (オリコン)、195万枚(ビクター)。オリコンチャートでは10週連続1位を獲得。

ピンク・レディー シングル#07 『サウスポー』(1978/3/25)
 ピンク・レディーの7枚目のシングル。ピンク・レディーの代表曲のひとつである。売上枚数は約146万枚 (オリコン)、180万枚(ビクター)。歌詞中には同時代のスターであった王貞治をイメージした打者が登場する。

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ピンク・レディー シングル#08 『モンスター』(1978/6/25)
 ピンク・レディーの8枚目のシングルである。売上枚数は約110万枚 (オリコン)、160万枚(ビクター)。出だしから「ワハハハ…」という不気味な悪魔の声に、二人が「キャー!」と叫ぶイントロが話題に。

ピンク・レディー シングル#09 『透明人間』(1978/9/5)
 ピンク・レディーの9枚目のシングル。予約枚数が60万枚を記録。ピンク・レディー この『透明人間』の曲では通算4週オリコンチャート1位の座を獲得したが、オリコン上でのミリオンセールスは達成できなかった。売上枚数は約88万枚(オリコン)、115万枚(ビクター)。

ピンク・レディー シングル#10 『カメレオン・アーミー』(1978/12/5)
 ピンク・レディーの10枚目のシングル。オリコンにおいて、初登場88位→翌週1位という珍記録を達成。正式な発売日以前にフライング発売された分がオリコンに集計されたため。 売上枚数は約70万枚 (オリコン)、125万枚(ビクター)。ピンク・レディー(ミーやケイ本人達)の談によると「ピンク・レディーの全曲中、最も振付けの激しい曲」との事。

ピンク・レディー シングル#11 『ジパング』(1979/3/9)
 ピンク・レディーの11枚目のシングル。デビュー曲以来続いた出荷枚数の連続100万枚突破記録、「S・O・S」以来続いたオリコン連続1位記録が途切れるが、総シングルレコードの売上合計枚数が1000万枚を突破した。これもオリコン史上初となる快挙であった。 ピンク・レディーは、これ以降発表したシングルでも1位の座は獲得できなかった。 ピンク・レディーのデビューシングル以来続いた出荷枚数100万枚突破の記録が、本作で途絶えた。売上枚数は約26万枚 (オリコン)、90万枚(ビクター)。

★ピンク・レディー シングル#12 『ピンク・タイフーン (In The Navy)』(1979/5/1)
 ピンク・レディーの12枚目のシングル。ヴィレッジ・ピープルの「In The Navy」をカヴァー。単に「ピンク・タイフーン」とも呼ばれる。売上枚数は約29万枚 (オリコン)、70万枚(ビクター)。※サウスポー&ピンク・タイフーン

ピンク・レディー シングル#13 『波乗りパイレーツ』(1979/7/5)
 ピンク・レディーの13枚目のシングル。B面の「USA吹込盤」は、ビーチ・ボーイズがコーラスに参加。 オリコンランキング、及びTBS「ザ・ベストテン」と共に、ピンク・レディーの歌唱する曲が10位以内にランクされるのは、これが最後となった。売上枚数は約24万枚(オリコン)、55万枚(ビクター)。

ピンク・レディー シングル#14 『KISS IN THE DARK』(1979/9/5)
 ピンク・レディーの14枚目のシングル。日本のアイドルグループ ピンク・レディーのアメリカにおけるデビューシングル。日本では4ヵ月後の同年9月5日に14枚目のシングル『キッス・イン・ザ・ダーク』として発売された。日本国内での売上枚数は約11万枚 (オリコン)、35万枚(ビクター)。オリコンチャートの最高位は19位。全米ビルボード ホット100の最高位は37位で、日本人の曲としては1963年の坂本九の『Sukiyaki』(『上を向いて歩こう』)以来のトップ40内に入る曲となった(トップ40内に入った日本人の曲は2010年秋現在に至るまでこの2曲のみである)。

ピンク・レディー シングル#15 『マンデー・モナリザ・クラブ』(1979/9/9)
 ピンク・レディーの15枚目のシングル。阿久悠・都倉俊一のコンビが「そろそろ、子どものお客を無視した、ミーとケイ、ふたりのための曲を作ろう」と話し合った上で作りあげた、ピンク・レディーのミーとケイにとっても「こういう曲を、私たちはずっと歌いたかった」という感慨があり、とりわけ思い入れの深い1曲となった。ピンク・レディーのアダルトな魅力にあふれた楽曲。売上枚数は約11万枚 (オリコン)、45万枚(ビクター)。※〔HD 1080p〕 マンデー・モナリザ・クラブ ピンク・レディー

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ピンク・レディー シングル#16 『DO YOUR BEST』(1979/12/5)
 ピンク・レディーの16枚目のシングル。1980年のモスクワオリンピックに出場予定だった日本選手を応援するため、「がんばれ! ニッポン募金 Do your best!」というキャッチフレーズでピンク・レディーが選手強化募金を呼びかけた曲。その後政治的理由により、アメリカに続き日本もモスクワオリンピックをボイコットし、強化募金呼びかけは消滅。売上枚数は約5万枚 (オリコン)、30万枚(ビクター)。

ピンク・レディー シングル#17 『愛・GIRI GIRI』(1980/3/5)
 ピンク・レディーの17枚目のシングル。発売当時、ピンク・レディーはアメリカで活動中だったため、テレビでほとんど歌われなかった曲。テレビ番組で当時歌われた時は、ピンク・レディーは振付なしの直立不動状態で歌っていた。売上枚数は約1.7万枚 (オリコン)、20万枚(ビクター)。

ピンク・レディー シングル#18 『世界英雄史』(1980/5/21)
 ピンク・レディーの18枚目のシングルで、日本帰国後のシングル。歴史上の著名な世界各国の英雄たちが曲中に登場する。売上枚数は約1.7万枚 (オリコン)、15万枚(ビクター)。当時解散説が流れたが、ピンク・レディー2人と事務所は完全否定していた。

ピンク・レディー シングル#19 『うたかた』(1980/9/21)
 アメリカで発売したアルバム『ピンク・レディー・イン・USA』収録曲「Strangers When We Kiss」の日本語バージョン。1980年9月1日に解散記者会見が行われ、その後解散までにシングル4枚発表されたうちの最初のシングルである。ピンク・レディーコンサートツアー「さよならコンサート」の最中にリリースされた。歌詞もサウンドもセクシーな雰囲気で、ピンク・レディー後期ナンバーの中でも人気が高い。売上枚数は約4万枚(オリコン)、25万枚(ビクター)。

ピンク・レディー シングル#20 『リメンバー (フェーム)』(1980/12/5)
 ピンク・レディーの20枚目のシングル。後に映画『フラッシュダンス』の主題歌を大ヒットさせるアイリーン・キャラが歌った、映画『フェーム』の主題歌を日本語でカバーしたもの。売上枚数は約1万枚(オリコン)、10万枚(ビクター)。

★ピンク・レディー シングル#21 『Last Pretender』(1981/1/21)
 発表当時からテレビで歌われたことが一度も無く、2005年5月27日に行われた『グランドフィナーレ MEMORIAL CONCERT SPECIAL』の最中に、コンサートの中で歌っていないシングル曲があるが、歌うことを封印したことが告げられ、実際に最後まで歌われることは無かった。よって振り付けなどは不明。売上枚数は約8千枚(オリコン)、10万枚(ビクター)。

ピンク・レディー シングル#22 『OH!』(1981/3/5)
 ピンク・レディーの22枚目のシングルにしてラストシングル。売上枚数は約2.8万枚(オリコン)、20万枚(ビクター)。この曲を以ってピンク・レディーは、約4年7か月の活動に一旦終止符を打つ。1981年3月31日ピンク・レディーは一時解散した。
 ピンク・レディーの『OH!』って聞けば聴くほどとってもいい曲です。デビューから現在に繋がる一時代のヒロイン・ピンク・レディーのすばらしい楽曲のように感じます。

以上。各Youtubeサイトにリンクさせていただきありがとうございます。
ピンク・レディー - Wikipedia
ピンク・レディー オフィシャル・サイト<http://pinklady2011.com>

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