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マレーナ MALENA 【解説】 「ニュー・シネマ・パラダイス」( 1989 )「海の上のピアニスト」( 1999 )のイタリア人監督ジョゼッペ・トルナトーレの 2000 年作品。 第二次世界大戦期のイタリア・シチリア島を舞台に、少年レナート(ジュゼッペ・スルファーロ)の年上の美しい人妻マレーナ(モニカ・ベルッチ)への切ない恋心を描く。レナートは彼女と口をきくこともできないが、彼女を見つめ続ける事で、大人の世界を知って行く。マレーナの人生は戦争の深刻化と共に悲劇と化していく…。 ムッソリーニに傾倒せず、夢想に悩まされる息子を娼館に連れて行くなど、型破りな父親の存在がよかった。<イタリアの宝石>と呼ばれ国際的なモデルとして活躍した経験のあるモニカ・ベルッチ[夫はフランス人俳優ヴァンサン・カッセル]は、さすがに美しかった。その美しさの分、余計に悲しさが増した。レナート少年を演じ、この映画がデビュー作となる、ジュゼッペ・スルファーロは 2000 人の少年の中から選ばれたにもかかわらず、撮影が終わった今は、普通の高校生に戻っているらしい。 |
【スタッフとキャスト】 監督: ジュゼッペ・トルナトーレ Giuseppe Tornatore 製作: ハーヴェイ・ウェインスタイン Harvey Weinstein カルロ・ベルナスコーニ Carlo Bernasconi 原案: ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ Luciano Vicenzoni 脚本: ジュゼッペ・トルナトーレ Giuseppe Tornatore 撮影: ラホス・コルタイ Lajos Koltai 音楽: エンニオ・モリコーネ Ennio Morricone 出演: モニカ・ベルッチ Monica Bellucci マレーナ ジュゼッペ・スルファーロ Giuseppe Sulfaro レナート ルチアーノ・フェデリコ Luciano Federico レナートの父 マティルデ・ピアナ Matilde Piana レナートの母 <もっと詳しく> 1940 年春、イタリア・シチリア島の漁村カステルクト。僕レナート(ジュゼッペ・スルファーロ)は 12 歳半だった。ムッソリーニ政権に心酔していなかった父(ルチアーノ・フェデリコ)は、町が参戦に湧くのに加わらずに、僕に自転車を買ってくれた。イタリアは、少年たちに遊びで殺される蟻のようなものだった。これから起こる不幸に何も気付いていない。 自転車は中古だったけれど、これで僕も年上の奴らと遊ぶことができると、とても嬉しかった。僕は風を切って自転車で町を走った。「出てきた!」僕の年上の仲間が叫ぶ。僕は初めて彼女を見た。美しい顔、流れるような黒髪、高いヒールで優雅に歩くその姿、彼女の無垢さを表すような白いワンピース、そのワンピースの下の太ももにはガーターベルト。未だ半ズボンをはく少年の僕には彼女の存在そのものが衝撃だった。彼女の名はマレーナ・スコルディーア(モニカ・ベルッチ)。ラテン語のボンシニョーレ先生の娘で、既に結婚をしていたが、夫は結婚後2週間で出征し、海辺の家で独り住んでいた。 彼女を見て僕はもっと早く大人になりたいと思った。半ズボンなんて恥ずかしい。長ズボンがはきたい。父のズボンを勝手に仕立て屋に持っていき、サイズ直しをしてもらおうとしたが、父にそのことが知れ、折檻される。ムッソリーニの頭が半分に割れたら、長ズボンをはかせてもらえる。それが父の出した結論だ。 彼女を見たい。夜、僕は家を出て、マレーナの海辺の家に向かった。覗き穴から見える、黒いスリップを着た美しい彼女の姿。彼女は夫の写真を胸に抱き、レコードの音楽に合わせてまるで二人で踊っているようにステップを踏み始めた。彼女は夫の帰りを心待ちにしているのだ。スリップから垣間見える彼女の肢体に僕はドキドキした。 あのレコードが僕も欲しい。曲名が分からない僕は店員に歌って聞かせた。アリダ・ヴァリの「私の愛は」という歌らしい。その夜、僕はレコードをかけながら、彼女の幻想に心ときめかせた。次の日は海辺で彼女に渡すことのない手紙を書いた。彼女のあとを自転車で追わずにいられない日々が続く。もちろん彼女に気付かれないように。 美しいマレーナに町の男たちは好奇の目を光らせ、情夫がいるなんて下劣な噂を立てた。また、女たちは男たちの視線を釘付けにする彼女に、淫売女と嫉妬した。そんな人々の悪意のせいで、夫が出征して収入が途絶えているにもかかわらず、彼女は職に就けないでいた。噂の真相を確かめる為、定期的に町の通りを歩く彼女を僕はつけた。周りを気にして誰かの家の中に入ろうとする彼女は鍵を忘れたらしく、上の窓から男の手が鍵を彼女に落とした。何てことだ!噂は本当だったのか?はっきりさせなければならない。次のとき、僕は門をよじ登って、その男の正体を確かめた。ホッ、よかった。父親のラテン語の先生じゃないか。マレーナが悪い女でないことが証明できた。毎晩僕は彼女を思って存分に欲求不満を発散させることができた。 マレーナの夫が北アフリカで戦死したそうだ。彼の追悼式が町の広場で行われた。僕はマレーナを見るために、人ごみに加わったが、彼女は出席しなかった。そんな彼女にまた人々からの非難の声が聞こえる。皆は本当の彼女を知らない。黒い喪服を着たマレーナは、父親の家のベッドで、独り悲しみに涙していたというのに…。 未亡人となったマレーナには以前にも増して淫らな噂が広まった。少しでも彼女を町の人々の悪意から守りたい。彼女を悪く言う男のグラスには唾入りのお酒を、女のバッグにはおしっこをかけた。そして教会の聖人像にお祈りもした。「お願い、町の人からマレーナを守って。僕が大人になるまでの数年間だけ。」 夫を失い気力を無くしたかのように見えるマレーナを、僕は彼女の家の塀の陰から見つめた。そして彼女が家の中に入った隙に、庭に干してある彼女の下着を思わず盗んでしまった。その下着を頭からかぶって寝ているところを、父に見つかってしまい、また怒られた。母親は折角の下着を火につけて燃やし、トイレに流した。父は僕を部屋に閉じ込めたが、僕も負けじとハンストを行った。そして何やらブツブツ言い始めた僕を心配した家族が呼んだ医者が、新鮮な空気を吸わせるようにと診断したので、僕は解放された。 ラテン語の授業中に、先生に緊急の手紙が届けられた。たまたま先生の近くにいた僕は、その内容を盗み見ることができた。「あなたの娘マレーナは町中の男と寝ている。」先生は教室から出て行った。僕はマレーナを貶めるような発言をしたクラスメイトに殴りかかった。 その夜も僕は覗き穴からマレーナの姿をのぞきに行った。彼女の家には、町の女たちの憧れであるカデイ中尉が招かれていた。キスを交わす二人。明日も会う約束をしてカデイ中尉は家を出た。するとマレーナに気があると噂の歯科医クマジーノがやって来た。マレーナをめぐってカデイ中尉とクマジーノの間に乱闘が起こる。 次の日から町は昨夜の事件の話で持ちきりだ。マレーナはクマジーノの妻に家庭を壊そうとしたという罪で訴えられ、裁判沙汰になる。ラテン語の先生はこの騒動で学校を辞職し、マレーナを勘当した。父親を頼って家を訪ねたマレーナは、父が家に入れてくれないことを知り、悲しそうに瞼を閉じる。マレーナが頼った弁護士は、マザコンの醜男で体の臭いチェントルピだ。裁判は公正な判断で幕を閉じた。マレーナはクマジーノを誘惑していない。独身のカデイ中尉と互いに好意を抱き合ってもそれは法には触れない。しかし、この事件でアルバニアに転属させられたカデイ中尉からの冷たい手紙つきの無罪だった。チェントルピが裁判で語ったように、マレーナの唯一の罪はその美しさだ。 裁判後、弁護料が払えないマレーナは、あの気持ち悪い男チェントルピの言いなりになってしまった。でも彼女は悪くない、弁護料のためだもの。折角お祈りしたのに、くそっ!僕は聖人像の腕を折った。 戦況が悪化し、食糧難や病気の蔓延が懸念された。僕はマレーナがチェントルピのような町の嫌われ者と結婚することが理解できなかった。授業中、僕はマレーナを思いながら全く別人の女の先生に「僕と結婚すべきです」と言ってしまう始末だ。先生に怒られた僕は怒りをムッソリーニの像にぶちまけた。やった。ムッソリーニの頭が割れた。僕は約束どおりに長ズボンをはくことができるようになった。 マザコン弁護士のチェントルピがマレーナとの結婚を母親に相談したところ、町での噂がよろしくない彼女との結婚に母親は大反対。チェントルピはマレーナに別れを告げる。食糧不足の中、未亡人のマレーナはかなり食べ物に困っているようだった。もっと彼女に追い討ちをかける事件が起こる。連合軍からの空襲で、彼女の父親が瓦礫の下で亡くなったのだ。頼るべきものを全て失った彼女は決心をした。はさみで髪を切って赤く染めた彼女は、本当に娼婦になってしまった。僕は覗きながら涙を流した。さらに僕を苦しめることが。ドイツ人好みに今度は髪を金髪に染め、シチリアに駐留するようになったドイツ軍兵士の情婦となった。僕は気絶した。母はそんな僕に悪魔払いの儀式をしたが、父は僕を<男>にすれば治ると、連合軍の飛行機がやってくる中、町の娼館へ僕を連れて行った。僕は父が下の階で待っている間に、マレーナに似た女性と初めての経験をした。 ドイツ兵が去り、今度はアメリカ兵がやって来た。戦争が終わったのだ。町は凱旋するアメリカ兵を喜んで迎え、僕も嬉しさのあまり彼らのジープに乗ったりした。喜んでいられたのもつかの間だった。町の女たちは戦争責任を押し付けるかのように、ドイツ兵と関係を持っていたマレーナをリンチした。広場に引きずり出され、辱めを受けるマレーナを誰も助けようとはしなかった。彼女は列車に乗って町を去った。 戦死したはずのマレーナの夫、ニノ・スコルディーアが片腕を失って町に戻ってきた。町の人々はマレーナの悲惨な事実を彼に語ろうとはしなかった。以前と変わらずに町でデカイ顔をしている元ファシスト党員たちに彼は妻の行方を訊く。結果は悲惨だった。奴らに殴りかかって反対に倒されてしまったニノを僕は起こしてあげたが、彼の横顔は絶望していた。僕だけがマレーナの真実を知っている。そのことを彼に教えてあげたかった。マレーナがあなた只一人を愛していたことを。でも生きていく為に他に方法がなかったということを。僕は手紙を書き、彼の寝床に投げ入れた。ニノはマレーナを探すために彼女と同じように列車に乗って町を出た。 1年後、僕にはガールフレンドができた。彼女と一緒に町を歩いていたとき、信じられない光景を僕は眼にした。町の誰もが二人の姿に釘付けとなった。ニノとマレーナが腕を組んで町に戻ってきたのだ。マレーナは買い物に市場に現れた。目じりにしわができて少し太ったという彼女を女たちは好奇の目で見続けたが、かつて彼女をリンチした女が「スコルディーアさん」と声をかけた。マレーナが彼女を見つめ「こんにちは」と言い返すと、みんなが受け入れた。服を売る店の女はマレーナに上着をプレゼントした。マレーナが重そうな買い物袋を提げて、市場を出てきた。袋が破けてオレンジが転がった。僕は勇気を出した。「僕が拾います」初めて彼女に声をかけ、袋にオレンジを入れながら初めて彼女の手に触った。「お幸せに、マレーナさん」彼女は振り返って微笑んだ。 これが僕の心にいつまでも残る女性マレーナの物語。 年上の女性に恋した少年レナートの物語であるが、その背景には狂ったように戦争に突き進んでいったイタリアの姿があり、彼の恋した女性マレーナの可哀想な転落人生が、イアリアの辿った歴史と相俟って、胸を打つ。また、大人の世界に憬れて背伸びをしたい少年は、当時新興国ゆえにファシズムに走ったイタリアを連想させる。見果てぬ夢であったマレーナを手にすることはできないが、終戦間際に父の計らいで性の解放を行う少年。その姿は世界征服に夢破れるが、戦争からの解放に歓喜するイタリアの姿でもあると思う。 戦争はいじめの構造だ。強いものが弱いものを痛めつけ、またその弱いものはより弱いものを痛めつけようとする。町の人々のマレーナに対する迫害もそうである。並外れた美しさをもつマレーナに対し、男達は自分のものにならないから、女達は男達の視線をさらわれてしまうからと嫉妬し、独りぼっちの彼女を不幸に追いやっていく。可哀想なマレーナ。美しさは罪なのか。彼女の心の救いは、レナートのお陰で自分を探しに来てくれた夫の愛だけである。彼女を愛する夫は、自分の妻は何も恥ずかしいことはしていないと、彼女を連れて町に戻る。二人で腕を組み街を歩くシーンは、自分達の潔白を証明しようとする二人の心意気、夫の妻に対する深い愛情、妻の夫への信頼が感じられ、感動した。戦争は人間の本質の表れであるかもしれないが、それを回避するには、許し合うことしかないとラストの市場のシーンから思った。 以上。 <もっと詳しく>からスペースを含まず4479文字/文責:幸田幸 参考資料:「マレーナ」日本語版オフィシャルサイト allcinema ONLINE |
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