★シャイな幸の独り言
2002年8月31日土曜日
フェアレディ Z
画像は幸が撮った「フェアレディZ」の写真を合成処理したものです。「フェアレディZ」は日産自動車のホームページで。
 いそいそと父が帰ってきた。
 手には写真集らしき本を持っているように見える。
 直ぐに自分の書斎に上がっていこうとする。
 
 目が合うと、「見てきたで!カッコいいわ!これ!」とおねだりをもらった子供のように、満面笑みを浮かべて甲高い声で言う。
 見るとフェアレディZのカタログだ。カタログとは言えない立派な装丁の写真集って感じ。表紙がシルバーグレイでしゃれている。

 「車買うの?Z買うの?」思わず訊いた。
 TVコマーシャルが流れているのを見るたびに「欲しいなあ、乗って見たいな。あんなスポーツカー...。」と言っていた。彼が近くのニッサンのお店に一人で見に行ってくるとは。これは本気で欲しいと思っているのだと判った。
 父は子供っぽいところがあって欲しいと思ったら人の話を聞かない。幸は知らなかったがニッサンのお店にはレッドステージとブルーステージがあるそうだ。車種によって販売チャネルが異なるのだ。

 夕食前、昔乗っていた赤のフェアレディの話、暇な時間を見つけてはZに乗って母と、神戸、京都、奈良、琵琶湖とドライブ、特に京都の嵐山へはよく行ったなんていう話から始まって、日産の「ミスターK」こと片山豊氏の話、トヨタの国内制覇とニッサンのヨーロッパ戦略との明暗、日産の売り上げと株価の話、Zの生産中止と復活(Zの2年ぶりの復活と89年以来13年ぶりのフルモデルチェンジ)など等。
 例によって昔話と得意の雑学のまぜこぜ薀蓄を約2時間にわたって聞かされた。
 そういえば幸が子供のとき赤い車に乗せてもらった記憶がある。それがフェアレディZだったか自分ではわからない。
 ・・・。
 幸は父の話の中で、デトロイトにある「Automotive Hall of Fame 車の殿堂」入りをしている片山豊氏の話に興味を持った。
 片山氏はアメリカ国内では知名度は非常に高く、「ダットサン Z カーの父」として知る人ぞ知る。アメリカではニッサン社はダットサンの名前で知られ、彼が米国日産初代社長時代、フェアレディZはDATSUN(ダットサン)Zカーとして彼によってミリオンセラー(100万台販売)が達成された。
 その後日産石原社長の経営方針で、20年にわたって彼の名は消える。
 日産はトヨタに先行を許し、販売実績でホンダにも地位を奪われ窮地に陥った。
 日産はカルロス・ゴーン(Carlos Ghosn)氏を社長に迎えて「復活日産」を目指した。リバイバル・プランをより強固にするため人事を刷新した。そして誰よりも車好きの片山豊氏がゴーン氏の招きを受け「Zの復活」を成し遂げた。日産の新型 『フェアレディZ』 が今年2002年7月30日、発表・発売された。発表会でカルロス・ゴーン社長は「日産は復活した」と宣言、その復活した日産の象徴が新型Zなのである。

 これはいい話です。ストーリーに満ちています。映画好きの幸としては映画化して欲しいくらいです。

 さて、父の見て来た車は、カタログそのままの車らしく、見積もりも出してもらってはしゃいでいます。父曰く「昔の価格から見たら安い!300から360万の価格設定、それに中年層の45歳から55歳ターゲットとネットニュースに書いてたで!お父さんに買ってくれと言ってるのも同然!買わんと悪いやろ。」なんて勝手に訳のわからない理屈をつけています。父は到底片山豊氏には及ばないでしょうけど、確かに車好きです。
 「好きなものなら、好きにしたら、中年の夢がそのくらいで買えるのならね。」と母も結構分かりがいいんだぁ...。
 もう一度みんなで見に行って試乗できたらいいな。そしてもし父が買ったら幸にも運転させて欲しいな...。なんちゃって、夢で終わるかもしれないけど何だか楽しい!

 因みに、日経新聞では、新型スポーツカー『フェアレディZ』の受注台数が「日米合わせて発売前に9000台を超えた模様」と伝え、また現在「予約が殺到して納車が12月になるとも」聞いている。

 Mes felicitations a Nissan, M.Katayama et M.President Ghosn !
 おめでとう、日産と片山さんとゴーンさん。
coda21「映画の森てんこ森」幸田幸
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